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カゴノトリ  作者: 灯夜 雪


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第33話 煙管の灰

謁見式の夜。

僕たちは蝶華姫様のご厚意で、城に隣接する高級旅館──「翠月(すいげつ)」に滞在することになった。


桜が咲き乱れる庭に囲まれたその旅館は、月明かりを浴びた花びらが風に舞い、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。

格式ある和の造りながら、静かで落ち着いた空間。

障子の向こうに見える中庭からは、虫の音がさりげなく響いていた。


案内されたのは、広い旅館内でも珍しいとされる小さな別邸。

周囲は竹藪で囲まれ、外からの喧騒も届かない静かな場所だった。


部屋は二間あり、一つは広々とした寝室。

もう一部屋は、廊下でつながるリビングのような空間で、ガラス張りの窓からは見晴らしの良い庭が広がっている。

昼間なら、笹の緑が映えてとても綺麗だろう。


寝室には、横並びに置かれたシックな布団ベッドがふたつ。

丸窓が印象的で、落ち着いた雰囲気に和の趣が溶け込んでいた。

さらに天井が開けた露天風呂まで備わっており、心も身体も休めるには申し分のない場所だった。


流石に、和の国に来てからろくに休憩もないまま、怒涛のように謁見式へ出席したせいか、どっと疲れが出ていた。

僕は早々に荷物を置き、露天風呂にでも入ろうと思い立つ。


横の部屋にいる聖明に声をかけた。


「聖明、露天風呂行こー」


何気ない呼びかけだった。

けれど聖明は、ぎょっとした顔で固まり、お茶を入れていた手が止まる。


……どうしたんだろう?と首をかしげて見ていると、聖明は手元を誤ってお茶をこぼし──


「あっつ!」


と、情けない声を上げた。


「……聖明、何してんだよ……」


「ふ、風真……すまない。風呂は先に入ってくれ。

私は……その、この身体は、あまり、見られたくない」


言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。

理解した瞬間、一気に顔から血の気が引く。


「ご、ごめん! 忘れてた!」


「はは……ごめんね……」


僕は慌てて襖を閉め、逃げるように露天風呂へと滑り込んだ。


「やっちゃった……」


聖明が無性体だということを、度々忘れてしまう。

わかりやすく、女体のときは配慮しやすい。

目に見えてしまっているから、「男の扱いじゃダメだ」って、わかる。


でも、無性体だと、男のときと比べてぱっと見は大きく変わらないので、つい忘れがちだ。

自分の中で、聖明は“聖明”だという認識が強いのもあると思う。

昔のノリであまり言わないよう、気をつけないと。

聖明自身、戸惑っているのに、周りが気を使わせたらダメだよな……。


そう思いながら、湯船で顔を半分沈める。


『風真のおドジさん』


と、脳内で響く声。

瑠璃姉さんだけには言われたくない、と複雑な気持ちになる。

僕は露天風呂から見える夜空を見上げた。

空気の匂いは違うけど、空はどこに行っても綺麗なままだな。そう思った。


その後、モヤモヤしたので聖明にちゃんと謝り直し、

二人でのんびり夕食にして、他愛のない話をし、ベッドに潜った。


──深夜、僕はふと目が覚め、起き上がる。


何だか不思議な匂いがする。

そう思い寝ぼけながらもむくりと起き上がると、円窓のそばで聖明が座っているのが見えた。


「……せいめ……?」


彼が静かに僕を捉える。

手には煙管を持ち、口から「ふー」と煙を漂わせる。

長い黒髪が、少し開けた浴衣から肌を隠すようにサラリと流れ、ちょっとだけ生々しく見える。

膝の上には黒猫姿のリリーが丸まり、幸せそうに尻尾をたまにふわっと動かす。

そんな姿が妙に様になってて、カッコイイなって思った。


「……すまない、起こしちゃったか」

「あ、うん、大丈夫……」


月明かりに照らされる聖明の表情は、どこか悲しそうに見えた。


「聖明、どうかしたの?」


僕は聞いてみた。

今日一日、ふとした瞬間に聖明の表情はいつも暗かった。


聖明は再び煙管を咥えると、深く吸い込み、夜の空へと吐き出す。

そして暫く月を見上げると、ぽつりと言葉を吐く。


「……セレスと、別れたんだ」


たった一言だった。

その一言の重みがあまりにも重くて、僕は一瞬にして目が覚め、聖明を無言で見つめてしまう。


「……逃げられちゃった。この身体のせいで」


淡々とした言葉を紡ぐ聖明。

煙と一緒に気持ちを吐き出すように、静かな声でただ淡々と──


「……堕天使を、量産できるんだって。私の身体で」


──っ。

言葉が出ない。


「………それを聞いて、置いていかれちゃった」


聖明は静かに目を伏せ、悲しそうに笑う。

月明かりが妙に明るくて、明るくて───


「………失恋って、こんなにも痛いんだね」


僕のほうが泣きそうだった。

なんで、そんな顔で笑うんだよ。

いっそ、泣いてくれたほうがいい。


それなのに聖明は静かに、全てを受け入れたように、ただ微笑んだ。


「ごめん、変な話ししたね。寝ようか」


そう言うと、煙管を持ち替え、灰皿にカン!と音を立てて灰を落とす。

まるで漂う眠りのように揺らっと立ち上がり、聖明もベッドにゆっくり沈み込む。


「………おやすみ、風真」


そっと閉じた目からは、確かにキラッと光る涙が一筋、落ちたんだ。



ーーー



翌日。

再び城に呼ばれ、蝶華姫と謁見していた。


「昨日は協力、ご苦労であった!

無事に鬼も退治でき、少々騒ぎにはなったが被害者も出ず、恙(つつが)なく終えることができた!

聖明、風真! 感謝するぞ!」


「有難きお言葉でございます」


聖明は、いつものような穏やかな顔で返事をする。


「して、昨日はゆっくり休むことはできたか?」


「はい。とても静かな場所で、旅の疲れが癒えました」


嘘ばっかり……昨日はあまり眠れていなかったのを僕は知っている。


蝶華姫はその返事を聞くと、昨日とは違い、穏やかな笑みを浮かべた。


「そうか」と。


「お前たちは、どれくらいの滞在を予定しておる?」

「おおよそ一ヶ月を予定しております」


「わかった。その一ヶ月、翠月の別邸を好きに使うが良い!」


姫様は、相変わらずの男気ある笑顔で応えた。


「旅先で落ち着かないのはよくない! 遠慮なく使うが良いぞ!」


「……ありがとうございます」


「謁見式の兼ね合いもあってな、まだしばらく城下町はお祭り騒ぎだ!

ぜひ、二人で町を見て楽しんでほしい!」


そう言うと姫様はスッと立ち上がり、街が一望できる襖を『ダン!』と開けて見せた。


「改めて言おう、ようこそ! 我が愛しき“和の国”へ!

桜の導きが、お主らにあらんことを願う!!!」


ふわっと舞い上がる桜が、まるで僕たちを歓迎しているかのようだった。



ーーー



僕たちは、今日は予定もなかったため、姫様の案内もあり城下町を歩くことにした。


西洋とはまた違う、どこか艶やかで土の匂いを感じる町並み。

軒を連ねる小さな木造の店々、軒先から吊るされた色とりどりの提灯が風に揺れている。

昼間でも提灯の灯りが仄かに灯され、柔らかな朱と金の光が道を照らしていた。


どこからともなく聞こえる笛と太鼓の音は、規則的でありながらどこか緩やかで、心を弛ませる。

通りには香ばしい匂いが漂い、串焼き、甘味、炒った香草……それぞれの香りが混ざり合って、何とも言えない食欲をそそる空気を生み出していた。


出店には、飴で包まれた小さな果物や、蒸し立ての団子、揚げたての天ぷらなど、見るだけで楽しくなる品々が並ぶ。

子どもたちが走り回り、風車を回しながらはしゃぐ声が響き、花柄の着物を着た娘たちが笑い合いながら歩く姿も見える。


見上げれば、軒先に吊された風鈴が太陽の光を反射して揺れ、しゃらしゃらと涼やかな音を奏でていた。


そんな中、聖明がふと、とある出店に足を止めて、何故かひとつの面を買っていた。

白い狐の面。目元に映える赤が、艶やかな印象を与えていた。


「聖明、なんで面?」


僕が尋ねると、聖明はどこか意地悪そうな笑みを浮かべながら答えた。


「お祭りっぽいだろ?」


その面は、彼が着ているアクアさんお手製の服によく似合っていた。

彼は少し上機嫌で、腰の青いリボンをふわりと揺らしながら、静かに歩いていく。

僕はそんな後ろ姿を眺めながら、早朝の出来事を思い出していた。



***



僕は夜の聖明の顔が忘れられず、彼が目覚める前から起きて、竹藪の中で師匠に通信魔法を繋いでいた。


『……なんだ、夜に……』


いつもの不機嫌そうな声。

ああ、そうか。あちらは今、夜なのか。


「師匠、聞きたいことがある」

『………なんだ』

「なんで……聖明を捨てたの」


本当はすごく怒っている。

でも、あまりにも聖明が静かに語ったものだから、僕が声を荒らげてはいけない気がした。


しばらくの沈黙のあと、師匠の声が聞こえた。


『………俺が側にいれば、あいつは不幸になる』


また、重い言葉だった。


──勝手に聖明の幸せを決めつけるなよ!

──なんだよ、それ!


胸の奥にたくさんの言葉が溢れてくる。

でも、言葉にはしなかった。


「聖明が堕天使を量産できるって……どういうこと?」


今の聖明には聞けなかった。

でも、知っておかなきゃまずい。

腹は立つけど、今、一番情報を持ってるのは、多分、師匠だ。


『………堕天使は、生来、繁殖能力がない。

だが、聖明は“大天使化”したことで、本来の生態から外れた可能性がある。

要は、子どもを作ることができる。

過去に堕天使が子どもを生んだ例はない。

聖明が子どもを成したとき、大天使と同様にただの天使を生むのか、堕天使を生むのか……それは分からない。

もし、堕天使を生み落とすようなことがあれば──』


声が止まった。

少し苛ついて、せっつくように言葉を促す。


「あれば?」


『……欲深い人間は気付く。

“不老不死の兵器を作る素材”として、聖明を欲するはずだ……っ』


───っ!

あんなに傷つけられたのに、また──?


「なら、なおさら守らないと!」


『………俺がそばにいれば、あいつの身体が勝手に変わる』


──聖明が言ってた。

師匠と一緒にいるときは、いつも女体化するって。


『外で女体化するところを見られたら、無性体だと気付かれる恐れがある。

聡いやつは気付くはずだ……“兵器としての可能性”に』


「っ! だからって!」


『………想像してみろ。

俺がそばにいれば、あいつは必ず“女”であることを選ぶ。

……あのまま一緒にいたら、いつかは──俺は、孕ませる。

そんな重荷……俺は、背負わせたくない……っ』


師匠の声は、今まで聞いたこともないくらい、弱々しかった。

でも──だからこそ。


「来るか来ないか分からない未来よりも、“今”を大事にしてやれよ!

聖明、笑うんだよ……っ!

あんな、辛そうな顔してるのに笑うんだ……。


まるで、僕が出会ったばかりのときみたいだ!

全部、諦めて、受け入れて……そのクセ他人の事ばかり気に掛ける!

自分の傷を顧みることもしない!

きっと、僕の前では泣かない!」


『……っ』


「師匠……待ってる。

来るまで、僕が聖明を守るから──

必ず、迎えに来て」


そう言って、返事を待たずに通信を切った。

聖明の心を救えるのは、きっと、師匠だけだ。

悔しいけど。


僕は深呼吸をした。

師匠が来てくれるかは分からない。


来ないかもしれない。

それでも──僕が、聖明を守らなきゃ。



***



「風真!」


聖明が笑う。

彼の手には、ふわふわの雲みたいな食べ物。


「お祭りといったら、綿あめ!」


僕はそれを受け取り、一口食べた。

ふわふわで、勝手に口の中で溶ける甘い、甘い雲。


「……甘いね」

「でしょ」


聖明は今日も、あの微笑みを浮かべる。


「聖明! あれは何? 雪みたいなの!」

「あれはね、かき氷」


──きっと、頭に付けた面と同じように。

それは本心を隠すための、作られた笑顔。


でも、僕は……騙され続けるんだ。

きっと、聖明がそれを望んでいるから。

知らないふりをして、僕も笑顔を返す。


どこかで──カン、と。

煙管から灰が落ちる音がした。

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