第二十二話『あらたな火種』
連合の盟主、フェズン=バルアミー公爵は窓の外に見える、陽光を浴び輝けるグラナダ湖の美しさに目を細めていた。
そして視線を返せば、公爵家の広間に着陸した縦横無尽号の姿がある。
開いた格納庫から降ろされるのは岩塩。次々と馬車に移し変えられ、グラナダ湖へと向かう岩塩を見てここ数日の不安の種が解消された事に胸をなでおろした。
「……全く、『地図』の件に加えて今度は開戦阻止とは」
フェズン公爵はやれやれと呟いた。
今回は秘匿しなければならない『地図』の件と違い、岩塩採掘の手柄は間違いなくシオン=クーカイとエクエスのものになるだろう。
まったく。義娘であるエクエスから事の次第を聞かされた時は血が凍る思いだった。
……岩塩はここグラナダ湖からそれぞれ飛翔船へと分けられ、公爵家のあちこちへと船を飛ばすこととなる。
そして飛翔船の離着陸場である各地の湖から更に荷馬車を使い、各村落へと分配されるのだ。
だが、とフェズン公爵は視線を縦横無尽号へと向けた。
これまでは湖のない村落では馬車での行き来が一般的だった。それも鬱蒼とした森の中や、険しい山々の隙間を縫うような道を使うのが一般的だ
だが、ある程度の広場があれば陸地に止める事のできる飛翔船がもたらす輸送革命は連合を大いに潤すだろう。
思索に耽っていたフェズン公爵は部屋をノックの音に向き直る。
「バルギス男爵がおいでになりました」
「通してくれ」
許可の言葉と共にどすどすと床を踏み鳴らす音と共に、厳つい壮年の男性がやってくる。
バルギス男爵。連合内でも有数の穀倉地帯を領土に持つ貴族だ。彼はフェズン公爵という肩書きに頭を下げるかのように、敬意のこもっていない仕草で頭を下げ――次いで、我慢の時間は終わったと言わんばかりに声を上げる。
「いったいどういう事ですかな!!」
「どうしたもこうしたも……」
ま。座れ、と席を勧めてからフェズンはこの語気荒い壮年をどうあしらうべきか考えあぐねていた。
本心を言えば、はらわたが煮えくり返る思いではあった。
実質的な戦闘行為は終息して久しいとはいえ、正式な平和が成っていなかった帝国との戦争や外交問題。フェズン公爵のみにしか解決できない問題は山済みで、それらを懸命にこなしているうちに国内の不正を見逃す結果となっていたのである。
「我が男爵領とあの蛮族共の交易を中断し、その上シオン=クーカイなどという聞いた事もない尻の青い餓鬼を交易相手にするとはどういう事なのですかっ!!」
バルギス男爵が火蜥蜴の氏族との交易で、彼らの無知に付け込んで不正に蓄財をしていたことは既に掴んでいる。
フェズンは、しらけた気分で、手元にある書簡を手渡した。それを読み始めたバルギス男爵の顔が見る見るうちに青ざめていく。
「まず、火蜥蜴の氏族自身からの厳重な抗議を受けたこと」
「……そ、それは……ば、蛮族相手ではこれが適性価格なのです!」
「そんな事を言っているから、彼らは真っ当な取引の相手をこの首都ガランシューに求めてやってきたのだ」
それに、と言葉を続ける。
「我が家も、貴殿のところには負担を掛けて申し訳ないとは思っていた」
「は……はぁ」
「他の家々が鉱山採掘で豊かな中、バルギス男爵領のみは耕作地帯で収入が少ない……などと思っているかもしれないが」
ぎくり、と言いたげな感じにバルギス男爵の顔が歪む。
これは図星だったか、とフェズンは内心の嘆息を押し殺すのにひどく苦労した。
「安全の保障と食料の安定した供給こそ国家の支柱だ。その要の一つ、農業を賄うバルギス男爵には毎年支援金の名目で纏まった金が払われていたはず。その金はどこに消えた」
フェズン公爵は自分の舌鋒が鋭くなるのを止める事ができなかった。
エクエスの言葉をきっかけに人をやり、調べてみれば山ほど出てくる後ろめたいこと。
バルアミー公爵家がバルギス男爵に資金の支援をしたのは、何も彼らに贅沢をさせるためではない。
「農具の新規購入。風車の修繕費用。農地開拓用の人手募集の資金。肥料の購入費。
我が公爵家全体を支える農耕こそ国家の要。そうと信じて支払った金はどこに消えた?」
加えて言うなら……先代のバルアミー公爵は、バルギス男爵家へ、エクエスを養子として迎え入れる際に多額のお金を支払っている。それに加えてこれまでの支援金をかんがみれば、もう少し彼らの財政状態は上回っていなければ困るのだ。
それなのに今回の一件で調査を進めれば……バルギス男爵の農地の生産力は向上していない。すべて彼ら一族の贅沢に費やされているとのことだった。
「し、しかし、わが男爵家は元より貧しく」
「貧しいことは恥ではない」
フェズン公爵はこれ以上彼の見苦しい弁明を聞きたくはなかった。
「だが、貧しさに甘んじることは恥じるべきだ。
……追って沙汰あるまで自宅で待機せよ。下がってよろしい」
バルキス男爵は少し項垂れていたが、フェズン公爵の言葉に込められた冷ややかな響きに身を震わせ、静々と退出する。
彼がいなくなってから、フェズン男爵は嘆息を漏らした。
「おのれ、あの若造めぇっ!! 我が家は神君の血を引くというのに何たる無礼なっ!」
フェズン公爵の命令どおりに、首都ガランシューの別宅に戻った彼は自室に引きこもると同時に罵声を上げて物に当り散らし始める。
そう。自分の歳の離れた妹であったエクエスは先代の公爵の頃に、養子として売ったことは確かだ。だが銀の髪を一房もって生まれたという事は、この連合の田舎貴族と嘲られるバルギス男爵が実は神君デュナンナータ公の血を引くという確かな証拠になる。
なお、バルアミー公爵家の初代はデュナンナータ公の息女を妻として娶ったことが公式文書にも記録されており、バルギス男爵などよりはっきり神君の血を引いていることが明らかだったが、彼の頭からその事実は都合よく忘れ去られていた。
「世が世であったなら、皇孫の血統として遇されるところを……たかが一公爵家風情が!」
とはいえ実際の権力も財力もたいしたものはなく、肥大化したプライドを満たせない。
『皇帝の血筋であるという事を口外してはならない』……現男爵と、エクエスの父である先代のバルギス男爵の間に交わされた契約ゆえ、口には出せない。もし口に出せば膨大な違約金を請求されるという誓約があるのだ。
貧乏な男爵領の主でありながらも、偉大すぎる大陸統一を果たした初代皇帝の血を引くという事実。
自分はもっと、素晴らしい地位と権力を握るべきなのだ。だからこそフェズン公爵が農業支援という名目で支払われた膨大な金銭も平気で贅沢に使い、それでもなお足りず蛮族とさげずむ火蜥蜴の氏族との交易品で不当な利益を得る事もした。
それが発覚した場合、重大な背信行為として処断される可能性は――バルギス男爵は考えてもいない。
その身に流れる神君の血があれば許されると愚かにも信じていたのだ。
もちろん――フェズン公爵はそこまで甘くも愚かでもない。
バルギス男爵へ自宅謹慎を命じた彼は、後で彼を処断し、バルギス男爵領を剥奪する決意を固めていた。
処断を後回しにしたのは塩不足が解決したとはいえ彼にしかできない仕事は相変わらず山済みで、またバルギス男爵が暴発する度胸もない小心者であると見きっていたからだ。
だからこそ、バルギス男爵という火種に油を注ぐものの存在がいれば……燃え広がることまでは予想できなかったのである。
そうして怒鳴り散らしていた主人に、執事が声を掛ける。
「旦那様、ラゴン様と名乗る商人が、お会いしたいと……」
「知るか馬鹿が、追い返せ!」
「それが……多額の献金をしたいと申しておりまして」
品位の低い主人には、品位の低い下僕しか揃わぬものなのか。
執事の卑しい笑みに、バルギス男爵は似たような卑しい笑みを浮かべて、「会おう」と答えた。




