第四十一話『人を幸せにするのが技術』
ルコッチャから、話を聞く。
幼い頃に受けた、命に関わる大怪我。
そして目を覚ました時にはすでに傷は癒えていたという。今までずっと隠していたが、大怪我を追うと、勝手にあの姿に変化するのだという。
僕は少し考えてから答えることにした。
「ルコッチャ」
「うん」
「僕は怖いか?」
「? ううん?」
予想通りの反応に、僕は言葉を続ける。
「どうして?」
「だ、だってシオンはとっても優しい。それに武器も何も持ってない」
「どうしてそれだけで僕が非武装なんて思うんだ?」
「え?」
「僕は魔術師だぞ? 体内と空気中のマナを操り、凶悪無比の破壊力を行使できる人間だ。街中で巨大な魔術を使えば家屋も人もお構いなしに吹っ飛ばせる」
ルコッチャはびっくりしたように目を大きく見開いた。
それでも反論を探すように目をくるくるさせて考え込む様子。僕は言う。
「騎士は剣を持っているが、それが使われるのは善良な人々を守るために使われるものだ。ルコッチャは別に善良な市民を傷つけたいわけじゃないだろう」
「う、うん、けども……」
僕はそう言いながら……椅子に座っているルコッチャに近づく。
びくり、とルコッチャは身を震わせたけど……僕の接近を拒むために、その鋭い爪を振るう事もなかった。
そのまま手を伸ばすけども、戸惑った視線を僕に向けるばかり。
ルコッチャの顔に触れる。
「本当は背中を抱き締めてやりたいけど。今の君の髪は炎のようだから、ごめんな?」
そうして――先ほどの言葉を思い起こす。
両親を不幸で亡くし、一人狩りにいそしみ、そこで死ぬような怪我を負い……。
そして目覚めたら、仲間であるはずの大人の狩人に弓を向けられた。
泣いても、彼女に向けられた敵意の視線は消えなかった。それが幼心にどれだけ、むごい心の傷をつけたか。
この経験が、彼女の心を怯えさせている。理屈や道理でこの怯えをなくすことは出来ない。つまるところ、心に受けた傷を癒すには、時間が過ぎる事と、絶え間ない愛情しか存在しないと僕は知っていた。
「……かわいそうに。気づいてやれなくて、すまなかった」
びくん、と僕の腕の中のルコッチャが震える。
「弓で狙われて怖かったろう。それまで優しかった大人に憎しみと恐怖で見られるのはとっても辛かったろう」
「う、ううああぁぁぁ……」
彼女の黒い噴煙のような髪が少しずつ小さくなっていく。僕を抱き締めたくて、縋り付きたくて、甘えたくて仕方のないルコッチャの鋭い爪が、困ったように開閉した。とんとん、と背を叩く。
「大丈夫だ。僕は君を怖がったりしない」
「で、でも……でも!」
ルコッチャは首を振る。
それでも、彼女は無理だといわんばかりだった。どんなに気をつけようとも、鋭い爪は触れ得る全てを斬殺する。彼女の灼熱の噴煙は近づく人を焼殺する。殺戮兵器のような肉体を持った自分には、もう普通に愛し愛されるなど無理だと諦めている。
それが。許せない。
たかが異形の姿ごときが、人が幸せになる邪魔をするんじゃない。
人が「自分はもう幸せになれない」のだという、悲劇に諦めた絶望の顔が僕はどうにも我慢がならなかった。
どうにかして、ルコッチャの心に染み付いた絶望は振り払わなければならない。
彼女はもう駄目といわんばかりに叫ぶ。
「こんな手じゃ、もうシオンに触れられない!!」
「ちわ~す。ご用命に伺いました。革細工店です!」
そんな悲鳴を上げるルコッチャの叫び声に――まるで場違いな感じの男性の声が聞こえた。
あ、来た、レグルスさんのお仲間さんに言伝を頼んだお店の人である。僕は窓から顔を出すと早速お店から馬車でやってきた職人集団を呼ぶことにした。ルコッチャはきょとんとしている。
「初めまして、シオン=クーカイと申します。このたびはわざわざご足労ありがとうございました」
「いえいえ。あんな割り増し料金を払っていただけたんですから、多少は融通を利かせますよ」
そして中に入ってきた職人さんたちに泣き腫らした目を隠そうとしたルコッチャは――その鋭い爪を見せてしまう。
そんな彼女に最初こそびっくりした様子の職人さんであったが、気を取り直して頷く。
「仕事の内容は手袋と鞘でしたか?」
「はい。彼女の爪を覆い隠せて、爪の鋭さを封じ込める剣の鞘の役割を持った手袋を発注したいのです」
「分かりました。では採寸をさせていただきますね。失礼します」
そう言うが早いか、職人さんはメジャーを取り出してルコッチャの親指、人差し指、中指と順に爪の長さを計測し、用紙に書き込んでいく。
その情報を元に爪をすっぽり覆い隠す筒の形をした革製の鞘袋の内側に、強靭な防刃布をサイズに合わせて縫い始めた。
職人さんたちの反応に、ルコッチャは戸惑いながらもされるがまま。大人しく爪の採寸をした後、型を合わせて出来上がっていく手袋にきょとんとする。
「あ、あの。ど、どうしてこわくないの……?」
シオンが優しい事は分かっていた。けれども自分の鋭い爪を見てどうして初対面の職人まで、自分を怖がったりしないのか。
その言葉に職人は居住まいを正し、深深と頭を下げる。
「貴女が魔兵と泣きながら戦う姿を、遠目に見ていました」
「え?」
「わたしは直接助けられたわけじゃありません。ですが、わたしの家内が昼の最中、魔兵に怯えていたところ、貴女に命を助けられたのだと聞いたんです。……妻を助けていただき、ありがとうございます。
そう思っている人間はこの町に何人もおりますよ。わたしは貴女に感謝しています」
ルコッチャはきっと、今まで自分が嫌われ、恐れられ、怯えられるのだとずっと思っていたのだろう。
だけども、相手からはっきり感謝の言葉を伝えられて戸惑ったように僕を見つめた。
「ルコッチャ」
「う、うん」
「恐怖とは、無知から来るものだ。……幼い頃、君に弓を向けた大人の狩人は君の異形の鉤爪に怯えて恐れた。だから弓を向けた」
僕は言う。
「けれども今の君は違う。君は人々を守るために戦った。その鉤爪が八つ裂きにするのは善良な人々を傷つけようとする邪悪な存在のみだと、君は自ら証明してみせた。この町の人々みんなが、君は優しい女の子だという事を知っている」
そうこうしていると、革細工職人は、今度は新しい布を持ち出しルコッチャの髪に直接宛がって大きさを確かめている。
布の表側は女性らしい意匠だが、恐らく難燃性の材質で出来ているのだろう。内側の布地は常に水気で潤んでいる。水棲の魔獣の皮をなめしたものだ。それを噴煙を発する髪をぐるりと覆い隠すようにまわしていく。
「こ。これ高くない?」
「奥さん(予定)の身の回りのものに金を掛けて何が悪い」
「よい旦那様で良かったですね、お嬢さん」
ルコッチャの質問に僕が答えれば、今度は革細工の職人さんがにこにこしながら褒めてくる。
真っ赤になる彼女を見つめながら、彼女の……そのむき出しの凶器を覆い隠す鞘が完成した。職人さんが説明してくれる。
「手袋はお一人で脱げるように、お客様の意思で止め紐が締まり、緩むようにできています。
頭の覆い布は手袋の上からでも掴みやすいように工夫しました。……お嬢さん、人を幸せにする仕事を手がけることができて職人冥利に尽きます」
そう言って真摯な顔で、職人さんは頭を下げてくる。
報酬を支払い、相手が去った後、僕はルコッチャを見た。彼女は自分の鉤爪が、たいへんしっかりした作りの鞘手袋に包まれ、誰も傷つける事がない事を……まるで奇跡だと言わんばかりに喜んでいた。
僕は思う。技術とは、人を幸せにするために先人たちが積み立てた知識の蓄積だ。
異形の定めは、人を幸せにするための技術に敗北したのだ。
どうだ、見たか、運命とやら。
「シオン、シオンッ……抱いていい?」
ルコッチャは僕の返答を待つこともなく、その鞘手袋の中に包まれた手で、僕の背中に手を回す。
まるで機嫌の良い雌虎のように跪いて、頬を僕のおなかに埋めてこすり付けてくる。体こそ立派に成熟した大人なのに、振る舞いはまるで子供だと僕は苦笑した。
「前から分かっていたつもりだったけど、ルコッチャ。君、随分な甘えたさんだなぁ」
「あ、甘えたはきらい?」
「……いや、いいよ。ごめん」
考えても見ると、幼い頃、甘えたい盛りの子供の頃に両親を亡くした彼女。それから後はずっと長女として肩肘を張った生き方をしてきた。誰からも嫌われるような恐ろしい秘密を抱えたまま成長してきたのだ。
誰にも甘えることができなかったなら……僕に甘えることで、帳尻が合うのなら、ま、それでいいか。
ルコッチャは、僕のお腹に顔を埋めたまま見上げてきた。幸せそうであり、この幸せが信じられないようでもある眼差し。
「ねぇ……シオンは、どうしてわたしの爪が怖くないの?」
……鋭い爪を持った心優しい人。
僕が思い出すのは前世の映画。ハサミの手を持った心優しい人造人間。
最後はたった一人、町外れの山の上の屋敷で、愛しい人の彫刻を作り、雪を降らせる彼のこと。
僕は目を瞑って少し考えて、答えた。
「僕は……もし人生のどこかで鋭い爪の人と会ったなら、頑丈な手袋を送ってあげようと心に決めていたのさ」




