第二十九話『窮地』
「アッサッシンッッッ!!」
フェズン公の大声が室内に響く。恐らくは別室に控えているであろう近衛騎士を呼ぶ意味もある声だ。
ノザルス執事は咄嗟に前に出てフェズン公を庇う位置に動き。エクエスは立ち上がるものの間に合わない。
暗殺者の視線は僕一人に注がれている。
この場で一番死なれて困るのはフェズン公のはずだがどういう事だ、という疑問は今は脇に置く。
敵の動きは早い。
無詠唱の魔術でさえ間に合わない迅速無比の死の速度。一手の中に込められた斬殺の軌道を掻い潜るのは不可能に近い。
『魔術に頼るな』
その時、僕は考えて動いていなかった。
ただモモとの指導の中で何度も何度も反復練習し、肉体に染み付いた本能にすべての動きを委ねていた。
きらめく刃に毒は塗られていない。白刃に身を晒しながらも、僕の戦闘知性は安心さえ覚えた。毒がないならかすり傷で死ぬ事はない。それが、度胸を生んだ。
暗殺者は逆手に握ったダガーを下から神速で振り上げる。
『……ダガーの初撃は逆手に握り、抜刀と同時に斬りつけます。その一撃目はまず親指、手首を狙うことが多い』
恐らく今、僕は死に瀕している。でなければ白刃に身を晒した状態でこんな長ったらしい思考をしている時間などあるわけがない。
これが、臨死の集中力か。
脳裏に響くモモの声。僕は全速で腕を引っ込め――恐るべき速度でダガーの刃が腕を掠める感触を覚えた。僅かに切れて血が出たが、心臓の音と共に血流に溢れるアドレナリンが痛みも恐怖も掻き消していく。
どっどっどっどっと激しく響く音の震源は僕の心臓。肉体が死ぬまいと、生きようとしている。
前世の病弱な心臓とは違う。僕の心臓は生まれ変わった。
死んでたまるかという僕の気持ちに呼応し、細胞の全てが戦闘態勢に移行している。それがなんだか妙に頼もしかった。
僕は即座に動いた。素早く迫る暗殺者の腕を掴む芸当は僕にはできない。
自分の腕を盾にして喉と頭、急所を庇う生身の盾にする。少なくとも骨が、カルシウムの棒が刃の軌道を曲げてくれるはず。
だが、暗殺者の顔に浮かぶのは優越と嘲笑。
獲物の悪あがきにも似た、自分自身の腕を肉の盾にしたもろい防御。それをあざ笑うように振り上げた刃を心臓目掛けて突き込んでくる。
鋭く迷いがない。恐らくは心臓を守る肋骨さえも正確にすり抜ける自信があるのだろう。
脳裏に響くモモの教え。
『そこから頚動脈へのなぎ払い。もしくは刃を平に構えて肋骨の隙間へと刃を突き込み、切っ先を心臓へ通してきます』
……その時ふと、僕はちょっとした不安に襲われた。
心臓目掛けて繰り出されるダガーに対し、僕は腕一本を盾がわりに構えた。
腕は捨てた。僕が前世で読んだ時代小説では『刀を持った相手に素手で勝とうと思うなら、腕一本を捨てる覚悟がいる』とあった。
ま、それは別にいい。ここは治癒魔法もある世界だ。戦国時代の金創医なら切断以外に手の施しようがなかった重傷も、この世界なら何とかなる。
問題は暗殺者の渾身の一撃を、怪力の魔術を使う暇さえない小柄な僕が受け止め切れるのか?
相手の一撃は僕の腕を貫通し、それでも止まらず僕の胸板を刺し貫くのではないか?
死ぬのか。
とはいえ、臨死の集中力で思考速度が加速している今の僕にやれるのは、もはや運を天に任せるしかない。
「ッ……!!」
腕に、ダガーが刺さる。
痛い、いた痛い痛い痛いィィィ!!!!!
突き刺さったのは人差し指と中指の間の肉。
血中に溢れるアドレナリンも刃を突き刺された感覚までは誤魔化せない。最初感じたのは暖かい血肉の中に、恐ろしいほどに冷たいダガーの感触が肌を貫いて飛び込んでくる、ひんやりとしたおぞましさ。次いで火箸を突っ込まれたかのような壮絶な熱さの混じった激痛。
だが激痛で涙を流すよりも、脊椎に氷柱が差し込まれるようなひやりとした感覚が走った。
あ、いけない。これは心臓まで刺さる。そういう『死ぬ』という醒めた直感だ。
僕の手を刺し貫いても暗殺者のダガーは止まらない。その刃は僕の衣服を貫き、心臓目掛けて繰り出され――。
がちん、と何かに阻まれる感触が、僕の胸板に伝わる。
胸のポケットに入れていた何かが、僕にとっても敵にとっても予想外の装甲として 必殺の奇襲を凌いだ。
暗殺者の顔に一瞬浮かんだ驚愕――だがもう片方の腕にダガーを閃かせ、即座に新たな必殺の一撃を繰り出そうとする
だが……残念だったな、一手差で僕の勝ちだ。
死に瀕した絶体絶命の窮地を乗り越えたことにより、正常な知覚を取り戻した僕は自分の喉奥から発される怒号を聞いた。
「ああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
がしり、と掴んだのは――メイドに扮した暗殺者が持ってきていた給仕用のポット。
お湯で満ちた陶器製のそれを掴み、そのまま暗殺者の顔面へと思いっきり叩き付けたのである。
「ぐがっ……!」
暗殺者の女から発される声。獲物の思わぬ抵抗に隠しきれない苛立ちが溢れていた。
陶器製のポットは即席の鈍器と化して相手の頭に痛撃を与え、そのうえ中に溢れていた熱湯を浴びせかける結果となる。
恐ろしい事に――暗殺者が僕へと襲い掛かってから現実の時間では1,5秒か2秒ほどしか経過していなかった。
ダガーが魔術師殺しと仇名されるのも納得だ。一番早い無詠唱魔術であろうと、喉を裂き、心臓を貫き、刀身にこびりついた血糊を拭う余裕さえあるだろう。
一瞬の隙。
そして周囲の人間も黙っていた訳ではない。
「シオンッ!」
エクエスの僕の名を呼ぶ声は悲鳴にも似ていた。
彼女は魔力をそのまま得意とする凍結属性に変換し、強烈な氷風として暗殺者に叩き付ける。
暗殺者が如何に手練であったとしても突風を避けられるわけもなく、また衣服を塗らす湯は一気に身を切るほど冷たい冷気として暗殺者の体温をごっそりと奪っていく。
「殿下ッ!」
そしてこのタイミングでフェズン公の叫び声に反応した近衛兵が飛び込んでくる。時間にして最初の呼び声からおよそ八秒で隣室より駆けてきたわけだ。
奇襲攻撃で獲物を仕留めることが全ての暗殺者にとっては、これで詰みだ。
鎧兜でがちがちに武装し、警戒心バリバリで盾と剣を構える騎士には、もはや勝ち目などないだろう。
近衛騎士達は盾を構えたまま暗殺者の周囲を半包囲する形へと持っていく。
だが、暗殺者はまるで僕らをあざ笑うかのように、べぇっと舌を出す。
アレは――
「いけない、自爆魔術だ!」
僕の言葉に急を悟った近衛兵達は一斉に盾に身を隠し――次の瞬間、耳の奥まで響くような強烈な爆音が全てを圧した。
……耳なりがひどい。うっすらと目を明ければ、近衛騎士の我が身を張った防御のおかげで僕やエクエス、そしてフェズン公とノザルス執事の全員は無事だったようだ。
一番の被害は僕である。まぁ仕方ない、男の子なのでエクエスが傷つくよりは良いと思っとこう。
フェズン公は僕を見ながら、額に浮き出た冷や汗を拭った。
「あの間合いに踏み込まれた時はもう駄目かと思ったが、よくダガーの初撃を凌いだ。一人の男として敬服するよ。
医者を呼べ! それと人を出せ、先ほどのメイドに関して調べられることごとくを調べ上げろ!!」
「ハッ!」
近衛騎士とノザルス執事が駆け足で走り出す。
僕は近衛騎士たちの防御の隙間から……先程の自爆跡を見た。
恐らく最後の抵抗と機密保持を兼ねていたのだろう。人間がそこにいたという事が信じられないぐらい綺麗さっぱり……何も残っていなかった。
暗殺者だったとはいえ、遺体も残らない様子に背筋に寒気が走り……すると、エクエスが僕に抱きつき、身を放し、そして僕の血まみれの掌に目を向けてぽろぽろと涙を溢した。
「シオン、ああっシオン!! こんな、ああ、血が沢山……!」
「……エクエス。ああもう、ドレスが血まみれじゃないか。泣くなよ、女の子が泣くと男は大抵どうしたらいいのか分からなくなるんだ」
ついでに言うと、痛くて泣きそうなのは僕のほうである。
「ドレスなんてどうでもいいんです! あ、貴方が襲われて、頭真っ白になって、胸に刃が突き立った時、心臓が飛び出るほど怖くて、でも無事で……ああ、でも良かった!!」
そう言うと再び僕を抱き締めてむぎゅーっと強く抱き締め痛い痛い痛い泣きそう!
けれども口にはしない。僕の事を心の底から心配しての行為だったから、感謝こそすれ、断わる理由にはならない。
ドクドクと荒ぶっていた心臓の音が、窮地を脱したことを悟って少しずつ普段のリズムに戻っていく。
先ほどまでの、一秒を百秒に引き伸ばすかのような感覚を思い出して僕はぞっとした。いわゆる走馬灯、死に瀕したとき全てがスローモーションに感じられるとはああいうものだったのだろう。
「それにしても、良く無事だった」
フェズン公も僕の傍に膝を突き、敬意を込めて話しかける。
その視線は、僕の胸元に注がれていた。先ほど心臓へと繰り出されたダガーによってスッパリと切り開かれている。
恐ろしい切れ味だ。いまさらながらゾッとする。エクエスは未だポロポロと涙を溢しながらも、冷静さを取り戻せば疑問がわきあがったのだろう。尋ねてくる。
「ええ、そうです。……何か胸元に入れていたのですか?」
そう。
暗殺者の一撃は僕の命を奪うはずだった。だが胸に下げていたものが命を守る最後の盾となって僕の命を守ったのだ。入れていたものを取り出す。
クラウディア皇女(の巨乳渓谷)から下賜された、帝国の紋章が刻まれたペンダントが掌からぽろりと転がり落ちた。
「……お姉ちゃんに感謝しないとな」
僕は安堵の溜息を吐きながら言う。
相手が心臓に正確に切っ先を放たなければ、僕が腕を盾にして勢いを弱めねば、胸板を切り裂かれていただろう。
その――金属製のブローチへはっきり刻まれた傷跡に、フェズン公爵は感動したかのように声を震わせた。
「おお……まさしく天運があったのだ。神はまだ君に死んではならないと仰せなのだろう」
「かも……しれません」
僕は頷く。
本当はいけすかない帝国貴族と出会ったら、皇室との繋がりを示すこのペンダントを掲げて『この紋所が目に入らぬか』と水○黄門様みたいなことをする機会を狙ってずっと胸ポケットの中に忍ばせていただけなのだ。
僕の、死に物狂いの抵抗と、たまたまポケットに入れていたネックレスという天運は二重の守護となって死のさだめを覆した。全身の力が抜ける。なんだが今すぐ横になって眠りたい気持ち。
しかし――僕はなんとなく察していた。
暗殺者の狙いは明らかに僕一人。フェズン公に目もくれる様子もなかった。
そして恐らくはラゴンの仲間であろう『レーザーウェポン』を持つ敵も、群島諸国からの輸入妨害を諦め、姿を消した。次に狙われるのはなんだ?
敵が、戦術を変えたという事を僕は肌で感じ取り。
「…………」
僕がクラウディア皇女のくれたブローチを肌身離さず持っていたという事実に、エクエスが、なんだか不満そうな目で僕を見つめた。




