第17話:森の悲鳴と、風の邂逅
《奈落の王墓》攻略から数週間後。
ライルは、ローレンツ領の東端に広がる「迷いの森」の近くを訪れていた。
Sクラス冒険者としての依頼ではなく、領主代行としての視察だ。
「……静かすぎるな」
馬の手綱を握りながら、ライルは呟く。
隣には、完璧な乗馬服に身を包んだサクヤが並走している。
「ええ。風が止まっています。……森が何かを恐れているような気配ですね」
サクヤが目を細めた瞬間だった。
森の奥から、微かだが、しかし切迫した悲鳴と、爆発音が聞こえた。
「――ッ! 行こう、サクヤ!」
「はい、主さま!」
ライルは迷わず馬を飛ばした。
道なき道を、「運命視」で最短ルートを見極めながら疾走する。
枝葉が顔を打つより早く、風が勝手に道を切り開いていく。
◇
森の開けた場所で、惨劇は起きていた。
「ぐっ……! 姫様、お逃げください!!」
エルフの護衛騎士たちが、血まみれで倒れている。
彼らを取り囲んでいるのは、武装した人間の集団。
その装備は不揃いで、目つきは凶悪。違法な「奴隷狩り」の盗賊団だ。
そして、彼らが追い詰めている大木の根元には、一人の少女がいた。
月光を織り込んだような金色の髪に、深い森の色をした瞳。
エルフ族の中でも一際強い魔力を持つ、高貴な少女――セレナだ。
だが、彼女の足は折れ、杖も砕かれている。
「へへへ……上玉だ。このエルフなら、王都の闇オークションで城が建つぞ」
盗賊のリーダーらしき男が、下卑た笑いを浮かべて網を構える。
さらに悪いことに、彼らは禁忌の魔導具を使っていた。
少女の背後から、彼らが召喚した魔物《毒吐き大百足》が、涎を垂らして迫っていたのだ。
「……っ、来るな! 森を汚す者たちよ!」
セレナが気丈に叫ぶが、魔力切れの体では風の刃一つ起こせない。
(お父様、お母様……ごめんなさい……)
百足の鎌首が持ち上がり、盗賊の男が手を伸ばした、その時。
ヒュオォォォォォッ!!
突如として、暴風が吹き荒れた。
ただの風ではない。大気そのものが意思を持って、少女を守るように渦巻いたのだ。
「な、なんだぁ!?」
盗賊たちが吹き飛ばされる。
そして、風の中心から一人の少年が舞い降りた。
蒼銀の軽鎧を纏い、手には透き通る青い刀身の剣――《シルフィード・エッジ》。
ライル・フォン・ローレンツだ。
「……森の静寂を乱すな」
静かな、しかし絶対的な王の声音。
「あぁ? なんだガキが! やっちまえ!」
リーダーがけしかけると、巨大な百足がライルに襲いかかった。
鋼鉄をも砕く顎が迫る。
セレナは悲鳴を上げそうになり――息を呑んだ。
ライルは、見てすらいなかった。
ただ、剣を軽く横に薙いだだけ。
「――《風牙・絶空》」
カマイタチすら生ぬるい。
真空の刃が空間を走り、百足の巨体を一瞬で「肉片」へと変えた。
血の一滴すら、ライルには届かない。風が全て弾き返したからだ。
「ヒッ……!? バ、バケモノ……!」
盗賊たちが腰を抜かす。
ライルは彼らに冷ややかな視線を向け、剣先を向けた。
「消えろ。二度とこの森に足を踏み入れるな。
……次は、風が許さない」
その背後に、巨大な風の精霊王の幻影がゆらりと立ち上がる(サクヤによる幻術の演出付き)。
盗賊たちは恐怖にかられ、我先にと逃げ出した。
静寂が戻る。
ライルは剣を収めると、うずくまるセレナの元へ歩み寄った。
先ほどの覇気は消え、心配そうな少年の顔に戻っている。
「大丈夫ですか? ……ひどい怪我だ」
「あ……あなたは……?」
セレナは呆然としていた。
エルフにとって、風は神聖な友。
その風が、この少年に傅いていた。まるで、彼こそが風の王であるかのように。
「ただの通りすがりです。……じっとしていて」
ライルは彼女の前に膝をつくと、懐からポーションを取り出そうとした。
だが、それより早く、追いついてきたサクヤが背後から手をかざした。
「《神域再生》」
温かな光がセレナを包み込む。
折れた足の骨が繋がり、裂けた皮膚が塞がり、魔力が満ちていく。
「え……? こ、こんな高度な治癒魔法、見たことが……」
「私の主さまが助けた方です。傷跡一つ残すわけにはいきません」
サクヤが微笑む。
セレナは立ち上がり、ライルを見つめた。
助けられた感謝だけではない。魂の奥底が震えている。
(神木様が言っていた……『風を統べ、女神を連れた王が現れる』と。
まさか、この方が……?)
セレナは震える手で、ライルの袖を掴んだ。
「あ、あのっ……!
わたくしは、この森を統べる族長の娘、セレナと申します。
どうか、お名前を……! 命の恩人のお名前を教えてください!」
その瞳は潤み、頬は高揚で赤く染まっている。
吊り橋効果などではない。種族の本能が「この男だ」と叫んでいたのだ。
「ライルです。ライル・フォン・ローレンツ」
「ライル様……」
セレナはその名を噛み締めるように復唱すると、エルフにとって最上級の敬意と求愛を示す仕草――自分の耳に触れ、相手の胸に額を当てる――を行った。
「このご恩は、生涯忘れません。
……必ず、お礼に伺います。わたくしの“全て”を懸けて」
こうして、運命の歯車が噛み合った。
ライルにとっては「たまたま通りがかって助けた」だけの出来事。
だがエルフたちにとっては、「風の精霊王に愛された伝説の勇者の降臨」だったのだ。




