第六話『思春期の馬鹿』
この世界で研鑽と練磨を続けてどの程度の時間が経過しただろうか?
前世で獲得した知識とはまた別種の航空テクノロジーに触れることはとても楽しく心踊る。
体を動かすのもいい。動きを繰り返し、肉体の動作が最適化され徐々に鋭くなっていく。
食事をし、運動し、学ぶ。
恐らく学生でなければニートにならないと許されないであろう、全ての時間を自分磨きに費やすことができる。
なるほど、僕はとてつもなく幸福であった。
大人になって、学生の時分がどれほど幸福な時間であったのかを知って、もう一度学生の時間を過ごすことができるのだから。
朝起き、目を覚ます。
衣服を着込み、袖に手を通そうとして……腕が入らない。
「あれ」
その時始めて僕は、時間と隔絶したかのようなこの『ムーンボウ』の中で、体が成長期に入るぐらいの時間が経過した事を悟った。
10歳の肉体年齢で目覚めて、3年が過ぎようとしている。
最近、モモが厳しい。
「どうぞ」
と、いつもと全く変わらない平坦な口調と共に差し出されるのは朝のお茶……ではなく、木で出来た模擬剣。
ダガー。
いつもの抜き打ちテスト……と、認識するよりも早く、僕の肉体は脊椎反射で動いていた。
至近距離からの抜刀術に近い神速の抜き打ち。ゼロコンマの速度で繰り出される奇襲を、腕を引っ込めて避け、同時にもう片方の手で読んでいた本を掴む。続けざまの喉笛へのなぎ払いを分厚い本で遮った。
モモはその場でくるりと可愛らしくスカートを翻しながら一回転――遠心力と共に角度を変えて斬りつけてくる。
「ふっ!」
死中に活。
僕は踏み込んだ。低い弾道を描くレスリングのタックルの動きで、頭髪を巻き込みながら頭上を薙ぐダガーを紙一重で避けつつ両手を伸ばす。その柳のように細い彼女の腰を引っつかんで押し倒す――そのはずだった。
だが突進を阻むようにモモの掌が大きく開き、僕の顔面を鷲掴みにする。普通に考えれば自動人形の筋力であろうとも弾丸のように勢いのついた僕の体重全てを片手で受け止められるはずが無い。なのに……まるで僕の突撃を見通していたかのように、モモは両足を開いて重心を落とし……僕のタックルに的確に対処したのである。
「詰みです」
「ぐえっ!?」
上から圧し掛かるように体重をかけられ叩きつけられて、地面と不本意な接吻を強要される。
痛みで呻くと共にダガーの模擬剣が、つん、と後頭部、脊椎の位置を突いた。これが実戦であったなら急所を刺されて一巻の終わりだったろう。
「くそぅ……ま、負けた」
「実力は向上しています。嘆くことはありません」
手中でくるくるとダガーを回転させながら、いつ見ても惚れ惚れするようなかっこいい動作で鞘に収める。
いつか真似してやると思いながら起き上った。
この3年、ずっと訓練はしてきた。
しかし僕は年月が経過し、体が大きくなってもいまだこのメイドロボに訓練で勝てた経験がない。
もちろんロッドでも、魔術戦でも、飛翔甲冑を用いた空戦であっても。
モモは事前に用意していたのか、打ち身の薬をガーゼに含ませ、僕の額にちょんちょんと付けた。
前世も含めた主観時間からすれば、もう半世紀以上も昔、母親にこうやって面倒を見てもらっていた事を思い出す。かといって……僕は肉体は13歳近くになったが、精神的にはもうおじいちゃんなのだ。気恥ずかしさはいつになっても消えそうにない。手を払おうとする。
「別にいいよ。自己再生の魔術を試すから」
「モモの仕事を奪わないでください」
しみるー……消毒液がぽんぽんと押し当てられるたびに傷口が疼いて痛い。
それでも、気恥ずかしさは消えないけども、他人からこうして気遣われるのが懐かしくて、何よりこうしている間モモが嬉しそうなのを感じて、僕はじっと黙っていた。
前世を含めればもう半世紀以上も昔の、母親に面倒を見られていた子供の時代を思い出し、郷愁に駆られてつい口を開く。
「ねぇ……お……」
「お?」
ある言葉を発しかけて、気づいて慌てて息を飲み込む。
僕はかぁっと恥ずかしさで真っ赤になって俯いた。なんてことだ。体が子供とはいえ……相手の事を一瞬『お母さん』と呼びかけただと?! いかん! それは恥ずかしすぎる!!
『お』!
そう、『お』!
『お』の言葉で始まる言葉! それを言って何とかしてこの急場を凌ぐのだ!
そう思い顔を上げる僕。
ちょうど、目の前にエプロンドレスに包まれたモモの形よい二つの膨らみがあった。
「なんでしょう」
「おっぱい揉みたい」
「…………………………」
「ぐわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
僕の馬鹿!! 思春期の馬鹿!! でもすみません! 目の前におっぱいがあったんです!
今の僕は女の子の体に興味心身な十代ボディの持ち主なんです! 性の目覚めの季節なんです!! 僕の中にかつては存在していた中学生ソウルが若い肉体に呼応して蘇ったんです!! だからそう、ごめんなさい!!
恥ずかしい、耳まで真っ赤になっているのが分かる!! 何を言われても恥ずか死ぬ!
真っ赤な顔を両手で抑えながらごろんごろんと左右に転がる僕。本能なのか、今すぐモモの目の前から消え去りたい僕は、たぶん呆れて何も言えなくなっている彼女から逃げようとごろごろ悶えながら転がって遠ざかり、しゅぱっ! と勢いを付けて立ち上がった。
そのまま、鍛えに鍛えた脚力と心肺能力にものを言わせて一気に駆け出し……。
がしり。肩をつかまれた感触。
いやあああぁぁん!!
しっかりと捕まえられて僕は心の中で悲鳴を上げる。
やめて! 次モモとあったらどんな顔をして会話をすればいいの!
今の僕にとってはモモは同居人であり師であり唯一の友人だ。
この時の僕の心境をなんと例えればいいのか分からない。親しい女性の顔写真をグラビアアイドルに張り付けた本を当の本人に見られた中学生の頃の気持ちか。あるいは母親にエロ本を机の上に綺麗に並べられた中学生だったあの頃の気持ちか。ところで僕、中学生の頃が暗黒時代すぎるだろ。
羞恥と共に感じるのはどうしようもない罪悪感。大事な人を性欲の対象と見ていたことへのいたたまれない気持ちだった。
嫌われたくない一心で言う。
「ごめんなさいごめんなさい変なこと言って……!!」
「すみませんでした」
「……へ?」
きょとんとした。
それは僕の台詞だ。なぜ君が言う。咄嗟に想ったのはそんなこと。
けども。その声に籠った嘆きに、僕は羞恥で悶えているよりも遥かに優先しなければならない事態の気配を感じて、モモを見つめた。
モモははっきりと表情に悲しみの色を浮かべていた。
僕は、言葉に詰まりながらも言う。
「ど、どうしてモモが謝るの?」
「シオンが……もう思春期であることさえ忘れていた……貴方が目覚めて覚醒し、もう3年近くが経過していた……。
肉体的に性に目覚める思春期が訪れるほどの長い時間、ずっと貴方を拘束していました。
ごめんなさい」
どうして。
どうしてそんな悲しそうな顔をしているのか。それが大変重要な問題であることを理解しつつある僕の手を取り、モモは言う。
「ついて来て下さい、シオン」




