第27話 セレスの覚悟(風真視点)
師匠が「用事がある」と言って、護衛任務中にも関わらず、珍しく聖明から離れた。
……聞くなら、今しかないかもしれない。
僕はそう思って、リビングにいる聖明に声をかけた。
「ねえ、聖明」
「ん?何?風真」
いつもの優しい笑顔で僕と向き合ってくれる。
でも……気になって仕方がない。
「ちゃんと、聞けなかったから、聞きたいんだ」
「どうしたの?」
少し不安そうな顔をする聖明。
「何で、師匠だったの?」
「え……?」
「聖明、この前……誘拐された日……帰ってきてくれた日に、僕の目の前で、その、師匠とキスしたじゃんっ!」
「あ………」
「二人は、そういう関係なの?」
聞いてる矢先から、勝手に感情が暴走しそうになる。
これがどういう感情なのか、僕にもよくわかっていない。
ただ、嫌だった。
師匠が聖明を好きなことは知ってた。
でも聖明は、それに応えることはない──そう思っていた。
……でも、現実は違った。
目の前で、あんな幸せそうに見せつけられるとは思わなかった。
「……ごめん」
「ごめんって何!?どういう意味!?」
気づけば、声を荒らげていた。
ダメだ、こんなのただの八つ当たりだ。
どうにか深呼吸をする。
「ちょっと、座って」
聖明は悲しそうな顔をしながらも、僕の目の前で正座した。
「聖明、ちゃんと説明してほしい」
僕は聖明の気持ちが知りたかった。
聖明は押しに弱い。
あんな幸せそうな顔をして……もし押され続けて、断れなくなって、それを「好き」だと勘違いしていたら……?
そんな関係であれば、許せないと思った。
「だから……ごめん。人前ですることではなかったと反省してる……」
「そういう話じゃない!」
また声を荒らげてしまった。
でも、感情が言うことを聞かない。
気づくと、背後から人の気配がして、ポンと肩を掴まれていた。
「風真、何をそんなに怒ってるんだ?」
師匠が、もう帰ってきてしまった。
……今は無性にこの顔がムカつく。
「原因は師匠だよ!」
「は?」
いつもの不機嫌そうな顔。
でも、もう見て見ぬふりはできなかった。
「今まで黙ってたけど、もう口出す!」
僕は師匠の手を払い、聖明に問いただす。
「聖明は本当にそれでいいの!?
師匠って、確かにカッコいいし、面倒見もいいし、仏頂面のくせにたまに優しいけどさ!」
……言ってて腹が立つ。
「……良いところしか挙げてないじゃないか」
「お願いだから、一瞬、黙っててってば!」
やっぱり師匠がいると話しにくい。
でも、ちゃんと聞きたい。
「聖明の気持ちは、本当に本物なの!?
本当に、師匠のこと好きなの!?」
本当に好きなら、それでいい。
でも、違うなら……きっと聖明は、いつか傷つく。
「どう見ても、聖明って女性大好きじゃん!!」
旅の途中でも、町中でもそうだった。
聖明は女性に対して、すごく優しい。
流れるように、さらっと歯が浮くようなことを言う。
それでいて、紳士的で、壊れ物を扱うように優しく触れる。
僕に対しても距離感は変だけど、女性に対してもやたら近い。
ジャンヌさんの時だって、腰に手を回して引き寄せていた。
しかも、あれは無自覚レベル。
本能的に「好き」だとしか思えない。
現に今の聖明は、自覚しているのか顔色が悪くなってきている。
「……風真、私は──」
「風真、それは違う」
師匠が言葉を遮って、口を開いた。
「それは聖明だけの問題じゃない。堕天使という種族そのものに、恋愛感情の欠如という特性がある」
「──へ?」
師匠がいると口を挟んでくるのは想像できた。
でも、この内容は想定外だった。
「堕天使はな……総じて貞操観念が終わってる!」
「ッッッ!?」
聖明も慌てた様子で、師匠を見る。
貞操観念が終わってるって……まさか……聖明も!?
女性好きっていうのも、ある意味、間違ってないってことか。
え、やだ……不潔だ。
そんなヤバい貞操について話すのかと思えば、師匠は真面目な顔で語り続けた。
「堕天使は闇に侵食されている分、感情が希薄だったり、欠如しているところがある。
特に“人を想う感情”、つまり恋愛感情が、ほとんどない」
貞操観念がない上に、恋愛感情もない?
じゃあ、師匠との関係って、何?
師匠はそれを知っていて、聖明とキスしたの?
それって……利用してるだけじゃ……?
「だったら、聖明も同じじゃないの?
その理屈だと、聖明は恋愛感情もないまま、師匠と付き合ってることになるじゃん」
──聖明が、傷ついたような顔をした。
肩も、少し震えているのが見て取れる。
「聖明」
隙をつくように、師匠は聖明を抱きしめた。
それはもう、当たり前のように──。
「セレス……」
「どうせ、しょうもないこと思い出してんだろ。
……終わったことを、いちいち思い返すな」
「……っ」
二人にしかわからない会話。
僕には、入れない……。
「……風真。
確かに、最初はそうだったかもしれない。
でも、今は違う。お前も見てただろ?」
師匠は静かに言葉を続けた。
「日に日に、表情が変わっていった。
態度も軟化して、よく笑うようになった。
あの緊迫した雰囲気は、もう消えてる」
それは……わかる。
出会ったばかりの頃に比べて、笑い方が穏やかになった。
最初は、僕に心配をかけまいと、安心させようと、そんな感情が見え隠れしていた。
自分がそれどころではないにも関わらず、だ。
「俺が言うのも変な話だけど……
聖明は、俺の想いを無下にせず、わからないなりに、ずっと考えてくれたんだ。
たくさん悩んで、苦しんで、俺のために傷ついて……それでも、答えを探してくれていた。
そして、自分なりの答えを見つけて──
その上で、俺を受け入れてくれた」
師匠の、気取ることのない素直な言葉。
「俺と同じ感情かどうかは、正直わからない。
でも……聖明がそれを“愛”だと呼んでくれるのなら、
俺は、その気持ちを信じたい」
本当に好きなのだと、わかってしまった。
聖明も、それを感じ取ったようで──
幸せそうに、それでいて覚悟を決めたような目で、僕を見る。
聖明の、声が震えていた。
「恋愛感情が、元々は希薄で……むしろ“理解すらできなかった”私だから、今の関係が“依存”だって言われたら……もしかしたら、そうかもしれない。
でも──
それでも、私は“セレスを愛してる”と、言い切れる」
聖明の言葉が、感情が、真剣だってわかってしまった。
でも、だからこそ──僕は怖くなった。
心配になってしまった。
僕は一瞬、顔を伏せた後、キッと師匠を視界に捉えた。
「……気持ちは分かった。
聖明がすごく頑張ったってことも、ちゃんと理解した。
でもさ──師匠って、別に“男が好き”なわけじゃないじゃん!」
僕の勘違いならいい。
でも、違ったら……やっぱり傷つくのは聖明だ。
「……そうだ。俺は、どっちかと言えば──いや、完全に“女”が恋愛対象だ」
そんな気はしていた。
でも、聖明の目の前でここまではっきり言うとは、誰が想像しただろうか。
思わず聖明を見る。
すると彼は、絶望したような顔で師匠を見つめていた。
──よくも、聖明をっ!
「だったら、なんでそんなに聖明に執着してるんだよ!
確かに、眼鏡を外せば中性的だし、義母さんに似てるってのも分かる!
でも、聖明は──ちゃんと“男”なんだよ!」
なんで聖明だったんだ!
女が好きなら女を探せばよかったんだ!
「本気で“愛してる”とか“恋してる”って言うなら、なおさらだ!
もしその気持ちが“執着”とか“依存”だったら──どうしてくれるんだよ!」
こんな本気にさせておいて、依存させておいて、ふざけるな!
「僕が怒ってるのは、そういうところなんだ!
依存で縛って、いらなくなったらポイッて捨てるつもりなんじゃないかって──!
だって、“恋愛対象”って、そんな簡単に変えられるもんじゃないだろ!」
聖明は物じゃない! 性欲の捌け口でもない!
僕の、大切な家族だ! 許せない!
たとえ、師匠が……セレスさんが相手でも、これだけは許せない!
僕は感情のままに声を荒らげていた。
そんな僕の言葉に対して、師匠はしばし沈黙した。
──次の瞬間、師匠から微かに闇の気配を感じ始める。
「……セレス……?」
「言いたい放題言いやがって、クソ弟子が……」
──っ!?
もしかしてじゃなくても、怒ってる!?
師匠の顔は、これまでにないほど恐ろしい表情で、鋭い眼光が僕を捕らえようとしている。
ゆらりと立ち上がり、ジリジリと歩み寄ってくる。
「……確かに、恋愛対象は女だし、野郎なんか興味ねぇよ。
最初の頃の聖明なんて、マジでめんどくさい奴で──注意しても誰とでも寝るし、何言っても聞きやしねぇ。
マシになったと思ったら、今度は毎日毎日、俺に抱きついてきやがる!」
うん!? 無茶苦茶怖い顔で、何を言い始めてるの!?
あまりの迫力に逃げ損ねた僕の頭を、師匠が容赦なくガシッと掴む。
「セ、セレス……っ」
「師匠っ!? 話ズレてきてない!? というか、頭掴まないで!!」
力強い! マジでキレてる!
「その上な……」
「話続けるの!?」
「いまだに服装が直らねぇ!
露出多いし、服のチョイスもおかしい!
前開きファスナー! インナーなし! 肩出し!
なんだそれ!
“脱ぎやすいから”って、馬鹿か!?
ビッチの感覚抜けてないのか!? あぁ!?」
だから、待って!? 何の話をしてるの!?
確かに聖明の服装は露出多いし、目のやり場に困る!
難ありだとは思うけど!!!
ふと、視界に聖明が入る。
死にそうな顔で、師匠に手を伸ばしている。
「し、師匠! もうやめてあげて! 聖明のHPがゼロに近い!!」
次の瞬間、師匠の表情が変わった。
「……だけどな──それも全部ひっくるめて、俺は“聖明”を好きになっちまったんだ……!」
相変わらず眉間に皺は寄っているけど、どこか泣きそうで、それでいて優しい顔だった。
ぱっと手を離され、僕は解放される。
「正直、俺自身、分かってねぇよ。 でも……仕方ないだろ。あいつの笑顔見て、惚れちまったんだ。 理屈なんてない。聖明が笑えば嬉しいし、泣けば苦しい。 男だとか女だとか、そんなもんどうでもいい。 “好きだ”“愛してる”って思ったら──俺は、したくなる……」
あまりにも酷い告白!
でも、その本気具合が滲み出ていて、思わず僕まで赤面してしまう。
「せ、セレ──」
次の瞬間、師匠は聖明に抱きついた。
「……これだけ愛した相手を、手放す気はない……ッ!」 「セレス……ッ」
震えるように、奪われないように、聖明を強く抱きしめている。
そこには、いつものような余裕もプライドの欠片もなかった。
ただ、ひたすらに“必死な姿”が、僕の目に焼き付いた。
……安心したと同時に、やっぱり少し嫉妬した。
僕には、こんなことできない。
思わず、ため息が漏れた。
「……僕が悪かった……。
こんな、師匠、見るとは思わなくて……ごめん、なさい……
でも、聖明は僕の大切な家族で……兄だ。
泣かしたら、許さないからな」
一瞬でも、絶望する聖明を見た。
できれば、あんな顔はもう二度と見たくない。
「……わかってる」
声は聞こえたけれど、師匠は聖明を抱きしめたまま動こうとしなかった。
代わりに、聖明と目が合う。
少し困ったような笑顔で、僕を見つめている。
そして、聖明は子供をあやすように、優しく師匠の背を撫でていた。
「セレス、ありがとう。
いっぱい言葉をくれて、いっぱい想ってくれて……
私に感情を教えてくれて……愛をくれて、ありがとう」
すると、少し掠れた声で、師匠が言った。
「……聖明……すまん……もう少し、このままで……」 「うん、いくらでも」
あまり、こういう姿を見ているのはよくないかもしれない。
僕は静かに、リビングを出ることにした。
最初は、驚いたし、嫉妬した。
聖明に向き合って、師匠にぶつかって、やっと気づいた。
──僕は、怖かったんだな。
聖明を、家族を、取られてしまいそうで怖かったんだ。
僕は、生まれてすぐに聖明に出会って、それからずっと傍にいた。
友達になって、家族になって、気づけば支え合っていた。
きっと、依存していたのは──僕の方だ。
僕も、成長しなきゃ。
兄離れ……しなきゃな。
……オヤジみたいにならないように、気をつけるためにも。




