第8話 殺人少女の願い(後編)
──エクソシスト支部 五日目
いつものように、僕は監視室で聖明を見守っていた。彼は僕の隣に座り、カルテをめくっている。その横顔はやけに白く、明らかに顔色が悪かった。
「……聖明、体調悪そうだけど、大丈夫?」
できることなら、今日くらいは休んでほしい。
「んー、ちょっと熱っぽくて」
「……。」
──きっと、また発作だ。
その話題に触れていいのか迷っていると、聖明はカルテをソファに置き、にっこりと微笑んだ。
「なになに? 心配してくれてるの? 風真は可愛いなあ〜」
突然抱きついてきて、僕の頭をワシャワシャとかきまわしてくる。
「わっ、や、やめろって!」
抱きついてきた彼の体は、いつもよりも熱を帯びていた。その熱に気づいた瞬間、僕の身体は固まり、どうしていいかわからなくなった。
そのとき、カウンセリング室と繋がるドアが音を立てて開いた。
入ってきたのは龍だった。片手に書類を持ち、こちらを見て口を開く。
「おい、聖明。レイナ嬢から伝言。今日は会いたくないってさ」
その言葉を聞いて、聖明は僕から身体を離し、龍に視線を向けた。
「……そうだろうねぇ」
「どうする?」
龍は珍しく真剣な表情だった。彼が聖明に向けて笑わずに話す姿を見るのは初めてで、僕まで緊張する。
それでも、聖明はいつものようにふっと笑みを浮かべて答えた。
「ま、それでも会いに行かなきゃね」
気だるげにソファから立ち上がり、龍の肩を軽く叩くと、部屋を出ていった。
龍はカウンセリング室の様子を見るために映像魔法を展開し、いつもの席に腰を下ろす。
映像の中、白いソファに腰掛けた聖明が静かに前方を見つめている。しばらくして、エクソシストに連れられた少女――レイナが現れた。彼女は露骨に嫌そうな顔をしている。
部屋に入ると、エクソシストは彼女の手錠を外し、ドアを閉めた。レイナは席に座らず、いきなり言い放つ。
「なんで来たの? 今日は会いたくないって言ったじゃない!」
感情を剥き出しにした怒り。それに対し、聖明は変わらぬ微笑みで応じる。
「私が会いたかったから来たんだよ、ごめんね」
「なんで会いたがるのよ!」
レイナの声が震える。怒りとも、混乱とも取れる表情で。
「また泣いてるんじゃないかって、心配したの」
淡々と、まるで当たり前のことのように聖明は告げた。その顔には、いつもとは違う、どこか余裕を感じさせる微笑みが浮かんでいた。
「~~っ!! あなた、女たらしでしょ!? 絶対そうよ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るレイナに、聖明は足を組み替え、目を伏せて、芝居がかった仕草で言った。
「酷いなあ、私、傷ついちゃうよ?」
「そんな平然な顔して、傷ついてるわけない!」
レイナの声はさらに荒くなった。
「何よ!」
「いやね。やっと演技しなくなったね」
聖明はまっすぐレイナを見据える。目を見開き、真剣な眼差しで。
「なっ……」
「初めて会ったときの君は、“殺人鬼”を演じてた。でも、今の君はただの女の子だ」
僕は思わず見入ってしまっていた。
確かに、最初の彼女は、まるで舞台の上で悪役を演じているようだった。不気味な笑みを浮かべ、全てを否定するように。
けれど今、聖明の一言一言に動揺し、感情を剥き出しにして怒鳴る彼女は、僕たちと変わらない、ただの少女に見えた。
「そ、そんなことない! 私は……ママもパパも、お兄ちゃんも殺したのよ。……人って脆いのね。いっぱい愛したかっただけなのに、簡単に壊れちゃった」
その言葉の重さに、僕は息を呑んだ。
「そうだね。人は脆い。心身共に、脆いものだよ」
次の瞬間、レイナが聖明の上に馬乗りになった。
「聖明!?」
僕の声は当然、カウンセリング室には届かない。
彼女は座っていた聖明の首に両手をかけ、締め上げるように叫ぶ。
「でも、先生は違うんでしょ? 壊れないんでしょ? 私の愛を受け入れてくれる? いっぱい愛しても平気よね!?」
そして――彼女は懐から取り出したフォークで、聖明の目を思いっきり刺した。
「聖明!!!」
もう、限界だ。助けに行かなきゃ!
僕は立ち上がり、カウンセリング室へ向かおうとする。
だが、龍がそれを阻むように、ドアの前に立ちはだかった。
「邪魔だ! どけ!」
「駄目だ。邪魔になるのは連れ、お前だ」
「何言ってんだよ! 不死だって痛みはあるんだ! 無傷じゃないんだよ!」
「それでも、だ」
僕は震える手で、再び映像を見た。
そこには──血まみれになったソファが映っていた。
聖明の頭からは血が流れ、腹部は深く裂かれ、臓物が飛び出している。彼は動かず、意識を失っているようだった。
その上で、レイナは聖明を抱きしめ、恍惚とした表情で笑っていた。
あまりの光景に、僕の血の気が一気に引いていく。
「先生、好きよ。温かい……ねえ、先生。まさか死んじゃった?」
「……。」
次の瞬間、聖明が彼女をゆっくりと抱きしめ返した。
「いきなりだな……死にはしないけど、痛覚はあるし、意識は飛んでたよ」
「本当に、死なないのね」
聖明の身体が徐々に再生していき、肉体が修復されていく。
「満足したかい?」
「ええ、とても」
聖明は手を離し、彼女の頬に両手を添えて、やさしく語りかける。
「……その割には、ひどく傷ついた顔をしてるじゃないか」
「……こ、これは……」
監視室からでは、レイナの顔は見えない。
聖明は彼女を膝に乗せたまま、優しく続ける。
「君は、愛されたいんだね。誰かに本気で愛してほしくて、相手を試してしまう。でも……それは、君が“愛し方”を知らないだけだ」
「ち、ちがう……私は一方的に愛せれば、それでいいの!」
「……怖がらないで。大丈夫だよ」
その瞬間、彼女の身体から力が抜け、ぐったりと聖明に凭れかかる。
「……精神、入ったな」
龍が低くつぶやく。
僕は不安に駆られ、叫びたい気持ちをぐっと堪えるしかなかった。
ーーー
ああ──聞こえる。レイナの声が。
「もっと深く、もっと深く。その日を……私に見せてごらん」
僕は彼女の精神に入り込み、記憶の奥底を覗いた。
まるで壊れかけたビデオテープのように、断片的な映像が流れ始める。
「なんで、そんなことするの!?」
怒りの声を上げる、どこかレイナに似た女性。
「この異常者……! なんで、こんな子に……!」
頭を抱える気弱そうな男性――彼女の父親。
レイナの腕の中には、小さな猫の死体が抱かれていた。
それを見て、怯え、取り乱す両親。
「……なんで、そんなに怒るの? 可愛がってただけなのに」
──可愛いから、愛しただけなのに。
何がいけなかったの?
彼女には、本当にわからなかった。
可愛いから、いっぱい触った。好きだから、抱きしめた。
でも、猫は動かなくなってしまった。
場面が切り替わる。新たなノイズとともに、別の記憶が流れ始める。
「異常者のくせに、身体だけは立派だよな」
──お兄ちゃんは、いっぱい“愛”を囁いてくれた。
だから許されると思った。愛することも、触れることも。
ああ……なんて酷い兄だ。
見ていられない……私は場面を切り替えた。
次に映ったのは──血に塗れた彼女の両手。
床には臓物が撒き散らされ、少年が倒れている。
「きゃあああああ! オリヴァ!!!」
崩れ落ちるように兄に縋りつき、泣き叫ぶ母。
「実の兄を殺すなんて! は、早く、エクソシストを!」
怯えながら、外へ駆け出す父。
……なんで、そんなに泣くの?
なんで、そんなに怯えてるの?
お兄ちゃんは──ただ、動かなくなっただけなのに。
「……愛し合っただけ、なのに?」
──“私”の声は、誰にも届かない。
昔は、パパもママも、たくさん「愛してる」って言ってくれた。
でも、いつからだろう。僕を化け物のような目で見るようになったのは。
「こんな子、産むんじゃなかった!」
どうして? どうしてそんなに怒るの?
どうして泣くの? 私は──いらない子なの?
──もう、いいや。
愛されなくていい。私は、私が“皆”を愛してることが大事なんだから。
……皆、愛してる。
部屋の中に転がる、肉片と化した両親。
足を踏み出せば、ぬるりと絡みつく家族の体温。
──ああ、温かい。
「これで一生一緒よ。大丈夫。私が、臓物の一つ残らず愛してあげるね」
──寂しい。寂しいよ。
誰か、私を……
愛して。
(殺して)
ーーー
「これが……君の本心か」
静かに告げる聖明の言葉に、レイナが絶叫する。
「いやああああああああ!!」
聖明の腕の中から無理やり逃れ、頭を抱えて発狂するレイナ。
いったい何が起きてるんだ……!?
「な、何が起きてるんだよ!?」
「……無茶しやがる」
龍がぼそりと呟いたその時、カウンセリング室からレイナの泣き叫ぶ声が響いてきた。
「見ないで!見ないでぇ!私を見ないでぇ!」
「大丈夫、大丈夫だよ」
血まみれのまま、聖明がズルリと立ち上がる。
そして泣き叫ぶ彼女にゆっくりと近づき、そっと包み込むように抱きしめた。
「パパ……ママ……お兄ちゃん……ごめんなさい、ごめんなさい……」
「うん」
「私……愛したかっただけなの。……でもわからないの、愛し方が……わからないの」
「うん」
「好きだから……いっぱい触れたかっただけなの……ごめんなさい、こんな子でごめんなさい……」
「……うん」
「先生……愛してほしい……」
「………うん」
その瞬間、レイナの身体に急激な変化が起きた。
手、足、顔――全身に闇の刻印が浮かび上がる。
「闇の刻印……!? 汚染されてないって言ってたじゃないか!」
「やっぱり、このパターンか! クソッ!」
僕が叫ぶより先に、龍はすでに謎の機械を手にし、聖明に向かって叫んだ。
「聖明! そいつは処刑対象だ!!」
映像機器に向かい、聖明は無表情のまま頷いた。
「……わかってるよ」
そう呟いて、彼はレイナの頭をやさしく撫でる。
「もう、大丈夫……好きだよ、レイナ」
「ありがとう……先生、大好き──」
聖明は、レイナに静かにキスをした。
そしてそのまま、闇の茨で彼女の心臓を貫いた。
茨を伝い、ぽたり、ぽたりと血が床に落ちていく。
聖明の腕の中で、彼女の身体は力を失い、だらりと手足が重力に従って垂れた。
「聖明!!!!!」
僕は龍を突き飛ばすようにして部屋へ駆け込んだ。
──そこには、静かに少女を抱く聖明の姿があった。
彼はそっとレイナを床に寝かせ、その額に手を添える。
「おやすみ、レイナ」
静かに、優しく、語りかける聖明の声が部屋に響く。
「お前……医者なのに、なんで……なんで殺してるんだよ!」
なんでだよ……聖明が、あんな女の子を殺してるなんて……なんで、なんで……!!
「……ごめんね」
振り返った聖明は、いつものように微笑んでいた。
その手から、闇魔法によって薔薇の花が生まれる。
部屋一面に咲き誇る黒薔薇。花びらが、静かに宙を舞う。
「ごめんね……私がしてあげられるのは、これくらいだ」
──どうか、せめて安らかに。
僕は言葉も出せず、震える身体で立ち尽くしていた。
その背後から、龍が入ってくる。
僕の前に立ち、聖明へと声をかけた。
「おい、聖明。こっち来い」
聖明は、ふらりと近づいていく。
「りゅ……後は任せた……」
虚ろな目で龍に近づいたその瞬間、意識を手放すように彼の腕の中へと崩れ落ちた。
「……お疲れさん」
何も言わず、驚きもせず。
当たり前のように、彼を支える龍。
そこにあるのは、長年連れ添った者同士の、当たり前すぎる光景だった。
「なんだよ、これ……お前、知ってたのか? 聖明がその子を殺さなきゃいけないって。わかってて依頼したのか!?」
もしそうなら、僕はこの人を──龍を、許さないっ!
聖明を支えたまま、龍は顔だけこちらに向ける。
「闇が本当にない人間なんて稀さ。大概は内に隠してる、巧妙にな。……聖明はそれを確かめられる数少ない存在だ。高確率でこうなることは知ってたよ。これも、堕天使の闇魔法医師の務めだ」
淡々としたその答えに、怒りが湧いた。
「ふざけんなよ! 医者に処刑人をやらせるなんて、狂ってんだろ!」
聖明は医者だ。人を殺すための道具なんかじゃない!
「……お前さ、一回、聖明と距離を置け。何の覚悟もないお前が近くにいても、こいつが不幸になるだけだ」
「はあ!? なんだよそれ、お前は全部知ってるってのかよ!」
「お前よりは知ってる!」
龍の怒声に、僕の体がビクッと反応する。
「お前がいたからこいつは戻ってきたんだ! あのまま逃げていれば良かったのに、よりによってここに戻ってきた……不幸になるとわかっていて、それでも戻ってきたんだよ! なぜかわかるか!?」
「……それは……瑠璃と、僕を……」
「――悪魔に作り出された人工天使」
「……!!」
僕の正体を……知ってる……?
「お前に普通の人権が与えられると思うか? こいつはお前の身の保証と引き換えに仕事に戻ったんだ。……お前はな、本来なら廃棄処分されてる存在だ!」
「……!」
「それを、こいつはエクソシストに──国に、一番上にまで掛け合って交渉したんだよ!
……クソッ、堕天使を欲しがるのは悪魔だけじゃない!
闇を扱えるってだけで、どんな種族でも喉から手が出るほど欲しがる! それだけじゃない、不老不死なんてな、解明したがってる奴らが山ほどいる!
そのために、聖明は、堕天使は、どれだけモルモットにされてきたと思ってんだ!! どれだけ犠牲になれば許されるんだよ!!」
モルモット……聖明が、そんな目に?
僕の、身を守るために……?
「……そんなの……知らなかった。……だって、闇魔法は……人の心を救う魔法だって……」
なのに……どうして聖明だけが……救われないの?
「――あぁ、救いだよ。……レイナにとっても、死は救いだった」
「…………」
「でもな……じゃあ、聖明は誰が救うんだ?
こいつは、大切な人のためなら、他人の命も奪える。何度でも手を血に染める。……今回もそうだ。殺すことが目的だってわかってて、こいつは仕事を受けた。従うしか、もう道がなかったんだよ」
さっきの──あの殺人現場が脳裏によみがえる。
僕の存在が、聖明を不幸にしてた?
僕が、聖明を……追い詰めてた……?
『兄さんを苦しめる人形』
──瑠璃の言葉が脳裏を掠める。
「僕が……存在するから……?」
龍は、聖明を抱きかかえたまま、力なくしゃがみ込んだ。
「……俺はな、聖明とダチで、兄弟だと思ってる。幼い頃から、聖明と瑠璃ちゃんと一緒に育ってきたんだ。……だから、幸せになってほしかった。叶うなら、今でもそう思ってる。なのに……!」
その姿を見ていられなくなって、僕は部屋を飛び出した。
支部の扉を開けて、ただがむしゃらに走る。
どこへ行く宛もなく、ただ──
自分の出生を呪いながら。
『僕は、聖明を苦しめるために生まれた人形だったのか?』
それをわかっていながら、なお甘えていた自分が許せなかった。
「風真様」
気づけば、黒猫のリリーが僕の隣を走っていた。
「リリー……」
僕は立ち止まり、彼女の姿を見つめる。
額のアメジストが、夕陽に照らされて静かに輝いている。
「どうか、お戻りください」
「……僕のせいで、聖明がっ……!」
きっと、僕がそばにいたことが、間違いだったんだ──
「大丈夫です。あなたのせいではありません」
「……でも……僕がいなければ、聖明が殺人を犯すことも……!」
リリーは静かに首を横に振った。
そして、真っ直ぐに僕の目を見て言った。
「主が選んだことです。あなたに責はありません」
「……」
「それに私は感謝しています。あなたに出会ってから、彼はよく笑うようになった。……それまでは死んだような眼で、何度も自殺を繰り返しては失敗し、絶望して……そんな彼を、あなたは笑顔にしてくれた。……あなたの存在は、聖明にとって、生きる理由になるほどの“救い”でした」
「……!」
聖明との日々が頭をよぎる。
何気ない会話。歩きながら交わした言葉。
時に手をつなぎ、肩を寄せ合い、笑いあった旅の記憶──
リリーは人の姿へと変わり、少し苦しそうな笑顔を見せた。彼女もまた聖明と感覚を共有しているせいか闇の刻印が浮き出ている。
「彼のしたことは、許されないことかもしれません。でも、お願いです。……彼を、独りにしないであげてください。私の言葉では届かない。……あなたの言葉でしか、彼の心には届かないんです」
僕の言葉が──聖明に、届いていた?
一緒に過ごした時間が、少しでも彼の癒しになれていたなら……
「……僕に、何かできるのかな」
「あなたにしかできないこと、です」
リリーの、優しくて強い言葉が、僕の胸に沁みた。
……そうだ、僕はきっと、これからも迷惑をかける。
でも、それでも、僕は──!
「リリー、ありがとう! 僕にしかできないことがあるなら、僕は僕なりに頑張ってみる!」
リリーは満足そうに微笑み、再び猫の姿になって僕の肩に飛び乗る。
絶対に、聖明を──独りにさせない。
僕は踵を返し、走り出した。
彼のもとへ、迷わずに戻るために。
ーーー
エクソシスト支部の部屋に戻ろうとすると、龍がドアの前で待ち構えるように立ちはだかった。
「逃げ出しておいて、よく戻ってこれたな」
鋭い眼光で僕を睨みつける龍。けれど、僕はもう引き下がる気なんてない。
「それでも僕は、あいつのそばにいるって決めたんだ!
僕の命は、聖明に拾われた。たしかに、僕は人工天使で、存在そのものが聖明を苦しめる人形なのかもしれない。
でも、こうして意志を持って生きてる!だから、僕にしかできないことをする!」
これは僕自身の意志だ。意志がある限り、僕だって──きっと、できることがあるはずだ!
「………クソ…瑠璃ちゃんと同じ顔で、同じようなこと言うなよ………」
龍は顔を手で覆い、ドアの前から退いた。
「……聖明なら寝てる。
あいつ、レイナ嬢の心を全部見るために、常時闇魔法で誘導してた。
それだけじゃない。完全に深層心理までダイブしてたんだ。
闇の負担が大きすぎて、発作まで起きてる」
手を下ろした龍は、今までとは違う、どこか憂いを帯びた瞳で僕を見つめた。
「あいつのそばにいるってことは、今後も見続けることになるぞ。
人の生死を、苦悩を……この地獄を」
龍は、きっと僕以上に、ずっとそばで聖明の苦しみを見てきたんだ。
「不安だし、正直怖いよ……でも、どこまでもついて行ってやる!
それは一緒に堕ちるためじゃない。少しでも救える可能性があるなら、僕はどうにかしたい!」
かつて僕を救ってくれたように、今度は僕が手を差し伸べる番なんだ。
龍は深く溜息を吐き、廊下の壁に寄りかかるようにして座り込む。
「やめだ、やめ!こんな損な役、俺の柄じゃねーよ……
……ワリィな。本当は八つ当たりだ。何もできないのは、俺の方なんだ。
あいつの悩みも苦しみも知っていながら、長年黙認してきた。
俺は……一緒に堕ちることを選んだ。
だから、お前が眩しくて……憎いよ」
そのとき、ガチャリとドアが開いた。
部屋から出てきたのは、汗に濡れた顔で、苦しそうな表情を浮かべる聖明だった。
顔や首、手にまで刻印が広がっている。
「ごめん、龍……風真……」
「聖明……!」
同時に、僕と龍の声が重なった。
一歩踏み出そうとした聖明の身体がふらつき、転びそうになる。
僕は慌てて駆け寄り、その体を支える。
その拍子に、聖明の眼鏡が廊下に落ちた。
「おい、無理すんな!また腹に穴開けてたんだぞ!」
聖明の体は異常なほど熱く、その目は焦点が定まらない。
「本当……私は、身勝手だね。
君たちが大切なのに、そばにいるだけで、こんなにも苦しめてる……
それだけじゃない。ごめん……レイナ。
救えないと知っていて、私の目的のために殺した。
彼女はたしかに赦されない罪を犯した……でも、ただ愛されたかっただけだ。
愛し方がわからなかった、ただの女の子だった。
そんな無力な子を私は……」
これは、聖明の心の奥底から漏れ出る独白だった。
「こんな罪悪感を持ちながら……同時に、羨ましかった。
死を受け入れることのできる彼女が、羨ましかったんだ」
だけど──僕は、そんな聖明の気持ちを否定する。
「いい加減にしろよ!
聖明の気持ちも、レイナの想いも、僕には到底理解できない。
罪はきっと消えない。これからも、ずっとその罪の分だけ苦しみ続けるんだと思う。
……でも、独りじゃない!
一緒に背負うことはできなくても、せめて頼ってよ!話してよ!
聖明のこと、龍も、僕も……
黙らないでよ!はぐらかさないでよ!
せめて一緒に、考えることぐらいさせてよ!」
気づけば、僕の目からは涙が溢れていた。
悔しい。悔しくてたまらない。
こんなにも僕は、無力で、頼りなくて……でも、それでも、少しでも、聖明の力になりたいんだ。
「風真……」
「──あーーーもう!こんなチビにここまで言われるなんて、恥ずかしいわ!」
突然大声を上げる龍に、僕はビクッと肩をすくめた。
「龍……」
聖明は、小さな声でその名を呟く。
「俺たちもいい大人だ!子供泣かしてないで、しっかりしねーとな!」
そう言って、龍は自分の頬をバチンと叩いた。
気づけば僕は、支えたままの聖明にしがみついて、大声で泣き始めていた。
「せいめいっ……せいめい……」
「ふぇ!?ごめんよ、風真……もう、凄い顔だな……」
「お前のせいだバカああああ!」
もう、感情がぐちゃぐちゃだった。
聖明の発作がどうこうなんて、もう知るか。
僕は思いっきり彼に抱きつき、泣いた。
聖明はそんな僕の頭を、優しく撫でてくれた。
しばらく泣いて、ようやく落ち着いてきた頃、聖明は龍に声を掛けた。
「……龍、レイナの遺体は?」
廊下に座っていた龍が顔を上げて答える。
「エクソシスト法に基づき、すぐにでも焼却処分だ。
まだ、カウンセリング室に放置してある。
お前の薔薇のせいで、誰も手が出せねーよ」
聖明は、少しだけ安堵したような表情を見せた。
「そうか……龍。……我儘、言っていいか?」
ーーー
──翌日。
エクソシスト支部の近く、町を一望できる高台で、僕たち三人は真新しいお墓の前に立っていた。
聖明はまだ発作が治まりきらず、立てる状態ではなかったため、僕が車椅子を押してここまで連れてきた。
そんな彼は、震える手でお墓に花束を添え、静かに黙祷を捧げる。
「……どうか今は、安らかに──」
目を閉じた聖明に、龍がぽつりと声を掛ける。
「……まだ、羨ましいのか?」
「少しだけね。でも、そんなこと言ってたら……風真に怒られちゃうから」
「当たり前だ!」
僕は思わず、変なことを聞く龍を睨みつけた。
龍はバツが悪そうに肩をすくめ、苦笑する。
そんな中、聖明がぽつりと口を開いた。
「ねえ、風真……聞いてほしいことがあるんだ。
私と瑠璃のこと……それから、私が犯した罪の話を」
それは、本当にかすかな、消え入りそうな声だった。
「……うん、聞かせて」
「……とても昔のことのように感じるよ。
とても、とても長い話になるけど──」
僕はこれから知ることになる。
堕天使の苦悩と、世界の矛盾を。
そして、瑠璃をはじめとした、いくつもの悲劇を──
次からは過去編に入ります!




