第三十話『疾走』
カマスのラゴンはバルアミー公爵領からの撤退準備を始めていた。
『魔王』の下僕である以前に、金の下僕である彼はこれ以上連合から金を搾り取ることができないと判断すると、冷静に脱出する事に決めたのである。
「ああ、しかしホンマに惜しい。あの少年を仲間に引き込めればなぁ」
大型飛翔船の中の自室で彼は呟く。
『魔王』の引いた絵図に従い彼は動いた。塩の輸入で暴利を得て収支としては黒字と言ってもいい。
しかし得た金よりも『得られるはずだった金』に固執する帝国屈指の大商人は残念そうに呟くばかり。
不意に、とんとん、とノックの音が響く。ラゴンは振り向きもせずに答えた。
「入れ」
「失礼しま、しま、しまああああああぁぁぁぁぁあ」
室内に入ってきた途端、使用人の一人は白目を剥き、口から泡を吹いていかにも尋常でない様子を見せる。
使用人の体に纏わり付く青白い霊体――間違いない。ラゴンは膝を突き臣下の礼を取る。だがそのでっぷりとした顔にはありありと不満が浮かんでいる。
「……魔王陛下。なんの御用ですねん。いい加減にしてくれなはれっ!! あんたの憑依の魔術はどれほど離れても会話が可能になる代わりに、あんたに憑かれたモンは例外なく死にますのやっ! 遺族への見舞金やら新しい使用人を見つけて教育を施す手間と時間がもったいないやあらしまへん!」
『ふははははははっ、相変わらずお前は金に対して忠実だ。しもべたちの中でも、わしを平気で怒鳴りつけるものはそうはおらんぞ。よいよい、無礼は許す』
使用人の言葉遣いも様子も一変し――地底の奥底で大陸に戦乱を巻き起こそうとする『魔王』の代理人にされた使用人は言う。
『……ラゴンよ、今回のはかりごとは完全成功とは行かぬが、失敗でもない。お前は投入した資金分は回収できたし、群島諸国では我が配下の『人狩り艦隊』は順調に奴隷を集めている。連合は塩の自給が可能となり、これまで連合寄りだった群島諸国の切り崩しもはかどるだろう。奴隷もバウンリップ公爵の人食い山の鉱山労働に使われる。おおむね……おおむねは……問題はない」
「……僅かに、ご不満があると?」
『左様』
魔王に肉体を支配された使用人は頷く。
『……火蜥蜴の氏族だったか? かつて我が『王国』が生物兵器を産もうとした研究の生き残りども。我が友が命を賭けて行った、儚い抵抗。
そ奴らと連合の間を取り持った――その小僧……ああ、名前はなんだっかな? ま、よい。その小僧が少し……ほんのすこぉし……気に入らぬ』
「まさか……」
『暗殺者を送った』
ラゴンは叫んだ。この冷酷無慈悲の拝金主義者は金を何よりも愛するがゆえに、その少年の知恵が生み出す膨大な金を理解できたしそれが失われればどれほどの損失になるか分かった為に、土下座までして懇願する。
「お、お止めくだされ魔王陛下! あの少年と会って確信しましたんや、あの少年の脳漿は金鉱山のきらめきを放っておりました! あれほどの才能、あたしの味方に付けることができたら必ずや大もうけできます!! あたしの金を、あたしの金になるかも知れない宝をそんな……!!」
『お前がそれほどまでに言うのだ。恐らく本当に綺羅星の如き才能の持ち主なのだろう。
……だがお前の言うことを聞く謂れが、このわしにあると思うか?』
ぐ、と言葉に詰まったラゴンは恨めしげに俯く。
『お前の策略どおり、バルギス男爵には魔兵を送った。これでそのスヴェルナ商会とやらは皆殺しとなる。
それに加え、ベルグンと光獣を送った。連合の飛翔船は全て燃える事になる。奴は目に映る全てを燃やすゆえにな』
それを言い終えると共に――使用人の体を覆っていた霊体が消え去り。糸が切れたかのように崩れ落ちる。
死んだ。確認するまでもない。ラゴンは忌々しげに呟く。
「せやが……魔王陛下。引き際は見誤ると火傷するんは商人の鉄則や。
せいぜい痛い目合うとええわ」
やるべく事がまた増えてしまった。
ラゴンは死体の片づけを命じるために別の人間を呼ぶこととした。
シオン=クーカイがフェズン公爵の屋敷で暗殺者に刺された同時刻。
歩くたびにふわふわした綿毛のような髪が揺れて可愛らしいメーコは、いつものように、にこにこした様子で買出しに出かけていた。
「えへへ」
思い出すのはあの日のこと。
シオンが記憶から失って凄く気になっている日だ。
自分と同じような立場の女の子が三人増えたことは最初の時からは想像できなかったけど、仕方ないかな、と思う。
「ルコッチャさんもミルカさんもこの辺には慣れたんかなぁ。火蜥蜴の氏族の人も増えてきたし」
……町を歩くと、褐色の肌の異国人がちらほら見かけられるようになった。
ギュス叔父さんの乗る縦横無尽号は岩塩輸送のために飛び回っているが、その際に火蜥蜴の氏族の……険しい山道を進む体力のない、若者や子供をつれた大人達が物見遊山も兼ねてやってくるようになった。
先日、ミルカさんもやってきた。今はこの町の中を、一族の大人と一緒に歩き回っているはず。
メーコは手元の袋に目をやりつつ考えた。いったん別行動しているルコッチャとはしばらく後で合流するつもりだ。
火蜥蜴の氏族の狩人、ルコッチャはふるさとから本格的に居を移してガランシューに移り住む。この騒動が終われば、ギュス叔父さんが縦横無尽号を使って嫁入り道具一式を持ってくるだろう。
ここ半年のめまぐるしい変化を思い、ふと空を見上げる。
ほんの少し日が翳り始める黄昏時。
世界が金色に染まるかのような強烈な夕焼け空。今頃シオンくんはエクエス様と一緒にフェズン公と晩餐をお呼ばれになっているのかな?
「シオンくんと初めて出会ったのは、夜やったわぁ」
今よりももっと夜も深けた頃に、ギュス叔父さんの船に乗っていた。
シオンと同じ13歳のメーコにとっても、とてつもなく濃密な日々がこの半年に集中している。
シオンくん。シオンくん。唇の中で言葉にせずに呟くだけで甘い気持ちで一杯になる。最初は女の子と見間違えた男の子。色々と謎めいていて、自分の事はあまり口にしたがらない。けれども、とても優しいというだけで好きになるのに十分だった。
経理や財政の勉強ばかりしてきたけど、これからは花嫁修業のほうもするべきなのか考えて、手元には捌きたてのお肉や野菜が袋の中に入っている。ギュス叔父さんは最近岩塩の輸送で火蜥蜴の氏族に足を運んでいて帰るのはもう少し後だ。
ちょうど良いので、料理の自習でできたご飯を叔父さんに食べさせて感想を聞くこととしよう。
そんな風に思っていた時だった。
がらがらと二台の馬車が路地を進んでいる。
そういうのは珍しくもない。メーコは気にもしなかったが――自分のすぐそばでいきなり扉が開き、中から凶相の男達が7名近く出てきたとなれば異常事態に気づいた。
中央の巨漢、酒臭さを漂わせた頭目らしき男が、じろりと酔眼でメーコを見下ろした。
「この餓鬼が、スヴェルナ商会の娘で、あのシオンとかいうクソ餓鬼の恋人か」
「……な、なんやのん……おじさん」
その雰囲気、非友好的を通り越してメーコに危害を加える気満々の巨漢に後ずさる。
けれども、まだ夜になっていない時間帯から酒を飲んでいることと……シオンくんに逆恨みをしているという事から、独断と偏見で目の前の粗暴な雰囲気の男がシオンと決闘騒ぎを起こしたドライゼンという男だと決め付けた。
そしてその偏見は全く正しかった。
「お前はあいつを呼び寄せる餌になってもらうぜ」
自分の周りを取り囲む男達。それを前にして逃げる事も不可能である、と考えるとメーコは震えながらも頷く。
恐らく下手に抵抗するよりも、ここは大人しく言う事を聞いておいたほうがいいと判断した。それにシオンくんは、自分が誘拐されたと聞けば必ず助けに来てくれるだろう。それは、絶対に信頼できる。
「……ひ、ひひ。そうだ、俺ぁ強ぇんだ。まともに戦えば俺が負けるわけねぇ。あんな餓鬼なんぞに負けるなんざあっちゃいけねぇんだ。
……畜生! おれぁ強いんだぞ! 負けねぇんだぞ! どいつもコイツも、男爵さえも俺を馬鹿にしやがってぇ!」
突如として大声で喚き始める男の姿に、これまで巻き添えを恐れ警邏を呼ぶだけで監視していた町の人間も、次第に見る目が険しくなっていく。
この時、手下の雑魚のほうがドライゼンよりも頭は働いた。悪事を働くなら手早くと考え、ドライゼンをそのまま馬車の一つに押し込み、メーコをもう一台の馬車に乗せる。
「おい、出せ!」
魔術の心得のある男が、馬に俊敏の魔術を掛け、鞭をひと当てすれば凄まじい勢いで馬車が走り出す。
そうして――付近の住人が現在進行形で進む犯罪に顔を青褪めさせる中、まるで空中から落下するような勢いで褐色の人影が降り立った。
「メーコ? メーコ?!」
火蜥蜴の一族の狩人であるルコッチャは町の構造を知りたくて一人で建物の屋根を散策していたのだが、暴力と悪意に満ちた男の大声に急を悟りすぐさまやってきたのだ。
仰天したのはその直後だ。すんすんと鼻を鳴らして臭いを嗅ぎ、凶悪なまでの酒の臭いと、恐怖と錯乱の臭いをかぎ当て……同時にたんぽぽのようなふわふわした優しいメーコの匂いを嗅ぎ当てて驚きで背を奮わせる。
「お、おい姉ちゃん! あんたさっきのふわふわ綿毛みたいな娘の知り合いかい?!」
「メーコ?! どこいったの!」
ルコッチャの喧騒に、道端の男は頷き馬車の去った方向を指差した。
「あっちだ!」
「ありがとう! 警邏の人に連絡をお願いします!!」
ルコッチャは頼るべき警邏もこの町のことも知らない。
そして危険な事態が起こった時彼女がどうしたかといえば、常にその恵まれた体力と腕力を生かして、真正面からの物理力で困難を打破せんとし、常に成功し続けた。
つまるところ、土煙を上げる馬車を走って追いかけることにしたのである。




