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カゴノトリ  作者: 灯夜 雪


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第26話 過去からの復讐(前編)

【注意書き】

本作には暴力・流血、死と喪失、記憶操作、精神的トラウマに関する言及、性的描写(同意の揺らぎを含む)テーマが含まれます。体調にあわせて閲覧をご判断ください。

都市内にルリレージュという悪魔を抱え続けて、一ヶ月が過ぎている。

しかし、いまだ尻尾を掴むこともできず、警戒はしているものの、特に何かできるわけでもなく……俺たちは穏やかな日常を過ごしていた。


「聖明、コーヒー淹れたぞ」

「ありがと」


書類を広げて仕事中の彼のそばに、マグカップをそっと置く。

彼がそのカップを取ろうとしたとき、俺の手が思わず当たってしまった。


次の瞬間、彼はビクリと大きく肩を揺らし──コーヒーが溢れる。


「あっ、ごめん!」


驚いたように目を見開き、怯えるように小刻みに震える手。

以前に酷いことをしてしまったせいか、突発的な接触には過剰な反応を示すことがある。

毎回というわけではないが、聖明自身も自覚なく反応してしまうらしく、困ったような顔をしていた。


俺のせいだと思うと、胸が痛む。


「大丈夫か? 火傷はしてないか?」


震える手をそっと包み、目を合わせる。

徐々に彼の呼吸が落ち着いていき、荒くなっていた息が通常に戻る。


「大丈夫。ありがと……でも、書類が……」


机の上には、見事に茶色く染まった紙。

再生魔法があるとはいえ、染み抜きは案外手間がかかる。


「仕方ない。何の書類だったんだ?」

「次の講義で見せようと思ってた論文の写し。また資料を見ればいいから、大丈夫だと思う」


そう言って、彼は後ろの棚にある分厚い資料を手に取り、パラパラと捲り始めた。

その姿を見て、思わず彼を背後から抱きしめる。


「セレス……?」

「まだ俺が怖いか?」


たまにとはいえ、あの反応を見ると不安になる。


彼は本を閉じ、困ったような微笑みを浮かべて振り返る。


「大丈夫。怖くないよ」


そっと俺の頬に手を添え、キスをしてくる。

──まさか、聖明からキスしてくれるなんて。予想外すぎて照れてしまう。


「……最高」

「セレスは、わりと調子に乗るよね」


クスクスと笑う彼の姿に、少し安心する。


「聖明、もう一回」


そう言って、俺は彼を隠すように立ち、顎を引き寄せる。

赤面しながらも、彼は素直に目を閉じる──その唇に、もう一度口づける。


「ん……っ」


漏れた吐息に、体の奥が熱くなる。

彼の手から本が滑り落ち、縋るように俺の服を掴んでくる。


──ああ、幸せだ。


その気持ちを抱きしめるように身体を密着させると、彼の呼吸が荒くなっていく。

耳元に漏れる吐息。

このまま……してしまいたい衝動を抑えて、一度唇を離し、額にキスをする。


高揚した顔、蕩けた目元、求めるような視線──そんな彼が愛おしい。


「……セレス、あまり……ここでは……」


ここは、カゴノトリ闇魔法医療科の教授室。

誰が入ってきてもおかしくはない。


「そっちからしておいて?」


そう囁いて、もう一度唇にキスをする。

今度は、もっと深く──


力が抜けてきたのか、彼の身体が徐々に重くなり、俺に体重を預けてくる。

腰に手を回して支えながら、その背中を優しく撫でた。


「……ここじゃ、ダメだ……」

「今日は仕事終わったら遊びにでも行くか。どこがいい?」

「……あ、じゃあ、いつもの喫茶店……」


顔を赤らめ、小さく頷く仕草がたまらなく愛おしい。

本当は誰にも見せたくない。家に閉じ込めて、ずっと一緒にいたい。

そんな苛烈な想いに、そっと蓋をする。


「仕事中、その顔は誰にも見せるなよ。エロすぎる」

「……っ、そんなこと言われたって……よく分からないよ」


存在を確かめるように、彼の頭を抱き寄せる。

聖明から香る、温かくて甘い匂いが好きだ。


「髪、もう伸ばさないのか?」


彼の髪を撫でながら、ふと昔の姿が浮かぶ。


「伸ばしていた理由が理由だったから……。それに、今の私じゃ似合わないと思う」


昔は男女を惑わせるために伸ばしていたのは知っている。

当時は幼さが残り、より女性的だった。

今が似合わない、と思っているのは──大人になって、少し男らしさが増したからだろう。

けれど、こいつは自覚がない。

眼鏡で誤魔化していても、外せば相変わらずの美しい目と妖艶な微笑み。

大人の魅力が、溢れている。


「そんなことはない。今も好きだけど、長くても似合うよ」


これは素直な気持ちだ。

今でも十分に可愛い。

伸ばせば、また違った魅力があるのを俺は知っている。


「……セレスが言うなら、また少し伸ばそうかな」


照れたように、自分の髪を撫でる彼。

俺の言葉ひとつで、こんなふうに揺れてくれる。


……聖明は、この一ヶ月で大きく変わった。

まだ自覚はしていないが、明らかに俺を受け入れるようになり、

小さな言葉にも素直に揺れてくれる。

前よりも、優しく笑うようになった。


それが、嬉しくて──たまらなく、愛おしい。


だけど、同時に怖い。

このまま順調に進めば、きっと彼は“自覚”してしまう。


そうなった時、あの悪魔──瑠璃が、必ず動き出す。


奪われないように、守らなければならない。

もう、手遅れになどさせない。


俺は、ずっと昔に約束をしたんだ。

必ず、聖明を救うと。


「楽しみにしてる」

「ん」

「そろそろ仕事に戻ろう。写し書き、手伝うよ」

「ありがとう」


落ちた本を拾い上げ、彼に渡す。

聖明は嬉しそうに微笑み──

その笑顔を見て、俺は静かに覚悟を新たにした。



ーーー



「んーーー! 今日も疲れたー!」


18時を告げる鐘が鳴る中、聖明は席に座ったまま背筋を伸ばし、気の抜けた声を上げている。

あれから、書き写し・講義・通常の診察・闇魔法の研究など、忙しなく動き続けていたのだから無理もない。


俺も肩書きは“准教授”ではあるが、講義を受け持つ以外は基本的に聖明の補佐ばかりだ。

闇魔法研究も共同で行っているし、本来の俺の業務は、医療よりも“堕天使のパートナー”としての役割の方が重きを置かれている。

国としては、堕天使の暴走ほど厄介なものはない。

そのため、俺のような“パートナー”は堕天使の監視と管理が主な任務ということだ。


──まあ、俺は聖明を守れれば、それでいい。


「お疲れ様。約束通り喫茶店に行くか。 ゆっくりしたいだろ」

「うん! ちょうど新作のケーキ出すって、マスターが言ってたんだよね!」


柔らかな笑顔で両手を合わせながら、嬉しそうに言う姿に、俺もつられて頬が緩む。

そんな彼を見守っていた時、ドアからノック音が聞こえた。


──こんな時間に、誰だ?


「失礼します」


白い軍服……エクソシストの男がひとり入ってきて、ぴしりと敬礼する。

服装と動作からして、軍事部の人間のようだ。


「何の用だ?」


俺は警戒しながら問いかける。

嫌な予感しかしない。


「はっ! 軍事部第4部隊・中佐ネロ・グラディス様が、カゴノトリ指揮官である紅 聖明様にお目通り願いたいと指示を受け、お迎えに参りました!」

「……ネロ中佐が?」


さっきまでの気の抜けた表情はどこへやら。

聖明は、完全に“指揮官モード”に入った顔をしている。


このまま聖明に対応させるわけにもいかないな。

俺は、代わりに口を開く。


「そういうのは、事前に連絡を入れてから来いって、いつも言ってるだろうが」

「申し訳ございません! ですが、自分も指示を受けただけなので……!」


──ただの下っ端だな。

強く言ったところで困るだけなのは分かっている。

どうしたものか……。


「はあ……わかったよ。顔を見せればいいんだろ」


「おい、聖明」


聖明は立ち上がると、エクソシストのもとに歩み寄る。


「ごめんね、セレス。ササッと終わらせてくるから、少しだけ待ってて」


申し訳なさそうに振り返り、苦笑を浮かべる。


「待て! 今の俺は護衛でもあるんだぞ! 一人で行くのは──」

「大丈夫。リリーもいるから、安心して」


影からするりと、黒猫のリリーが現れ、聖明の肩にひょいと乗る。


「私もそこそこ強いんですよ?」


リリーが自信満々な顔で言い放つ。

──仕方ない……瑠璃もまだ動かないはず。

俺はため息をつきながらも、見送ることにした。


「ここで待ってるから、早く終わらせろよ」

「うん、約束したからね。すぐ戻るよ」


彼はエクソシストを伴い、ドアの向こうへと姿を消していった。




◇



虚しく、部屋の秒針がカチ、カチと鳴り響く。


「……はあ」


彼の言葉を信じて、仕事でもしながら待つことにしよう。

定時で帰れるよう努めてはいるが、探せば仕事はいくらでもある。


そうだ──学生のレポートを預かっていたのを思い出す。

早々に目を通すと決め、引き出しから取り出した。


闇魔法は一般人にとってあまりに特殊なため、学生たちも学ぶのに苦労している。

レポートを見れば、その困難さが如実に表れてくる。

授業をよく聞いている生徒ですら、理解が追いつかない部分では“通常の魔法学”を当てはめて考えてしまい、解釈を間違えたり、術式が危うかったりと──チェックすべき点は多い。


「まあ、いい時間潰しにはなるか」


丁寧に読み込みながら、気になる点や改善点をメモし、それぞれに点数をつけていく。

時折、突飛な発想をしている生徒もいて、磨けば光りそうな才能に思わず笑みがこぼれた。

元々、学ぶことは好きだ。こういう時間は、もはや仕事というより“趣味”に近い感覚だ。


──まさか、自分が“教える側”に立ち、生徒の成長を見守ることになるとはな。

不思議なものだ。

だが、教えることにも学びはあり、今となっては天職なのかもしれない。

……人嫌いは相変わらずだが、“教員と生徒”という枠に限って言えば、それほど悪くはないと思えるようになった。


そんなことを考えながら、また一つ、また一つとレポートのチェックを終えていく。

ふと気づけば、自分が担当する全てのレポートを見終えていた。

──没頭していたらしい。面白かったのだろう。


顔を上げて時計を見る。


20時──すでに夜になっていた。


……さすがに遅すぎる。

軍事部とはいえ、緊急時でもなければ定時はとっくに過ぎている。

今、軍部に残っているのは“夜勤部隊”くらいのはずだ。


「まさか……」


急に、胸の奥にざわつくものが走る。

瑠璃の件に気を取られていたが、敵はそれだけじゃない。

同じエクソシスト内の人間とはいえ、堕天使に良からぬ感情を抱く者は少なくない。

ましてや──聖明に至っては、昔から狙われる要素ばかりを抱えている。


堕天使の中でも稀に見る闇の保有量と、異例の転生によって、不死の種族の中では一番の若輩者。

今でこそ成長し表向きは隠されているが、かつては堕天使実験の被験体として扱われていたこともあり──その過去を知る上層部からの“ぞんざいな扱い”が、今なおエクソシスト全体に静かに浸透している。


近頃は聖明自身の活躍によって、邪な思惑を持って近寄る者は減ってはいたが……

──いないわけではない。


俺は足早にエクソシスト本部軍事部へと向かい、夜勤組がいると思われる部屋に足を踏み入れた──。



ーーー



「カゴノトリ副指揮官、セレスティーナ・ラファベルだ」

「……セレス殿?」


部屋に入ると、見知った女性がこちらを迎えてくれた。

彼女はエクソシスト軍事部の中でも新設された伝令部隊に所属する、ジャンヌ。

聖明との出会いをきっかけに本部へ異動してきたエクソシストであり、堕天使への偏見がない稀有な存在だ。

普段からカゴノトリと連携を取る際には、彼女の部隊を通じて密に連絡を取り合っている。


「ちょうどよかった。ジャンヌ、聖明を見ていないか?

第四部隊中佐、ネロに呼び出されて出ていったきり、戻っていない」


ジャンヌは眉間に皺を寄せ、少し考え込んでから口を開いた。


「それは……おかしいですね。カゴノトリの──ましてや聖明殿への伝達であれば、必ず私を通すよう手筈になっています。私はそのために本部へ異動になったんですから。それを飛ばして直接呼び出すなんて……ネロ中佐は一体何をお考えに……」


苛立ちが胸の内に燻る。

ジャンヌの言葉が示す状況は、あまりにも不穏すぎた。


「ジャンヌ、どうしたんだ? あれ、カゴノトリの……セレスティーナ?」


奥から様子をうかがうように姿を現したのは、ジャンヌのパートナーであるシャルルだった。

彼もまた、聖明と面識のある人物。態度こそ悪いが、他のエクソシストたちに比べれば遥かに良識がある。


「シャルル、ネロ中佐が独断で聖明殿を呼び出したようなんです。しかも、未だに戻ってきていないと……」


「ネロ中佐?

あの人、今日は非番のはずだぞ。第四部隊の連中が“鬼がいなくて今日は平和だ”って喜んでたから、確かだと思うぞ……?」


頭が痛くなるような感覚が、ずしりと心にのしかかる。


「では、いったい誰に──聖明は呼び出されたんだ? 確かに、軍の制服は着ていた」


怒りを抑えつつ問いかける。

だが、返ってくる言葉はどこまでも曖昧だ。


「俺に言われてもな……」


「シャルル、万が一のことがあるかもしれません。すぐに探索可能な人材を集めてください!……セレス殿、申し訳ありません!」


ジャンヌはシャルルに素早く指示を出すと、こちらに向き直って深々と頭を下げる。


彼女が悪いわけではないことは分かっている。

だが、俺自身も今は冷静でいられるほど落ち着いてはいない。


「……いや、今は聖明を見つけるのが最優先だ。すまないが、手を貸してもらえると助かる」


「承知しました。私は軍事部周辺を中心に捜索します。セレス殿は、聖明殿の足取りを調べてください」


「わかった。何かあれば、通信魔法で連絡を頼む」


手短にそう言い残し、俺は足早に部屋を後にする。


──まずは情報だ。

教授室を出た後の足取りを追うため、来た道を急いで引き返す。



ーーー



息を切らせながら、教授室へと戻る。

だが──やはり、そこに聖明の姿はなかった。


俺は聖明の席の近くまで足を進め、深呼吸をする。


「……まだ慣れてないが、やるしかないか」


意識を集中し、魔法陣を展開。

──闇魔法・追跡。


「……っ!」


激痛が身体を貫いた。

手を見ると、闇の刻印が浮かび上がっている。

俺は堕天使化したとはいえ、闇魔法の負担は他の堕天使よりも格段に重い。

少し使っただけで、すぐに刻印が浮かび上がってしまう。


「はあ……だが、発動はしたな」


聖明の魔力を辿るように、紫色の球体──ボヤのようなものが宙に浮かぶ。

精度が高ければ、過去の映像のように粒子が姿形を再現するらしいが……俺にはこれが限界のようだ。


ボヤはゆっくりと移動を始める。

それを追って、俺も足を動かす。


しばらくは軍事部へ向かう経路と一致していたが──

途中でボヤは脇道へ逸れ、まるで迷い込むように、ある部屋へと入っていく。


そこは、現在使用されていない空き部屋だった。

中へ入ると、球体はその場で停滞する。


「……魔力妨害を、ここでされたな」


ここで魔力の痕跡が断ち切られている。

つまり、何者かに襲われ、魔力の制御装置を取り付けられた可能性が高い。


──拐われた、ということか。


気がつけば、俺は壁を殴りつけていた。

拳から血が流れ、温かい液体が肌を伝う。


「護衛が聞いて呆れる……ッ!!」


瑠璃のことで気を取られすぎた……。

今の聖明に、人の手は重すぎる。

触れられるだけで過剰に反応するようになってしまったのは、俺のせいだ。


そのうえ、もし──

あいつの“トラウマ”に触れるようなことがあれば……取り返しがつかない。


……今すぐにでも、助け出さなければならない。


手がかりを探すべく、部屋を見渡す。

すると──物陰に、違和感のある魔力の気配を感じた。


「……隠蔽魔法か」


闇魔法で何かが隠されている。

ゆっくりと解呪すると、そこに現れたのは黒と銀のピンバッジだった。


拾い上げ、じっと見つめる。


「これは……」


見覚えがある。

今は廃止された、堕天使実験科学班のものだ。

黒い両翼──中央には、赤い宝石が嵌め込まれている。


……また、あいつらか。


あの組織は、瑠璃が死に、聖明が姿を消すまで、長い間聖明を実験体として弄び、苦しめてきた。

“不老不死の解明”や“闇の研究”など、大義名分を掲げてはいたが──その実態は国家ぐるみの暴虐だった。


大天使ミカエル直属の組織でありながら、ミカエルの目を盗み、何度も聖明を私利私欲のために傷つけてきた。

聖明の失踪後、不義を働いた者たちはミカエルの手で粛清されたはずだ。


……それなのに、まだ、懲りずに。


──まだ、あいつに手を出すのか。


……許さない。



心の奥底に芽生えた、確かな殺意。

その気配を察したように──部屋に女性の声が響く。


「セレス……すみません……油断、しました……」


物陰から、額に紫色の宝石をつけた黒猫がふらりと現れる。

──リリーだ。


「リリーッ!」


俺は駆け寄って抱きかかえ、すぐに様子を見る。

外傷はないが、呼吸が荒く、明らかに衰弱している。


「おい、聖明はどうした!?」


「主は……急に襲われ、恐らく……闇を注入されました……。発作を起こし、倒れ……その影響で、感覚共有している私も発作の痛みに襲われ、動けず……申し訳、ございませ……ん……」


……盲点だった。

いくら使い魔として防衛に優れていても、聖明が発作を起こせば、共有しているリリーにも同じ痛みが走る。


「発作以外に異常は?」


「わかり、ま……せん。ただ──咄嗟に主は、注射器を打ち込んだ人物に掴みかかり……ピンバッジを奪い、隠しました……」


「……あと、こうも言っていました。『ナーガの件を調べろ』と──」


ナーガの件。

聞き覚えがあった。


確か、俺と出会って間もない頃──

「実験でナーガの毒を入れられたが、耐え切った。そのせいで毒に強くなった」と、聖明は話していた。


あの件なら──詳しいのは、龍しかいない。


俺は即座に通信魔法を展開し、彼を呼び出した。


『……この魔力、セレスか?』

「龍、ナーガの毒について知っていることを、全部話せ!」

『……は?なんだよ唐突に。それ、国家機密の一つなんだぞ。誰から聞いて……』

「聖明が、“ナーガ絡み”で拐われた可能性がある!」

『……はああ!? 今のあいつを!? どんなバカだよそいつ……!』

「……当時、何があった!?」


『……少し待て。あれは……マッドサイエンティストが勝手にやったんだ。

無許可で、実験と称して聖明にナーガの毒を注入した。

激しい苦痛の末、偶然にも抗体ができちまって……。

だが、それが公になれば厄介だったから、資料はすべて処分された。証拠隠滅のためにな』


頭が痛くなる。

唯一の手がかりとなるはずの資料が、既に破棄されているとは──。


だが、龍は自称“天才”だ。

記憶くらい残っていてくれ。


「その科学者はどうなった?」


『無断だったから、全員解雇されたよ。記憶消去の処理付きでな。

ただ一人──主犯のマッドサイエンティストだけは、記憶操作に失敗して錯乱。

その後、再び聖明を襲おうとしたらしく、逆に殺された。

……聖明自身の証言だ。闇魔法の隠蔽を使ってたらしくて、痕跡は一切残ってなかった』


「記憶消された中に、不審な行動をとった者はいないのか?」


『……いたとしても、都市には戻ってこられない。

全員地方へ飛ばされたからな。

戻れば、ミカエル様の怒りに触れる。……ただじゃ済まされない』


……やはり、当時の関係者から情報を引き出すのは難しそうだ。

だが、記憶操作にも“綻び”はある。


カゴノトリにいればわかる。

記憶操作は完璧ではない。

些細な矛盾に違和感を覚え、本能的に“記憶を取り戻そうとする”者も存在する。


そうなれば──ゲシュタルト崩壊が起きる。


精神が保てず錯乱し、そのまま廃人となるケースがほとんどだ。

だが、もしその過程を乗り越え、正気を保った者がいたとしたら……

そして、そいつが今も息を潜めて、聖明に執着していたとしたら──


……嫌な予感がする。


「ん?待て。龍……科学者たちの親族はどうなってる? そいつらも記憶操作のあと、地方に飛ばされたのか?」


『あ、ちょい待て。それは今、調べる!』


通信の向こうで、龍がバタバタとデータを漁っている音が響く。

こちらは焦る気持ちを必死で抑え、深呼吸を繰り返す。

腕の中の使い魔も心配そうにこちらを見上げていた。


「リリー。お前、俺の影に入れるか? 実体化してるより、少しは楽になるだろう」


「はい……影にいる方が、幾分か楽になります……」

「じゃあ、入っておけ。何かあったら呼ぶ」

「……承知しました」


俺の影にそっとリリーを置くと、黒い液体のような影に包まれ、すっと姿を消した。

さっき言っていた通り、感覚共有しているのなら、今頃、聖明も苦しんでいるはずだ。

発作──あれを起こされたら、いくら強くても動けない。

くそ……なんで、あの時、一緒に行かなかったんだ……!


『セレス! データ出てきた!』


龍の声が戻ってくる。


『基本的にみんな地方に飛ばされてる! 実験内容を知ってる者は全員記憶操作済み!

けど──一人だけ、ここに残ってるみたいだ!

えっと……マッドサイエンティストの娘? ロクスタ・ガスリー。26歳。エクソシスト軍事部・第四部隊の少佐。

……は? 少佐!? なんでそんな地位に? 昇進速度も異常に早い……。

マズい、セレス。第四部隊の小隊は"毒を操る"ことで有名だ!

毒絡みで記憶が戻ってる可能性がある!

……最悪、実験内容を知っている可能性すらあるぞ!』


「その女、今どこにいる!? いる可能性がある場所、全部ピックアップしろ!!」


『了解! 今すぐ特定する!』


やっと、ひとつ手がかりを掴んだ。

必ず──必ず助け出す。

だから……もう少しだけ、待っててくれ──聖明。



ーーー



夜空の下、時計塔の上で鼻歌を歌う少女。

白銀の髪を風に遊ばせ、キラキラと輝く街並みを見下ろす。


「上機嫌ね、ルリレージュ」


そう言って暗闇から現れたのは、頭に大きな薔薇の大輪をいくつも咲かせた白髪の女性。


「あれ、麗(れい)さんも来たの?」


ルリレージュは楽しそうに瑠璃色の瞳を細めて微笑む。


「我らの末子が願いを成就しようとしているのよ?

見逃すわけないじゃない」


クスッと笑う麗(れい)の唇は、まるで血のように赤く、妖艶な輝きを放っていた。


「聞いて聞いて! この街の人って愚かなのよ!

少し囁けば、すぐに闇に染まるの!

おかげさまでお腹も満たされるし、何より──」


「何より?」


「兄さんを簡単にいじめてくれるの!

可哀想な兄さん。人と一緒にいるから、簡単に敵意にさらされる。

そんな奴ら、さっさと殺せばいいのにね」


麗(れい)はクスッと再び笑う。


「あら、そんなお兄さんが好きだって言ってたんじゃないの?」


「えー、人の頃の話はやめてよー。

私は気づいちゃったの! こんな場所に兄さんを置いておくくらいなら、私の側に置こうって!

いっぱい愛して、いっぱい気持ちいいこと教えてあげるの!

そのためには、恋を知ってもらわなきゃ!」


無邪気に笑うルリレージュ。

とても無垢で、純粋で、無邪気ゆえの狂気が、彼女の表情を満たす。


「そう、いいわね。今は何してるのかしら?」


「今日はね、バカな人たちを使って、兄さんの心を踏み荒らしてるところ!兄さんの過去、ぜーんぶ教えちゃった!」


「あらあら、悪い妹ね」


「兄さんの過去を最初に教えてくれたのは麗でしょ?」


「そうだったわね」


麗(れい)は口元を舐める。


「おいしかったわよ? 彼の闇」


「ずるい!!! 私も兄さんの闇が食べたい!」


「仕方ないでしょ? あなたを転化させてお腹空いちゃったんだから。

代わりに、闇で得た過去話は教えてあげたでしょ」


「まあ、いっか! きっと兄さんは今日にでも自覚し始めるわ!

そろそろお迎えの準備を始めなきゃね!」


ルリレージュは両手を合わせ、空中をスキップする。


「いってらっしゃい、我らの愛子にして末子、ルリレージュ」


「はーい、行ってきます!」


ルリレージュはそのまま地面に吸い込まれるようにして落ちていき、同時に髪の色と目の色が変化する。

そして、姿を消した。


「ふふっ、本当に最低で最高な舞台ね!」


女性の美しい笑い声が、夜の闇へと溶けていった。

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