番外編 龍の苦悩
俺は魔法機構を考案した存在で、国お抱えの博士。そして、大天使ミカエル様──国の最高権力者──の養子でもある。
名前は龍・C・ミカエル。
大天使様には「姓」の概念がないため、俺の名は養子であることが分かるように、ミカエル様の名をそのままいただいている。
「はあ……どうすっかな、これ」
机の上に積まれた大量の極秘書類を前に、俺は唸った。
基本的な業務は、魔道具や機構を開発して、それを商品化し、流通させること。
……だけど、それだけじゃ終わらない。
俺は、別の顔も持っている。
──国の機密事項を管理・運営する、完全独立の大天使直属諜報員。
エクソシストやカゴノトリにもそれぞれ諜報部隊はあるが、俺の立場はそれよりさらに上。
実質的には両諜報部隊を横断し、監視・管理する責任者でもある。
つまり、国における全ての情報の最終的な管理・精査は──俺。
……が、その業務量は、年々とんでもないことになっている。
特に、あいつがカゴノトリに復帰してからだ。
──紅 聖明
俺の幼馴染にして、国の闇を背負う存在。
あいつの一挙手一投足が、国家の機密と直結している。
闇魔法医療科「カゴノトリ」は、医療や軍事だけでなく、国の暗部そのものを担う機関だ。
その中で、最も特異で危険な存在が聖明だということは……言うまでもない。
あいつが動けば、裏で俺が動くことになる。
そして、それはすなわち──国家の最深部が揺れるということだ。
特に今回は、酷かった。
学生時代に終わったと思っていた──
国が管理・保管している猛毒「ナーガ」。
7種もの異なる効力を持つ猛毒を有し、
さまざまな武器開発の材料として使われていた。
現在は俺の完全な管理下にあるが、俺が学生の頃は、
それはエクソシストの管理下にあった。
その結果──杜撰な管理が招いたのが、聖明への人体実験。
不老不死の身体に、大量の毒を流し込まれ、
あいつは何度も、地獄のような苦しみを味わった。
……正直、あってはならないことだった。
だが、聖明はその猛毒に打ち勝ち、耐性を得た。
それはすなわち──不老不死の肉体で、あらゆる毒の血清を生成できる可能性があることを示唆していた。
この事実が公になれば、堕天使の人権が危ぶまれる。
いくら「生存権」を主張した堕天使保護法があっても、
第二・第三の聖明を生み出そうとする者は必ず現れる。
そう考えた俺は──
当時の研究資料、関係者の記憶、痕跡のすべてを消した。
必要とあらば、何人もの人間を、カゴノトリに依頼して処理させた。
非道と思われるかもしれない。
だが俺にとっては──兄弟同然に育ってきた聖明の方が、何より大切だった。
……俺の権限は、正直、与えられすぎている。
大天使様たちは基本的に──不可侵の存在だ。
なぜなら、彼らはあまりにも大いなる力を持ちすぎている。
地上のことは、地上の生命が責任を持って運営すべきというのが、彼らの方針だ。
だからこそ、大天使同士も「一定以上の干渉を行わない」という誓約を結んでいる。
……結果として、最大の権限を持ちながら、実際には何も動けない存在でもある。
だからこそ、大天使は円滑に地上を動かすため、
俺のような存在を「指」として傍に置く。
俺は、大天使ミカエル様の「指」。
実質、同等の権限を持っているただの人間だ。
──話を戻そう。
権限があるからといって、俺が万能というわけじゃない。
終わったと思っていたナーガの事件が、今になって再発した。
首謀者の娘が、記憶操作の折から抜け出し、
カゴノトリを陥れるために聖明を襲撃するなんて、誰が想像できただろう。
完璧に消したと思っていた痕跡が、まだ残っていた。
詰めの甘さに、思わず舌打ちする。
……いっそ親族ごと、最初に潰しておくべきだった。
だが、後悔しても仕方がない。
今は、実行犯たちの情報を精査するしかない。
セレスが殺した、身元不明の人間たち。
……現場は酷かった。何人死んだかさえ分からない血の海だった。
身元が確認できたのは、6人。
だが現場の状況からして、実際にそこにいた人数は10人以上だと見ていい。
エクソシストに在籍していた者として名簿と照らし合わせても、
2人分は確実に一致せず、誰なのかすら見当がつかない。
さらに悪いことに──
魔法都市には、悪魔である瑠璃が侵入していた。
俺の監視外で、誰かが殺され、証拠ごと消されている可能性もある。
……タイミングが、悪すぎる。
証拠はない。
だが──聖明襲撃事件には、悪魔が関与している可能性が高い。
……というのが、俺の見解だ。
だが、このことは聖明たちには伝えていない。
あまりにも証拠が乏しい。
悪戯にあいつらを疲弊させたくはない。
俺の役割は、あいつらを守ることであって、余計な憶測で縛ることじゃない。
「龍ー、おるかのー? ご飯持ってきてやったぞー」
そう言って入ってきたのは、青く長い髪が印象的なアクアだった。
彼女は俺と同い年だが、見た目の成長は12歳前後で止まってしまった天使だ。
俺の大切な友達で──そして、想い人でもある。
……この想いは、長年ずっと心の中に秘めたままだ。
それは、アクアが一番、自分の成長しない身体を気にしているからだ。
もし気持ちを伝えたところで、きっと彼女を困らせるだけだろう。
「うおお! アクアあああ! ありがとおおお!」
「うぬ! 感謝するが良い!!!」
俺はアクアから紙袋を手渡される。
さっそく中身を確認すると、野菜や肉がたっぷり挟まったサンドイッチ。
ちょうど腹が減っていたから、めちゃくちゃありがたい。
「うめぇ! 生き返る!」
「お主、最近は缶詰ばっかりじゃからのう。私が栄養バランスを考えて作ってきたのじゃ!」
「さすがアクアだな! 最高!」
「よいぞよいぞ! もっと賛美するのじゃ!」
──こんな些細なやり取りが、俺の癒しだ。
「ところで龍よ。
お主、今回の襲撃事件……どこまで見えておるのじゃ?」
鋭い瞳で俺を見据えるアクア。
俺は食べながら答えた。
「そうだなぁ……憶測だけど、主犯の裏には“悪魔”がいたと思うよ〜」
アクアだけには、胸の内を話せる。
彼女は口も堅いし、たとえ聖明やセレス相手でも、基本的には余計なことは言わない。
よほど必要と判断しない限り、行動にも移さない。そういう人だ。
「……そうか、厄介じゃのう」
「そもそも記憶操作が今になって綻ぶなんて、普通は考えにくいんだ。
記憶操作が得意なのは、闇魔法を扱える者だけ。
エクソシストが使う程度の操作じゃ、記憶を取り戻すなんて無理だ」
「……ふむ」
「となると、可能性は二つ。
一つは、カゴノトリに所属する堕天使が裏切った場合。
もう一つは、悪魔が外部から介入してきた場合」
「前者は考えにくいのぅ。堕天使は仲間意識が強い上に、そんなまどろっこしいことをする気質ではない」
「だろ? だから、悪魔の関与って考えるほうが自然なんだよ」
アクアはため息をつきながら、部屋のコーヒーメーカーで湯を沸かし始める。
「……やはり、瑠璃が関わっておるのかのう」
「聖明が解読した魔法陣を見る限りは、可能性としては一番高いだろうな」
「……聖明は気づいておるのか? 今回の襲撃の根本に瑠璃がいる可能性を」
俺は少し考えた。
昔の聖明なら、きっとすぐに察していただろう。
でも今は、セレスが傍にいるせいか、いろんなことに気を取られている。
「たぶん……まだ気づいてないな。
今のあいつは、昔みたいに冷徹にはなれない。
その分、悪魔側の視点に至るのに、少し時間がかかりそうだ」
「良し悪しじゃな……。
感情が豊かになった分、隙も大きくなっておる。
私から見ても、のう……」
アクアの懸念もわかる。
昔の聖明は、人に隙を見せる余裕なんてなかった。
本性を隠し、手段を選ばず、冷徹に人を操り、切り捨てて、すべてを裏から動かすような──そんな存在だった。
利用できるものは、たとえ自分自身でもただの道具。
それが、昔の聖明だ。
でも今は違う。
人の声に耳を傾け、感情を無視せず向き合い、人を大切にしようとするようになった。
……セレスのせいだな。
「しゃーなし、俺が聖明にセレスを引き合わせたんだ。
……あいつに、セレスに頑張ってもらうさ」
「……いつまで続くんじゃろうな。聖明の苦悩は」
アクアがコーヒーを淹れて、俺にカップを渡してくれる。
「サンキュー。
ま、遠い先を見通しても、見えないもんは見えねぇ。
とりあえず、目の前のことに集中しようぜ」
「そうじゃな! 私たちが悲観しても仕方ないのじゃ!」
二人で笑い合う。
アクアは切り替えが早くて、こうやって話しても、深く沈み込んだりしない。
……そこが、俺が尊敬しているところでもあるんだ。
「ところでのう。
今、仕事量が多いのって、書類の山だけが原因じゃなかろう。
聖明の親父殿が暴れておるせいじゃないのか?」
ジトーっとした目でこちらを見てくるアクア。
俺は深いため息をついた。
「思い出さないようにしてたんだから、やめてくれよおお……」
──そう。
今、一番の問題は、紅聖明の父・イヴァンさんだ。
俺が子どもの頃から憧れていた、最強で……最悪の“人害”の塊。
あの人、どう見ても普通の天使のはずなのに、いろいろおかしい。
魔力量そのものは平均的なはずなのに、撃つ魔法はなぜかいつも大規模。
一発ぶちかませば、地面がえぐれる。
そのくせ本人は「ちょっと抑えめにした」とか言う。
抑えてそれ!? 災害じゃん。
それだけじゃない。
拳一発で地面にヒビ入れる。
魔力じゃなくて、筋力だけでだぞ!?
意味がわからん。
なんなんだあの人の肉体構造は……。
しかも今回──聖明が拉致・拷問されたと知って、案の定キレた。
今回、聖明が襲撃されて拐われ、しかも拷問まで受けてたことを知ったイヴァンさんは……当然のようにブチ切れた。
事件に関与していたエクソシスト十数人は、あっという間に病院送り。
あまりの怒りで、本部に大魔法をぶっ放そうとしたもんだから、上層部が大慌て。
……で、止めるために施されたのが、悪魔や堕天使にしか使わないはずの“封印魔法”。
相手は天使。
天使に使うなんて聞いたこともない。
けど、他に止める手段がなかった。
しかもそれすら、筋力だけで突破してきた。
魔力の暴走じゃない。
封印そのものを「力技」で引きちぎってきた。
……なんなんだあの人。
いまは、さすがに聖明本人に怒鳴られて大人しくなってるけど……いつまた暴れるか、油断できない。
で。
その人が暴れたあとの尻拭いが、どこに回ってくるかというと──
そう。俺のところ。
各方面からのクレーム、破壊された施設への修繕費、被害者への慰謝料……
そのすべての書類が、ぐるぐる回って俺の机に積まれていく。
資料の山の半分以上が、イヴァンさんのせい。
「イヴァンさん、本っ当に頼むって!
これ以上暴れたら、俺が過労死するううう!」
「……紅家って、本当に化け物の巣窟じゃの……」
アクアが、ちょっと同情するような目でつぶやいた。
俺は再びため息をつき、コーヒーを飲む。──うまい……。
「よし、私はそろそろ仕事に戻るのじゃ!
龍も、無理するでないぞ……
聖明みたいに苦しむ友を、これ以上、見たくはない」
アクアが静かに言う。
彼女はいつだって、俺たちを見守ってくれている。
「おう、任せておけって!聖明は……まあ、セレスに任せてるけどさ!俺は大丈夫だ!ありがとな、アクア!」
「うぬ!ならばよし!」
そう笑って、彼女の小さな足音が遠ざかっていく。
「よし!やればいつか終わる!俺、頑張れ!」
俺は気合を入れなおし、山の書類と戦うことにした。
現場に出られない分、頑張らなくちゃな!




