血の臭い
「面台よしっ、 ホイロよしっ、 各種道具よしっ、窯よしっ」
集落の中央にある、立派な時計台が堂々とそびえ立つ広場。サラセニアは私の言った通りにパン作りの設備を魔法で作ってくれたみたいです。
指差し確認は大事です。見間違うリスクを減らしてくれます。
「小麦粉、塩、砂糖、イースト、ミルク、バター、そして水」
お姉さん・・・じゃなくてルテンが用意してくれた材料もしっかり揃ってます。
ルテンに小麦粉の特徴を聞いたところ、準強力粉で、風味が強めでクラスト(パンの皮)が固くなりやすいそうです。まさにクロワッサンとかのハード系に丁度いい小麦粉です。前の世界でも似たような粉を使ってたので、それを応用できそうです。よかったです。
「それにしてもこの水・・・凄くまろやかで美味しいです。水道水じゃないですよね?」
桶一杯に入った水を手で掬って少し飲んでみると、信じられないほど滑らかで、とても飲みやすいです。水の中に入っている成分が少ないんでしょう。きれいな水です。
「ルテン? 聞いていますか?」
「へぁ!? あ、あぁ、うん! 聞いてるよ!水だよね! 近くの湖から汲んでるの」
ありえないくらい汗だくになりながらピンクの髪を弄って虚空を見つめていたルテンが、張り付いた前髪を搔き分けながら明らかに正常じゃない様子でしどろもどろに応えてくれました。
「大丈夫ですか? 汗凄いですよ。臭います」
「うぇあへふぇ!?」
さらに汗が吹き出してます。獣人になってから前よりも五感が鋭くなったお陰で敏感になってます。サラセニアから貰ったニット帽のおかげで聴覚はそんなに気にならなくなりましたけど、嗅覚はずっと気になってます。
周囲の色々なものが目の前にあるような感覚です。まぁ、ルテンは実際目の前にいますけど。
「ボク・・・なんてこと言っちゃったんだろう・・・あぁ、どんどんエルフが集まってくる・・・」
私達は広場に建てられたちょっとした高さのステージの上にいます。そこから100人くらいのエルフ達が見下ろせますし、見上げてきています。
端の方にはマイルスと一緒の国の偉そうな人達も見えますし、マイルスがステージの上にいる私を見て頭を抱えて何か呟いてるのも見えます。ニット帽を脱げば何を呟いてるのか聞こえたかもしれませんが、獣人だとバレればパン作り対決が出来なくなっちゃいます。正体を隠したりするような行為は嫌いですけどしょがないですね。
「2人とも準備はいいかしら?ちゃんと手は洗った? 始めるわよ」
ルテンが3回おしっこに行って戻ってきた頃。サラセニアが歩くのが辛そうなおじいさんを連れてステージの上に上がってきました。サラセニアのお爺さんで、長老です。
―――。
「自由を愛するエルフの皆。長く退屈な前置きは嫌いよね。可愛い子供達のパン作り対決の始まりよ!」
事情を聞いてるのか聞いていないのか分かりませんが、エルフ達は楽しそうに、いや引くほどの熱量で「イェーイ!」と盛り上がってダンスってます。妙にノリがいいですね。人生楽しそうです。あとちょっと気持ち悪いです。
それに比べて人間達は困惑した顔や、驚いた顔、疑わしい顔、無表情、それぞれですが誰一人として盛り上がってません。マイルスはそんな偉そうな大人達を警戒するように見つめています。
「周りを気にしてる場合じゃないですね。今は自分の手元に集中しなきゃです」
何故かこんな大事になっちゃいましたが、私がすることは変わりません。パンを作る。それだけです。
チラッとルテンを横目で見てみると、昼にルテンの家で見た時のように材料を計量してボウルの中に入れていってます。
「んにゃ! やりますか」
用意されたボウルの中に小麦粉、砂糖、塩、イーストを入れて混ぜて、良く洗った手で軽く混ぜ、水とミルク、それからバターを入れて捏ね始めていきます。
「で、できた・・・」
ルテンが額の汗を拭いながらそう呟きました。私が材料を入れて捏ね始めたところで、ルテンはもう【錬成】で見事なクロワッサンを作り終えました。「おぉ!」とエルフ達からは感心の声が、人間達からは驚きの声が沸きました。
「焦らない、焦らない」
ルテンが作ったクロワッサンは1つだけじゃありません。パッと見30個程、それをサラセニアがエルフや人間達に切り分けて配っていってます。
エルフ達は「うん、この味この食感、いつもの味だ」と満足そうにニコニコと食べています。
人間達は、「これがあの【錬成】・・・なんて力の無駄遣いだ」と小声でヒソヒソと話しています。味ではなく褒美について驚いているみたいです。ニット帽で耳が塞がっているとはいえ、この程度の距離ならヒソヒソ話なんて丸聞こえです。
「気にしない、気にしない」
クロワッサンを食べ終えた皆の視線の先は、自然と私になります。
エルフ達は「パンって本当はああやって作るんだ」と興味深々ですが、人間達は「出来上がるまでどれほど時間が掛かるんだ」と退屈そうに私を見上げています。
「ふぅ・・・」
やっと生地が出来上がりました。
「ここから30・・・いや15分生地を寝かせて・・・」
「「はぁぁ~・・・」」
人間達が集まっている方から嫌な感じのため息が聞こえてきました。私が獣人じゃなくても聞こえる程です。そこに居るマイルスは肩をすくめて苦笑いして私を見上げます。気にするなってことでしょう。
そして15分後・・・人間達はマイルスと共にどこかへ行きました。フロアタイム(一次発酵)の間にサラセニアが教えてくれたんですが、マイルスは人間達を見張る為に一緒にいることにしたそうです。最初は私の捜索は心当たりがあるサラセニアに任せて、マイルスは危険そうな人物を見張っていたみたいです。
別にそんなことをする必要はないと思うんですけどね。獣人ならまだ元お姫様の私を狙う理由は分かりますが、人間が私を狙う理由はありません。傍から見ればただの幼い子供です。
「ノエルちゃん。続けないの?」
「続けます・・・」
エルフの長老から貰ったジュースを飲みながら、隣りでずっと自分で作ったクロワッサンを食べていたルテン。そんな彼女に心配そうに聞かれた私は、めん棒を手にとって生地を正方形に伸ばして、バターを折り込んでいきます。
「にゃぁ・・・」
思わずため息が出ます。バターを折り込むのが大変だからじゃないです。こねる時もそうしてましたけど、めん棒に【重力操作】を使えば意外と簡単です。
「でも・・・」
15分のフロアタイムは明らかに短いです。分かっていても、焦った手は止まりませんでした。こんな大勢の人達に見られながらパンを作るのは初めてで、冷静さを欠いちゃいました。完全に焦りました。そして失敗です。ここからの工程で多少調整は出来ると思いますが満足いくクロワッサンには・・・。
「にゃ! 諦めません!」
失敗したことはもうしょうがありません。でも。だからといって妥協する理由にはなりません。
「ノエルちゃん・・・」
それから、ルテンが心配そうに見守るなか、私は生地を休ませながら折り込みを繰り返して、分割。さらにまた生地を休ませたあと、成形して発酵をとります。
「ごめん、ボクちょっとトイ・・・お花を摘みに行ってくる」
サラセニア達エルフが作ってくれた簡易ホイロに合計40個のクロワッサンを入れている間に、ルテンは4度目のおしっこに行きました。
何度か人間達が様子を見にやってきたり、またいなくなったりしましたが、エルフ達は誰一人としてここから離れません・・・いえ、長老だけは「休みたい」と言って帰宅しましたね。さすがにあのご老体で長時間外にいるのはきつかったみたいです。
「サラセニア」
「はい。なんでしょう?」
後ろでずっとニコニコしながら私を見つめていたサラセニアが、変わらずニコニコのまま膝を曲げて屈んで視線を合わせてくれます。
「どうしてエルフの方達はずっとここで私のパン作りを見てるんですか? 飽きないんですか?」
「ノエルちゃんが可愛らしいからよ」
ニコリと口角を上げて言います。
「本当に?」
「ええ。例え猫耳や尻尾が見えなくたって、ノエルちゃんは最高に可愛らしいわよ」
ジトーッとサラセニアを見つめます。度々可愛らしいとは言われてましたが、それは関係ないと思います。
「えーと・・・集落は娯楽が少ないから、皆暇なのだと思うわ」
「そうですか、じゃあ、最高の暇つぶしにしてあげますよ」
さて、そろそろ発酵もいい具合ですね。
ホイロの扉を開けると、発行した生地と少し溶け始めたバターの香りが・・・あれ?
「鉄の・・・いや、血?」
どこからか血の臭いがします。誰かのちょっとした怪我とか、前にママから教わった将来くるものでもないです。
「それどころじゃない、明らかに大量の血が・・・」
「え、どうしたの? ・・・ノエルちゃん?」
「あの、誰か大怪我してたり―――」
「グォォォォォォ!!」
うぅ! うるさい・・・ニット帽の上から耳を押さえて、得体の知れない咆哮が聞こえなくなるまでじっと蹲ります。サラセニアがそんな私を庇うように肩に手をまわしながら周囲を警戒し始めました。
「まさか・・・魔物?」
「うぅ・・・サラセニア。あっちの、山の方から木々が倒れる音も聞こえました」
「え、そんな音まったく・・・あぁ、獣人だものね。ノエルちゃん。いい? 私は今からここにいるエルフ達の半分を連れてノエルちゃんの言う方向へ様子を見に行くわ。残りのエルフ達はノエルちゃんの護衛に――――」
「シャーーーーーー!!」
ガシャン!
サラセニアの倍以上ある白い大蛇が1つの家を破壊しながら広場に侵入してきました。赤く光った目がこちらを見ている気がします。
「魔獣?・・・ 神樹があるのに ・・・ノエルちゃん、悪いのだけれど、急いでピンクちゃん・・・じゃんくてルテンちゃんの所へ行って連れ出して、神樹の中へ避難していてちょうだい。あそこは安全だから」
「サラセニア達は?」
「私達は、魔法が得意なのよ」
ここはサラセニアに従いましょう。でも、クロワッサンが発酵オーバーにならないように焼成しなきゃです。
「サラセニア。このクロワッサンを窯に入れておくので、ルテンが作ったクロワッサンと同じくらいの焼き色になったら出してください」
「え!? それ今することかしら? 私、魔獣と戦うのだけれど」
「あ、火傷には気を付けてください」
サラセニアは私の頭をポンポンと軽く撫でたあと、キッと眼光を鋭くして白い大蛇を睨みました。
「エルフの皆! 火と雷系統の魔法は使わないように! 被害を最小限に抑えてクロワッサンパーティーよ!」
サラセニアの周囲にぶわっと風が巻き起こったかと思えば、次の瞬間にはサラセニアは白い大蛇の眉間に手を指してました。
「皮が厚すぎるわ! 皆! 半端な魔法や衝撃は効かないわよ!」
にゃ! 私も行動しましょう!
四つん這いになり、猫が走るように四足歩行で静かに駆けます。2本足で走るよりも速いです。
ルテンは自分の家におしっこをしに行きました。だけど集落を突っ切るには暴れる白い大蛇の横を通らないといけません。それは危険です。戦っているエルフ達の邪魔になるかもしれません。
「迂回しましょう。急がば回れ。日本という昔の国のことわざです」
尻尾が隠れてると走りづらいですね。バランスが取りにくいです。爪でスカートに穴をあけて、中から尻尾を出して、集落の外周の森の中を走ります。誰かが木の上を伝って近付いてきました。
「ノエル。その走り方やめてくれ。中が見えそうだ」
「マイルス」
何故か覆面で顔を隠したマイルスがぴょんぴょんと木の上を跳びながらやってきました。前の世界の頃のマイルスとは思えないほど俊敏です。
「マイルス。村が魔獣に襲われています。私はサラセニアの指示でルテンを神樹に避難させるところです」
「ああ。だな・・・。だいたい理解してる。言いたいことを色々あるけど、現状をどうにかしねぇとな。でも、神樹はダメだ。ルテンを連れて広場に行った方が安全と思うぜ」
「え? でもそっちには魔獣が・・・」
「でもサラセニアがいる。エルフ達は安全だ。んで、神樹は魔獣や魔物こそ入れないけど、人間は入れるんだ」
マイルスは相変わらず説明が下手くそですけど、言いたいことは分かります。
「魔獣よりも人間の方が危険ってことですか?」
「ああ。詳しいことを説明してる時間はないけど、人間には魔物を操る術があるんだ。だからもしかしたら魔獣にも・・・とにかく!この状況を招いたのは人間の可能性が高いんだ!」
「魔物と魔獣は普通の動物とは違うんですか?」
「俺も説明されたけどよくわかってねぇんだけど、前の世界にもいた奴が動物、いなかった奴が魔物と魔獣って覚えておけば大丈夫だぜ。まぁ、動物の中にも前の世界とはちょっと違った奴はいるけどな。例えば、鶏とか普通に空を飛ぶし」
「それは大変です」
「え、鶏が飛ぶことがか? ・・・て、そろそろだぞ。とりあえず家は魔獣に潰されてなさそうだな」
そんなことを話しているうちに、ルテンの家が見えてきました。
「マイルス。ルテンの家から血の臭いがします。・・・それとルテンの汗のニオイも」
読んでくださりありがとうございます。ノエルのクロワッサンが多いのは、ノエルの手が小さいからです。だから、グラムの少ないクロワッサンがたくさん出来上がりました。




