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神への階と十五柱の花嫁  作者: 輝夜月愛


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第1話:世界のエラーコード

生きていることが、どこか不自然だった。


息を吸う。

吐く。

心臓が鼓動を刻み、足は前へ進む。


それでも、ときどき思う。


この世界は、僕の存在を認識していないんじゃないかと。


まるでシステムの外側にいる、バグみたいに。


僕の人生は、最初の瞬間から歯車が狂っていた。


僕が生まれた日、母は死んだ。


大量出血による急死。

医者は「最善を尽くしました」と言ったらしい。


らしい、というのは――僕がその場にいなかったからだ。


当然だ。

僕はそのとき、ただの赤ん坊だったのだから。


僕が“母”という言葉を理解する頃、家の棚には一枚の写真だけが置かれていた。


そこにいる女性は、柔らかく微笑んでいた。


長い黒髪。

優しそうな瞳。

どこか穏やかな雰囲気。


だけどその笑顔は、僕に向けられたものじゃない。


僕が生まれる前、まだ平穏だった頃の世界へ向けられた笑顔だった。


だから僕は知らない。


母の声を。

母の匂いを。

母に抱きしめられた感触を。


叱られた記憶さえもない。


最初から存在しないものは、思い出にもならない。


父は、そんな僕を一人で育てた。


かつては大手商社で働いていたらしい。

だけど僕を育てるため、在宅ワークの仕事に変えた。


壁の向こうから、父の声がよく聞こえた。


「……申し訳ありません」


「はい、すぐに修正します」


「本当にすみません」


画面越しに、父は何度も頭を下げていた。


相手は明らかに年下だった。

声だけでもわかる。


それでも父は、ずっと謝っていた。


ヘッドホンをしていても、その声は聞こえてくる。


そのたび、胸の奥がギリリと痛んだ。


そして――その日も、いつもと同じ朝のはずだった。


目が覚める。


カーテンの隙間から光が差している。


だけど、いつもの匂いがしない。


朝食の匂いが。


僕はベッドから降りて、静かな廊下を歩いた。


リビングの扉を開ける。


父は、デスクに突っ伏していた。


パソコンの画面はまだ光っている。


『会議中』


その文字が、冷たい光を放っていた。


チャット画面が流れていく。


【まだですか?】

【進捗どうなってます?】

【返事ください】


誰も、父が死んでいることに気づいていない。


死因は過労による脳梗塞だった。


医者は言った。


もう少し早く見つかっていれば助かったかもしれない、と。


でも。


僕は知っていた。


昨夜、父のキーボードを叩く音はいつもより遅くまで続いていた。


今朝も、椅子がきしむ音が聞こえていた。


僕は気づいていた。


それでも声をかけなかった。


仕事の邪魔をしちゃいけない気がして。


その日から、僕は天涯孤独になった。


親戚の家をいくつか渡り歩いた。


どの家でも、最初に言われる言葉はだいたい同じだった。


「うちも余裕ないのよ」


夕食のとき。


テーブルには三人分のハンバーグ。


僕の皿には、半分だけだった。


「育ち盛りなんだから我慢しなさい」


そう言われて、僕は黙って頷いた。


従兄は僕のノートを勝手に捨てた。


「邪魔だったから」


その一言だけだった。


冷蔵庫のプリンに名前を書かなかったとき。


伯父は僕の頬を平手打ちした。


「礼儀を覚えろ」


それが“しつけ”らしい。


家族という言葉は、いつの間にか僕の中で別の意味になった。


呪い。


それに近い何かだった。


それでも僕は勉強だけはやめなかった。


父の背中を思い出すから。


写真の中の母が、どこかで見ている気がしたから。


夜、ランタンの灯りで参考書を開く。


夏は汗がページに落ちた。


冬は指先がかじかんで、鉛筆がうまく握れなかった。


それでも勉強した。


だけど。


受けた学校は、全部落ちた。


面接官は言った。


「覇気がない」


「協調性が見えない」


「個性がない」


――そんなもの、残っているわけがないだろう。


結局、僕が入学したのは定員割れの高校だった。


入学式の日。


新品のスマホをポケットから取り出した瞬間――


手が滑った。


バキン。


画面が蜘蛛の巣みたいに割れた。


まだ一度も電源を入れていないのに。


「うわ、マジ?」


隣の男子が笑った。


スマホを向けている。


「お前呪われてんじゃね?」


その動画はSNSに上がった。


僕は知らない何千人もの人間に笑われた。


それだけじゃない。


コンビニの自動ドアは僕の前で開かない。


手を振っても反応しない。


駅の改札は、残高があるのに閉まる。


背後から舌打ちが聞こえる。


水たまりの横を通ると、必ず車が通る。


泥水が白いシャツを染める。


体育ではボールに足を取られて転倒。


肘にヒビ。


屋上で休んでいたら鳩の糞が三連続で命中。


僕は鏡の中の自分に聞いた。


「ねえ……僕、前世で何したの?」


神様を怒らせた?


誰か呪った?


鏡の中の僕は、何も答えなかった。


ただ、どこか哀れそうな顔で僕を見ていた。


まるで、答えを知っているみたいに。


そして――その日。


耳をつんざくブレーキ音が響いた。


悲鳴。


誰かがスマホを構えているのが見えた。


ああ。


僕の死ぬ瞬間も、誰かのタイムラインに流れるのか。


視界の先にトラックが迫る。


運転手はハンドルから手を離し、顔を覆っていた。


足が動かない。


凍った路面に張り付いたみたいに。


「……あ」


衝撃より早く、意識が暗転した。


エラーコードを吐き続けていた僕の人生というOSは――


ここで、強制終了した。


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