第四十話『満足する死』
「ドライゼン!」
「ドライゼン、あなたっ!!」
僕と、エクエスの声が同時に響く。
どうして僕らを庇ったのか、どうして命を賭けてまで守ってくれたのか。
胸板を刺しぬく魔兵の爪。傷は深い。素人目に見ても致命傷だと分かる。ドライゼンはまだ生きていた。だがじきに死ぬ事も分かった。顔は青褪め死相が浮かぶ。僕はエクエスに問いかけるような視線を向ける。だが彼女はもう、黙って首を横に振った。手の施しようもない……そういう事なのだろう。
けれども……僕は、瀕死でありながらもこの男の一番晴れやかな笑顔を初めて見た。こんな笑顔をすることのできる男だったのか。
エクエスは――静かに涙を溢して、ドライゼンの手を取った。
「どうして……あなたは、こんな事を?」
それは、僕も知りたかった。
僕の知る限り、この男はエクエスに迷惑をかけ、昼間から酒を飲んで暴力沙汰を起こしていた札付きの悪党だったはずなのに。
「わから、ねぇ……よ」
話そうとするたび、肺と食道に溢れる鮮血が、ごぼごぼと吹き上がる。
彼の衣服は鮮血で真っ赤に染まり、もう血の池のような有様だった。だがそれでも、ドライゼンは笑った。
「俺の心なんざ……俺にさえ……わからねぇ……よ」
それが男の、最後の言葉になった。肉体のあらゆる力を失い、エクエスの手からするりと男の手がすり抜けて落ちていく。
僕にとってはこの男は、乱暴で下品な唾棄すべき悪漢だったけど……けれども、生涯最後の最後で、きっと彼は――晴れがましい気持ちのまま戦ったのだ。
エクエスにとっても、それは同じだったのだろう。
ドライゼンは最後の最後で僕達の味方をしてくれた。どうしてなのだろう――と思っても、もう彼はその問いかけに答えてくれることは永遠にない。
それが、死だ。
彼の気持ちを永久に理解することが叶わないことがなんだか無性に寂しく思える。
エクエスはぽろぽろと涙を溢しながら言う。
「シオン。わたしにとって、彼はあまり良い思い出のある男ではありませんでした。
乱暴でお酒臭くて我侭な男。頭痛の種。けれど……心がねじくれる前は、普通の善良な男だったのかもしれませんね。
……わたしは彼の、こんな穏やかな顔を、生まれて初めて見ました。それが死に顔というのが、なんだかとても、残念です」
「……うん」
僕は頷いた。
彼の最後の言葉。彼自身にさえ自覚できない思いのまま戦い、そして死んだ。
死に顔はとても穏やかで晴れがましく、きっと満足して死んだのだな、と思う。死ねば仏だ。僕は両手を合わせて彼の冥福を祈る。
「ドライゼン、僕はあんたの事をきらいだったけど、最後の最後で少し見直したよ。
……悪かったな。できるなら、もう少し早く、さっきのあんたと話したかった」
僕も死ぬならこういう満足した笑顔で死にたいものだ、と思った。
幸いと言うべきか……カルサさんとダナンさんの二人は、驚くほど丁重に扱われていて、暴力らしい暴力も奮われなかった。
ドライゼン配下の手下たちも、バルギス男爵の無計画さに呆れており、『これは失敗するんじゃね?』と思っていたが、さりとて後で魔兵に襲われるのも怖くて逃げることも出来ず。
念のため捕まった時、刑が軽くなるようにという判断で、怪我一つ加えなかったという。
それでも悪漢に捕らえられ、体はともかく精神的に疲弊した様子のカルサさんとダナンさんが、冒険者達につれられ合流し、遠くにバルギス男爵が引き立てられていく中――メーコちゃんはドライゼンの遺体に気づく。
「シオンくん。あの人、死んでもうたん?」
「……ん」
メーコちゃんからすれば、ドライゼンは彼女を誘拐した悪人だ。怯えるのも無理はない。
けれども、メーコちゃんはそのままドライゼンの遺体を見ながら尋ねた。
「たぶん、ウチがこのおじさんと一番最後に話した人間やねん。シオンくん。……この人、最後はどんな様子やった?」
僕は答える。
「うん。僕とエクエスが危ないところを助けてくれた。とても誇らしげに笑って逝った。初めてみる、穏やかな顔だったよ」
「ほうかぁ……」
メーコちゃんは、両手を合わせて冥福を祈る。
「おじさん……おじさんは、きっとなりたかった自分に、ようやくなれたんやなぁ……」
今やもう町は夜。魔兵の出現と、人々の不安な様子で騎士団や警邏たちが巡回し、冒険者達は魔兵の首にかけられた懸賞金を欲してあちらこちらに顔を出している。
もう、首都ガランシューに起こった小規模の反乱は沈静化しつつあった。
もちろん……魔兵という凶悪な兵器がどこから沸いて出たのか疑問はあったが……今日は超疲れた。
エクエスはそのまま馬を使って父であるフェズン公のところへ。メーコちゃんは、監禁されて精神的に疲れている両親の元についていくらしい。
僕としてはベッドに寝転がって朝までおねむと行きたいが……やることが残っている。
「ルコッチャ」
「う。うあ?!」
僕はこっそりと逃げようとしたルコッチャの服の袖を掴んで逃走を食い止める。
「君。どこに行こうってんだ」
「う? あ、だって……わたしもう人間じゃない」
「人間じゃない、か。ま、確かに普通でないことは確かか」
背中には、まるで轟々と燃え上がる炎を背負ったかのような強烈な熱気。炎と噴煙と化した髪。
爪は鋭く、先ほども強靭な筋肉と頑丈な鱗で覆われた魔兵をすぱすぱと切断していたほどだった。僕は……とりあえず、レグルスさんのチームの人に伝言を頼むと、そのままルコッチャを引っ張っていく。
ルコッチャは困ったような視線を僕に向けてくるが、無視だ無視。
そのままお部屋の中に入る。
「ひどい、荒らされているな」
バルギス男爵の荒くれたちがスヴェルナ商会のあら捜しをして金目のものを探ったためか、あちこちがひどく散乱している。
死傷者がいなかったことが幸いか。人が無事ならどうとでも立て直せる。
「さて。ルコッチャは何で逃げようとしたんだ?」
「だ……だって」
つん、つん、と爪を突き合せて言葉に困った様子の彼女。言わなくても事情は概ね分かる。
彼女がどういう存在かは知らないが……どう考えても戦闘用の鉤爪、強力な噴煙の黒髪、優れた身体能力は普通ではない。高地人が皆そうなのか、あるいは彼女が特別なのか。いずれにせよ、火蜥蜴の氏族の長、ボアレス族長にはもう一度話を聞かないといけない。
「わたしの爪、とても鋭い。人を無闇に傷つける。……シオンの事を傷つけるかもしれない。そうでなくても、こんな手は不気味で怖い。
そうなったらシオンにきらわれる。……それはとても辛いの」
すんすん、と鼻を鳴らす音と共に、ぽろりとルコッチャの眼から涙が毀れる。
泣いている女の人は、見ていると辛い。僕は口を開いた。
「とにかく事情を聞かせてくれ。どうして、そうなったのか」




