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赤い秋空

 一瞬にして、空が真っ暗になる。


「盾に隠れろっ。」

 城壁の上で、萓講汎(ぎこうはん)は声を枯らしている。

 これほど大量の矢を彼は見たことがない。


(さすが(こう)州王閥檜(ばっかい)。我らが(かな)う相手ではなかったのだ。)


 ずどどどど


 萓講汎が革張りの盾に身を隠すと同時に、周りに轟音が響いた。夏の豪雨か、山塊ごと崩落する山津波か、はたまた南海の大嵐か、いや何れの災厄よりもこの衝撃は上回るだろう。そして同時に多くの悲鳴、断末魔の絶叫が、萓講汎の福耳をつんざいた。


 もう空は見える。

 抜けるような秋空だ。空を覆った矢箭が落ちたからこうやって空が見えているのだが、その矢が飛来した先には ― この蟋査斬(しっさざん)の城には ― 大きな被害が出ていた。

 鉄矢に貫かれ地面に串刺された武将、毒矢が抜き取れずどんどん紫色に染まっていく軽兵、そして火矢が突き立って燃え始めた武具(はこ)の山。

 籠城軍は、攻城側の斉射を受けて士気が低下している。


 眞暦(しんれき)1828年11月。

 虫州中部の要衝、蟋査斬城には前(こう)龍牙(りゅうが)蜥春尽(せきしゅんじん)が籠城していた。

 これを包囲しているのは、闔州王閥檜。攻城側六万に対し、城内の戦闘兵は既に五千を割る。


 盾の陰から、萓講汎はチラリと、城外の様子を探る。左目は眼帯に覆われているので、右目だけで観ている。

 塔楼が、雨後の竹の如くニョキニョキと立っていた。


(ふう。)


 こんなため息を何度ついたことか。東側城壁の上に並ぶ五百人中隊を率いているが、三日前にあの塔楼が完成してから、死傷者が続出し、今朝の時点で彼の隊は三百四十八名に減少していた。塔楼は十本、最上部は全て、こちらの城壁より高い。だから見下ろす形で矢を放てるので、鉄矢や火矢、毒矢の何れもその多くが萓講汎の部下たちをあやまたず直撃するのである。


 だが今、塔楼の上を観た所、控える敵の弓手は小休止の(てい)だ。


 萓講汎の右目がキラリと光る。

 そして、盾の陰から大声で叫んだ。

()隊弓手に告ぐ!朝礼予告の作戦を実施する。手筈通りだ!」

 閥軍の塔楼は大なれど鉄の装甲少なく、木材が露出していたから火矢で燃やせる、と萓講汎は踏んだ。そこで今朝の軍議で、隊の弓手に作戦を事前通達したのである。一で(えびら)から矢を抜き、二で点火、三で盾から飛び出すと同時に矢をつがえて照準を定め、四で射る。標的は正面の塔楼で、これは古くて所々木の構造材が剥き出しになっており、特に焼き打ちしやすいと考えたのである。


 時を置かずにいくぞ。

 隊の弓兵は今や59人、萓講汎は懐から右手で黄旗を抜き出すと、城壁上に散る彼らに見えるよう一人、すっくと立ち上がった。


 一回、左に黄旗を振る。

 と、同時にざざっ、と弓手等は箙から矢を抜き取る。

 今度はゆっくり時計回りに円を描く。二、の号令である。

 すると五十九人は慣れた手つきで鏃に取り付けた火薬部に点火しだす。少し間をあけて皆が揃うのを見てから、萓講汎は右に黄旗を薙いだ。

 三、の号令だ。


 だが、旗を振り切る前に、敵の塔楼から再び無数の矢が射下ろされた。


「うあっ、隠れろおっ。」

 萓講汎は絶叫しつつ、慌てて盾に身を隠した。途端に、何本もの矢が彼の盾に突き立った。また豪雨の雨粒のごとき音をさせながら。おかしい、射出の素振りは見せてなかったが。

 再び城壁は高い位置からの矢群に襲われ、周囲は矢唸りに包まれた。鼓膜が震える。


「くそー!」

 左右を見れば、萓講汎の号令で盾から飛び出してしまった弓手の殆どが射抜かれて、即死していた。そして手にしていた火矢を放り出した為に、方々で出火し、所々で延焼していた。


 盾の陰から城外をうかがい、敵の弓手にその後の動きがないのを確認すると、急いで走り出る。そして萓講汎は、事後策を部隊に発した。

「各十人隊の最下軽兵は、盾から出て火を消せ。息ある者もしいれば、近くの歩兵に引き渡せ。歩兵は負傷者を受け取ったら城内の救護所へ下ろすこと。その後は、再度城壁上に戻って盾裏に待機。以上、即座に実行せよ!」

 萓講汎は城内を見下ろす。城域の中央に城主の屋敷が建ち、(いらか)が秋の陽を照り返しているのが分かる。

 指示を行き渡らせるべく、カンカンと足元の(せん)に軍靴を叩きつけるように大股に歩いた。


 すると突然、足元の盾から一人の歩兵が突然立ち上がって、走り出した。十m程走って、一つの遺体を起こしておいおい泣き出す。

 萓講汎は、それを咎めた。

蟄揭(ちっけい)っ。だめだ、盾に戻れ。今、外に出ていいのは最下軽兵のみ。歩兵は、彼らに戦死者の遺体を託されたら、盾の外に出て良い。今言ったばかりであろう。」

 蟄揭と呼ばれた歩兵は、矢柄も黒金で出来た鉄矢にみぞおちを貫通されている遺体を抱いて、萓講汎を睨む。

「これは弟だ!私の唯一の肉親だ。弓手なぞになって、いやさ、蜥春尽なぞに従ってしまったが為に、こんな串刺しの(むくろ)になってしまった。」

 蟄揭も遺体も、目をひん剥き、眼球がウサギのように充血している。

 だが前者は今まさに怒りに燃え、後者は恨みを抱いたままうつろに固まっているのが、大きな相違であった。

「萓中隊長、あんたの失策だ。その黄旗を振り間違えて、弟は、弓手達は犬死したのだ!」


 脇に汗が出る。

 萓講汎は何も言い返せず、立っている。


 頭の中では何故か、ことここに至った経緯を反芻していた。怒りに燃える部下をうつろに見つめながら。



――――――――――――――――――――



 蜥春尽が蜂起した時はいけると思った。


 あっという間に虫州を制覇し、闔州にも雪崩れ込んだ。はせ参じた者も多かった。


 蜥春尽は閥家の宿老であり、闔州都相(としょう)府や同龍牙府といった軍事部門の要職を歴任してきた。特に閥野翫(ばつやがん)閃戴(せんたい)を含んだ塊協半(かいきょうはん)陣営との戦いで非凡な軍才を披露、時の闔州王閥養(ばつよう)はもとより、「穣界皇(じょうかいおう)美獣(びじゅう)までがその器量を高く買って、陪臣ながら別途褒賞を下賜したほどである。


 だが新闔州王、閥檜と相容れなかった。


 蜥春尽は閥檜による親殺し、そして州王位の簒奪について容認した。かの美獣を討った英邁なる新君主と認め、閥家の飛躍に期待した為である。しかし、ともにその後の閥家を運営するにつけ、閥檜の尊大な態度が鼻についてきた。宿敵だった閥野翫を厚遇したのも、肯定しえなかった。そして何より、密かに蜥春尽が心酔していた美獣と比較すると、新州王は矮小に見えて仕方なかった。

(かの穣界皇に認められたワシなら、あんな器の小さい小僧よりも)

 そんな自負もあったろうし、同じ不平不満を持つ者もまた、多くがこの歴戦の大将軍に期待して、彼の叛旗の下に集結した。


 しかし。やはり名家閥家の正統、かの穣界皇を打ち破った新州王閥檜は、強かった。虫州に唱えた蜥春尽の覇は長く続かず、閥檜による着実な用兵の前にその勢力は削がれていった。


 だが、蜥春尽が衰退した最大の因は、その背後に()州が居たことだろう。

 幕内にこの事実が知られた時、多くの将が蜥春尽に愛想を尽かし、閥家に戻ってしまった。


 庇州 ― 庇州王尼乎磊(にからい) ― である。


(しかし、よりにもよって、尼乎磊と。)

 萓講汎もそう思う。

 穣界を二分した「穣界皇」と「褐剣髯」の両雄を葬り、新たな時代を切り開いた庇州王と闔州王。どちらも若き名家の貴公子。辛酸を舐めてきた両州の人民は改めて自らの州に誇りを持ち、早くも互いに対抗意識を持ち始めていた。


「蟄揭よ。」

 ずい、と歩を進め、萓講汎は泣きわめく部下を見下ろす。

「わしの過ちは認めよう。確かに敵の射出を読み違えた。だが。」

 刀の柄に手をかける。 右目には殺意があった。


 五百人中隊の隊長なぞ、蜥春尽は歯牙にもかけていなかった。今は全体の軍勢が減った為、流石に隊の存在感は増しているが、それでも前龍牙の萓講汎に対する態度は変わらない。

「中隊長、この中隊だけがなんで城門防御という最前線に立ち続けてるんだ!監写登(かんしゃとう)の隊は楽ばかりしてるじゃないか。」

 蟄揭の喚きが、明らかに隊の動揺を誘う。誰もが思っていたことを、こいつは言ってしまった。

「黙れっ。」

「あんたが蜥春尽になめられてるからじゃないかっ。」

「蜥老龍眼への侮辱は許さぬ!」


 萓講汎は刀を抜いた。


 自分は最後まで蜥春尽に付き添い、彼の壮図に殉じるのだ。なめられようが、部下が死のうが、そしてあの老人が滅びようが。それだけははっきりしていた。

 口を食いしばり、あとはがくがくと震える蟄揭に向けて刀を振り下ろすだけ。だが、そこでつい、萓講汎は開いている右目で、城壁の内側を見た。


(ん?)


 城主府に火の手が上がっているように見えた。


 次の瞬間。

 ドン、と首に衝撃が走り、目の前が真っ赤になった。


(矢が、首を射抜いたか?)

(また、閥檜は射出してきたのか?)

 目の前で悪態をついていた蟄揭が立ち上がり、こちらに突進してくるのも、赤い視界の中に何となく見えた。


(斉射ではなかったようだ。隊の損害は少ないか)


 その後すぐ、萓講汎の意識は無くなった。

 彼が最後にその隻眼で見たのは、赤い秋の天蓋。死顔は穏やかな笑顔であった。







******************************************



虫州



挿絵(By みてみん)



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