圃氐、亡霊と断ず
ゴクリ。
冷え切った城門の内側。
圃氐には、固唾を飲む音が聞こえたように思えた。圃氐はそんなことをしていないから、隣に立っている近衛兵が喉を鳴らしているのかもしれぬ。
(それぁ、そうだ。公子に弓を引こうというんだからな。)
朝日はすでに高く昇りつつあったが、二月の空気に圃氐の吐息は白く、その分厚い黒鉄の甲冑が冷え切っている。そして、静かに並ぶ彼の配下千名大隊も皆、奥歯を噛み締め、拳を握り締め、酷寒に耐えている。兵たちの目は一様に鋭い。
ここ吠洞口は因州の西部、山岳地帯にあり、夏も涼しいくらいだから、今の時期は一年で最も寒さが厳しい。
そんな場所で圃氐は、夜の明けぬうちから軽装歩兵一千を整列させているのだ。何気無く、彼らの顔を見回す。
(左程動揺はないようだ。罪悪感も持ってないようだ。)
皆、引き締まって、精悍な表情である。
ともにこの田舎城を開拓してきた仲間だ。厳しい状況下には慣れている。
(そう。皆んなでこの城をここまでにして来たんだ。)
重く閉じられた石造の門扉を、血走った目で見上げる。高い頬骨の下は抉られたように窪み、陰翳が鮮やかだ。
特に意識もせず、圃氐は首に下がる首飾りに触った。小さな四角い黄金の板が朝日をキラリ、と跳ね返した。
眞暦1823年2月。
吠洞口城主の圃氐は、城壁の向こうに展開する因州公子軍に戦いを挑もうとしていた。
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彼が十四歳でこの城に流れてきた時、城門も城壁も無く、環濠がめぐっているのみの貧相な町だった。
圃家はかつて、因州で隆盛を誇っていた。圃氐の叔父圃韓は、因州の第一大臣である龍眼まで昇りつめた。
しかし眞暦1806年10月、圃韓は誅殺される。因州王美宜粽と図って、秦州に進軍する当時の因州公子美獣を、自らの牙城である國朶鎮に拠って食い止めんとしたが、木っ端微塵に殲滅された。そして捕まった老龍眼は城内で生きながら晒された上、八つ裂きにされたのである。
その後、美獣は秦州王を組み敷いて覇道を進み始めるわけだが、因州王美宜粽はこの獰猛な息子に頼み込んで、圃家の存続を認めさせた。美獣は自らに弓引いた家を、いくら重臣の家であっても、九族皆殺しにする意向だった。いつ何時、遺族がその沈澱した怨恨を破裂させるか分からないのだから、禍根を断たんとするのは当然である。
だが、美獣は圃家の存続を承諾した。
圃韓の背後に父、美宜粽がいるのを察し、だからこそ平衡感覚を働かせて、父を刺激し過ぎぬ為にその願いを聞き入れたのである。
結果として、圃韓の嫡孫、圃詩北は処罰されたが、他家の養子になっていた氐が呼び戻されて家督を継いだ。
(圃家への愛着が少ないと思ったのであろう。)
当然、圃家から大城の國朶鎮は取り上げられ、代わりに西方山間部の辺境 ― 吠洞口 ― をあてがわれた。
その後、圃家は過酷な租税と兵役を負わされ、龍眼など夢のまた夢、王府の要職など全く絶望的な、一介の田舎城主に成り下がった。
そして時は流れた。
圃氐が地道に農政と職人招致に邁進した甲斐あり、吠洞口はいつしか因州でも有数の富裕の地になった。一方、昨年の盪関の戦いで因州美家が壊滅し、定まりかけた穣界の乱世は振り出しに戻り、震源地たる因州も急遽空白地となってしまった。
「圃氐に告ぐ。」
昨日の使者は、そんな時節柄やってきたのである。
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「圃氐よ。賊に啻万麓を占拠された。よって、今よりここを臨時に因州王府とする。」
美豕の家臣、困秋渭はひどく威丈高だった。
「公子の命だ。」
とも言った。
蔑んだ目で、圃氐は使者を見つめていたものである。困秋渭の鰓が張った顔面と、ぶくぶく太っただらしない体は、見ているだけで苛立ってくる。
嫌味でも、ぶつけてやろう。
「美豕様は州王に就かぬので?」
「皇室からおいおい勅が来るだろう。」
困秋渭は、呑気そうに返答した。
十六年前、同じく公子という立場だった美獣であったら、考えられぬ事態だ。因州美家にとって、啻万麓がどれ程大切な城であるか。美獣はどんな遠方に出征していても片時も啻万麓から心を離さず、信頼できる将を残して頻繁な報告を申し付けた。それを美獣の嫡男、美豕は賊なんぞに奪われたというのである。誰もが今の公子は「穣界皇」美獣に敵わぬことを知っているが、しかしそれにしても酷過ぎる。
だいたい圃氐の祖、「紅雪府長」圃午が啻万麓を守り通した、かの伝説はどうなってしまうのか。
「ふむ。しかし感動ですな。将軍の姉上と穣界皇の絆は、主従を超えた特別なものでした。それが、代が替わって、美豕様と困秋渭殿が変わらぬ強固な紐帯で繋がっている。啻万麓を失い、因州がこのように乱れに乱れてもなお、将軍は美豕公子に寄り添っておられる。不変の忠義、いや、素晴らしい。」
我が家にも変わらぬ怨恨がある。
代が替わっても、決して忘れぬ憎悪が。
「しかし、ここが議堂か?」
「左様で。」
「これでは、あまりに殺風景であろう。因州王公子を迎え入れるのだ。無礼無きよう、整えよ。王座が要る。緞帳が要る。礼法に則って、全てな。」
「ぐぬ」
そうか。
因州王府に従属する田舎城主ずれは、当然王家に家屋敷を提供せねばならない。
断ることなど、この男には思いもよらぬのだ。
困秋渭は、圃氐の声にならぬ呻きを聞き咎めた。
「田舎城だものな。仕方ないか。日数はやろう。」
勘違いをしているようだ。こちらの心中など御構い無しで話を勝手に進めていく。
「いや。この二月の寒風に、皆さんを長い時間吹きさらさせておく訳にいきませぬ。明朝、開門します。そこで回答しましょう。」
「そうか。無理はするなよ。いい加減な装飾では、かえって気分を害されるからな。もう一度言うが、時間はかけて良いのだぞ。」
困秋渭の惚けたような四角い顔を、ぶん殴ってやりたくなる。
「それぁ、もう。無理なんかしませんよ。」
圃氐は、ぞんざいな口ぶりで言い返す。しかしそれには何も感じないのか、困秋渭は喉の白い贅肉を震わせて、重そうに右手をあげて、部屋を出て行った。
入れ違いに娘の圃殖が入ってきた。十二歳になるが、同年代の中では背は低い方だ。
「父上。聞きましたが、何ですか今のは。」
だが気性は、激しい。
「立ち聞きか。」
「いえ。。。まあ、そうですが。しかし、父上。。。」
「やかましい。黙れ。」
言いたいことは分かる。恐らくは自分と同じことを考えている。それならそれで黙ってられないか。圃氐の考えを甲高い声でべらべらと喋られても困るのである。父の意向を慮った上で発言を控える ――
(十二歳の子供には酷か。)
ぴしゃりと制せられた圃殖は、思わず議堂の入口に立ち尽くしているが、圃氐はそれへ、吐き捨てるように言い放った。
「殖。文武十将を集めよ。すぐだ。」
「はい!」
仕事を言い付けられて、圃殖はほっとしたのか、元気に返事した。カンカン、と駆け去る沓音が速い。
(まだ子供だ。だが案外、早いうちに使える女になるかもしれん。)
そして、娘が集めた諸臣を前に方針を伝え、未明の出陣準備の後、城門裏に一千人部隊を伏せさせ、今に至っている。
圃氐は白い息を吐いて、言う。
「閂を抜け。」
小さな声だが、下知は即座に実行に移され、音もなく閂は抜かれた。
ぎぎぎぎぎ
地獄の門か。
そう思う程まがまがしく、門扉が開く。
城外の平原に、美豕や困秋渭の軍がいた。
朝日の下、まばらに炊煙を昇らす宿営がのどかに展開している。万一に備えてだろう、一応武装した歩兵、弓兵も外縁に広がっている。それでも、戦闘可能なのは五百程度か、それも隊列を成してない。遠目に、あくびしたり、私語にうつつをぬかす兵も見受けられた。さすがに城門が開いたのには多くの者が気付いているが、身構える様子もない。
どこまでお人好しか。圃氐は心中で唾棄した。
そして、高らかに断言した。
「我らの吠洞口、真の王者に渡す!眼前の軍勢は王者にあらず、ただの亡霊なりっ。」
右手に抜いた大剣を旭日に輝かせながら、眼前に突き出す。
「蹴散らせえ!」
吼えた。
同時に、小さな四角い黄金の首飾りを左手に握りしめながら。
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因州




