第三十五話『不利は意地で埋める』
その時、駆け込んできた兵士が報告の叫び声を上げる。
「急報です! バルギス男爵が兵を率いてまっすぐ向かっているとの報告が!」
「……おいおい。エクエス、我が義娘よ、すまないが手心は加えられん」
それは、エクエスの血の繋がった兄を殺害するという意味だ。
「わたしは既にバルアミー公爵家の娘です。気遣わないでください、義父上」
エクエスは気にしないで、と言うように首を横に振る。
「こんな馬鹿げたことをするとはな……市街地戦だ。魔女の支援は今回ばかりは当てにできん。
ノザルス! 非戦闘員を連れて下がれ!」
「承知しました。ご無事の帰還を」
この場にいるのは数こそ少ないが、不利や危険と知りながらそれでも軍規を守って整列する精兵達だ。
彼らは皆、剣を収めると、それぞれ戦闘に備えて槍を握る。そして慣れた動作で次々と乗馬し――馬?
僕は目の前に連れてこられた馬に、しばし固まる。……う、馬。たてがみの綺麗で走る姿が美しい馬。……そっかぁ、そういやこの世界の貴族様なら乗馬は一般教養の範疇だよねー。僕にさまざまな事を教えてくれたモモだけど、さすがに乗馬を教える余裕はなかった。さすがの古代王国も食べるわけでもない動物を乗せる余裕はなかったのだろう。
ど、どうしよう! と思う僕の目の前でエクエスが凄く手馴れた動作で乗馬する様を見つめ――差し出されるエクエスの後ろに引き上げられる。
ちょっとほっとする。
「……エクエス、ありがとう」
「片手が怪我では満足に操れないでしょう。わたしがあなたの手の代わり」
よし、上手く馬に乗れないことを誤魔化せたぞ!
妻(予定)の前で恥を掻かずにすんだ!
「出るぞっ!」
フェズン公の号令と共に20名程度の近衛部隊が前進を開始する。
前方から見える集団。鎧兜はないが、数だけ多い無頼漢に毛の生えたような兵士達。だが一番異様なのは――その兵士達の周りを歩行する魔兵ども。そして中央に位置する、なにやら上機嫌そうな身なりのいい男。あれが首魁であり、火蜥蜴の氏族に迷惑をかけたエクエスの歳の離れた兄、バルギス男爵なのだろう。
「逃げずに良く来たなぁ、フェズン! この尊貴の血筋たる身が、皇室に敬意も払わぬ無礼者を手打ちにしてくれるわ!」
僕は彼らを見た時、まるで護送される死刑囚の群れのようだと思った。
周囲を固める魔兵に対し、無頼崩れの私兵たちは不安げな表情を浮かべている。無理もない。恐ろしい怪物達が目の鼻の先にいて、相手がその気になれば一瞬で殺されてしまうのだから。そして――中央で喚き散らしているバルギス男爵は、自分が餌である事を自覚していない生贄の豚にしか見えなかった。
フェズン公、そして近衛騎士たちは全員が下馬。その腕に構えた槍で陣を組む。
バルギス男爵の手勢は多い。百を少し越える数だろう。対し、近衛騎士たちは20名程度。
だが錬度で言うならバルギス男爵の手勢は善良な市民に対して暴力や恫喝をする事に慣れていても、生死を賭けた戦場を経験したものは一人もおらず。対して、公爵家えり抜きの近衛兵たちは、大陸全土を見回しても最精鋭と言ってよかった。
「さぁ、我が勇敢なる兵士達よ! 逆賊フェズンを誅殺するのだぁ、ふはははははは!!」
だがその命令に、私兵たちは進まない。戸惑ったように顔を見合わせるのみ。
甘い汁が吸えるからと付き従ってきたから、主人の命令に命を賭ける気概もない。数では自分達が上回っているだろう――だが、近衛兵たちは命の限り敵を殺すと眉間に力を貯めており、相手を気迫で圧倒していた。
「何をしてる、行け、行くのだ! それでも皇孫の血統、偉大なるバルギス男爵の兵士か!」
グアアアアアアアアアアアァァ!
バルギス男爵の私兵の尻を叩いたのは、主人の罵声ではなく魔兵の咆哮だった。
「ち、畜生! 進めええぇぇ!」「こ、殺さないと殺されるぅ!!」
まるで冷酷な督戦部隊から弓を射掛けられたかのごとく……自暴自棄そのものの勢いで突進してきたのである。
「シオン! エクエス! 狙うべきは魔兵だ!」
「承知しました、義父上!」
そして、実戦経験こそ豊富とは言い難くとも、フェズン公は人を見る目は確かだった。
敵の兵士は嫌々戦っているだけ。ならば彼らを崖から飛び降りるような自暴自棄な猛攻に駆り立てる魔兵さえいなくなれば、いずれ散を乱して逃走すると判断したのである。
「行きますよ、シオン! 夫婦初の共同作業です!」
「恥ずかしいなぁ! わかったよ!」
私兵どもと近衛兵が激突する。繰り出す槍が私兵の一列目を刺し貫いた。
槍衾にかかって死ぬか、後ろから魔兵に食い殺されるか。追い詰められた私兵の勢いは凄まじく――近衛兵達は突っ込んできた私兵の一列目の肉に食い込んだ槍を捨てて、即座に剣と盾を構える。瞬時に怪力の魔術を発動。一斉に盾を並べ、舗装された地面に放射線状の亀裂を走らせるほどの踏み込みと共に敵の第二列を殴打で吹き飛ばした。
「ひ、ひいいぃ?!」「く、クソ強えぇぇ!!」
敵陣に僅かな怯み。近衛兵達は攻勢に転じる。抜き放った剣を手中にてくるりと一回転。
帷子で包まれた掌で刀身を掴み、剣を握る柄をハンマーのように掲げる技法、殺撃の一閃。私兵たちは受けようとした剣ごと、あるいは盾ごとに粉砕され、あるいは凄まじい剛力で腕の骨、あるいは肋骨の区別なく粉砕されて吹き飛ぶ。血反吐を巻きながら死体が、あるいは死にかけが転がる。
その血みどろの血戦の脇をすり抜け、エクエスと僕の乗る馬が疾走。
「はいっ!」
手綱を握り、踏みしめた鐙で軽く馬のお腹を叩くエクエス。まるで人馬一体の騎兵の如くバルギス男爵を目指す。
「おのれエクエス! 皇孫の血筋でありながらあいつに従うとは、魂まで売ったか! ころせぇい!!」
「生かしておくだけで有害な人がどういうものか分かりましたよ、兄上!」
二人の間に兄妹同士、交友を暖めあう意思はない。
バルギス男爵は短絡的に魔兵に攻撃を命じた。
「胎動せよ、破滅のマグマ、我が心身を通し出でて業火の本質をとくと満たせ! 爆裂火球!!」
だが当然、それを馬の後ろにいる僕が黙っているわけがない。
移動はエクエスと馬に任せて練り上げた僕の魔術は火球となり射出――魔兵どもを巻き込んで大爆発を起こす。
バルギス男爵は――生きているな。効果範囲外だったか。
「ひ、ひいいぃ?! 誰でもいい、こ、殺せ! 奴をころ、い、いや近づけるなぁぁぁ!!」
目の前で人一人焼殺できる炎を見せ付けられ、恐慌に駆られたバルギス男爵が指輪に叫ぶ。
あれが魔兵を操る魔道具なのだろう。同時に――都市の各所で魔兵の叫び声が響く。そしてその咆哮は次々と、こちらに向かってくるのだ!
この時、僕は後で知ったのだが――魔兵を操る魔道具は、主人であるバルギス男爵の命令を忠実に実行した。
つまるところこの首都ガランシューのあちこちで騎士団と戦っていた魔兵全てに対して、僕とエクエスを殺せ、と命令したのである。
魔兵はその指示に従った。
今まさに騎士団と戦っていた魔兵は戦いを止めて、バルギス男爵を守るために走り出そうとする。
その動きを不思議に思いながらも、騎士団の兵士はこれぞ好機と一斉に追撃するため、覚悟していたよりもずっと少ない犠牲で魔兵を殲滅する事ができたのであった。
ナポレオン曰く『一匹の狼に率いられた羊の群れは、一匹の羊に率いられた狼の群れに勝る』と言うが、まさにそれを体現するかのような結果だった。
フェズン公も半ば戦死を覚悟していた窮地は、相手指揮官の無能のおかげで拍子抜けするほど簡単に解決してしまったのである。




