表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/120

嗷号大号、戦場震撼す

 悪仏(あくぶつ)

 (ねん)州の要地で、捻中(ねんちゅう)盆地に位置する中核的な城市である。春の早朝、所々に隆起する小さな岩山を従えるが如く、黄土がこびりついた城壁が屹立している。


掬巴且(きくはしょ)は、よく戦っとるわ。」

 嗷号(ごうごう)の小山のような巨軀(きょく)が、まだ弱い曙光に照らし出される。鋭利な鉄棘(てっきょく)を生やした巨大な白銀の兜が、旭日を跳ね返す。

「げに。そうでなければ捕差(ほさ)の奴、(しん)州王が撤退した時点で、とっくに馬賊へ降っておるでしょう。」

 対照的に、側近の句章建(くしょうけん)は痩せちびている。


 彼らの目線の先、城外の荒原で二つの軍勢が激突していた。

 かたや、「掬」「捻」「因」といった旗幟が見受けられる、掬巴且軍。対するは「莞包」「土」「地」という幟が靡く、莞包旅礼甦(かんぽうりょれいそ)()州派遣隊の連合軍。


 掬巴且軍の中には、「捕」という旗があっても良かった。しかし黒地に黄文字のそれは、今は悪仏城の城壁上にズラリとはためいている。


 句章建は山狗のように狡猾な目を光らせて、卑しい出っ歯を更に剥き出しにしている。

「ご覧ください。托賈彗(たっかすい)の御令嬢が、随分恨みがましい目で城壁を見上げてまっせ。」

「ふん。捕差は出動が遅いわ。敵に城門前まで進軍されてしまっては、おいそれと開門できぬからな。」

 今、悪仏城主である捕差の籠城軍が城門から出たら、莞包旅礼甦や土哭(どこく)達は入れ違いに城内へ雪崩れ込むに違いない。

 嗷号は、いつもの胴間声はどこへやら、常になく冷静に戦況を凝視して、穏やかに話す。


 それにしても、掬巴且が恨むのも無理はない。悪仏城外で彼女は今、劣勢だった。武骨な騎馬民族で構成されている莞包旅礼甦軍と、塊協半(かいきょうはん)が誇る万夫不当の二将、「孤闌王(こらんおう)」土哭と近年主戦になりつつある地十(ちじゅう)の軍を相手に回しており、こんな猛将達と戦うなら、五割増しの兵を擁していても苦戦が予想される。それが今、掬軍一万に対して敵は二万と、逆に少ない状況であり、このままではとても勝利は見込めない。


 嗷号の目は、遠く掬巴且の姿を見出した。

 いつもは束ねている長い黒髪を、今日はさらりと背中に垂らし、ほっそりとした群青の鎧が、朝日の下に鮮やかである。馬上、真っ白な毛足の長い毛氈(もうせん)を複雑に振りかざし、その都度、一万の軍兵が展開集結、進退自在の動きを見せ、掬巴且の黒髪が原野の虚空に躍動した。


 激突の現場から400mほど離れた所に陣取る嗷号軍全員の耳を、干戈の交わる金属音、馬の(いなな)き、そして荒武者達の咆哮(ほうこう)が、つん裂く。

「やはり莞包軍と坡州軍の連携がうまくありませんな。そこを突いていく、ということですか。」

「句章建よ。それは分かっていても、なかなかできぬよ。野戦でこれだけ兵力差があったらな、並の武将じゃあ対応できん。そこへいくと『托賈彗令嬢』、さすがの用兵よ。」

 名将揃いの寄せ手が翻弄されている。莞包軍と地十軍が分断されて混乱し、かたや深く出過ぎた土哭軍は包囲攻撃を受け、慌てて退いていた。土哭は掬巴且を目の敵にしているから、冷静さを欠いているのかもしれない。


 掬巴且の絹の如くきめ細かい白肌、彫刻のように精緻な小さな顔、とがった顎、小柄で痩せた身体 ― 。


 嗷号はムスッとして、190cmの巨体に載った大きなあばた面を更に強面に見せているが、その脳裏ではもやもやと彼女の肢体(したい)を描いており、それは句章建も同様だったようである。

「美人ですな。三十五、六になる筈ですが、いまだに『令嬢』と言って遜色無いですよ。」

「この乾燥した捻州で常に戦場に身をさらしながら、何であれだけ綺麗なままでおれるのかのう。」

「あの華奢な身体で万余の大軍を意のままに操るんですからな、本当に人は見かけによりませぬ。さて、その令嬢様をいつ頃助けますか。。。」

 不揃いな出っ歯を捻州の空気に乾かしながら、句章建は主君の顔を覗き込んだ。しかし、嗷号はそれを無視した。戦場の馬蹄、精兵達の剣撃、様々な轟音は、当然聞こえている筈である。


「掬巴且とは武闘会で立ち会ったことがあるが、困士甜(こんしてん)程ではないにしても、かなり腕は立つ。速度、膂力(りょりょく)、体力、いずれも困士甜のが上だ。だがな、あの女はわしの太刀筋を全て読んじまいやがった。」

「すべて。。。?」

「そう。全部、薄皮一枚の差で避けたのさ。そしてその一方で、わしはまったく隙を作らなかった。運良く、な。恐らくその為だと思うが、あやつ、一撃も打ち込んでこなんだ。」

「一度も攻撃してこなかったのですか?それでは勝負がつかないじゃないですか。」

「ついたさ。綺麗に後方宙返りを決めてこっちを向いてな、『参りました』だと。これ以上は疲れて手合せは無理だから負けでいい、と言っていた。ちなみに、あとで審判に聞いたら、ぴったり五分。宙返りで着地した瞬間、一秒の狂いもなく五分丁度だったらしい。」

「はあ。」


 美獣(びじゅう)軍が誇る勇将達の逸話に感心しながらも、句章建は殆ど聞き流している。悪仏の城兵が合流できなかった以上、それこそ掬巴且が持ちこたえるにも限界があるから、嗷号軍二千の参戦は早めなければならない。


(普通に考えればな。)


 しかし、嗷号の思考はこの時、異常であった。


(美人で優秀な『托賈彗令嬢』に対してなら、喜んで加勢しよう。あともう一人、かつてわしを捕縛した困士甜も同様だ。わし自身は戦友だと思ってるし、奴の為なら、ひと肌もふた肌も脱ごうというもの。しかし)


「嗷号様」

「おい。」

 嗷号は大きな口を開けて句章建に言葉をかぶせ、自らの思考の中断を許さない。

「お前、『且甜楓三娘しょてんふうさんじょう』をどう思う。」

「え。どう ― と言いますと」

 句章建は、小さな眼球を忙しなく動かし始めた。賢い男だ、過去の嗷号の態度や、言動を思い返し色々考えて、すぐに予測をつけたであろう。


 その証拠に顔が蒼白である。


「まさか。嗷号さま」

揆朋楓(きほうふう)が ― 坡州の裏切り者が ― 、得た今の地位を、他の二娘は不満じゃないのか。困士甜と掬巴且の二人が、どれだけ美家に貢献したことか。あの恩知らずの馬鹿女は、逆立ちしても二人に敵わぬ。」

「た、確かに、ええと、坡州の女大将は、一気に序列を上げましたな。しかし」

 句章建は辺りをキョロキョロと見回す。眼前では万超の大軍同士が激突しているから、嗷号の言葉は側に付く句章建にしか聞こえない筈だが、それにしたって軍中にあるまじきあまりな暴言である。


「美獣なのか?穂佑聯(すいゆうれん)なのか?どっちが奴を引き上げたのだ。二人とも、弱味でも握られておるんじゃないか。」

 ここに至り、句章建の顔は紙の如く白くなって、その痩せちびた身体は今にも倒れそうに見えた。


 しかし、彼は踏みとどまった。

 素早く沓を鳴らす無数の足音とともに、激戦地点の殺気が、緊張感が、一気に増したからである。

 それは、押され気味だった掬巴且軍が、後退していた強弓兵を右翼中軍まで急進させた足音だった。そしてその位置から、遠方射撃をやおら敢行した。


 ザザザーッ

 暁の空は数え切れぬ矢に覆われて、黒く染まり、さながら夜の如し、硬い弦によって皆、数百mを飛び越え、敵連合軍の中後方を空襲した。


 歴戦の強兵たちが、滑稽な程の哀しげな悲鳴をあげた。一瞬にして千余の敵兵が死傷し、掬軍が戦闘の流れを手繰り寄せた。

「おお。さすが『托賈彗令嬢』!まさに起死回生。」

 句章建は叫んで、勢い良く振り返ったが、嗷号が残酷なほど無表情だったので、拍子抜けしてかえって沈痛な面持ちとなる。


 旭日は昇り切り、遠く、掬巴且が黒髪をふぁさ、と旋回させて、こちらに顔を向けたのも、嗷号には良く見えた。


 そして、こう叫んだのも聞こえた。

「今です!突撃!坡州軍へ突撃っ」


 女将軍の(あで)やかな要請。

 しかしこれを聞いた次の瞬間、すでに穣界で伝説化した嗷号の胴間声が悪仏の大地に響き渡った。

 両軍合わせて三万超、一人残さず、彼の大音声に脳を揺らす。


「嗷号隊、掬軍に突っ込めええ!」


 戦場に衝撃が走った。



――――――――――――――――――――



 眞暦(しんれき)1821年3月。

 葬州の莞包旅礼甦と、塊協半が派遣した土哭・地十両将との連合軍は、捻州の悪仏城を攻略した。

 城外での野戦で、城方の援軍、掬巴且率いる一万を撃破した後、城主・捕差の開城を受け入れ、悪仏を接収したものである。





*******************************************




捻州


挿絵(By みてみん)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ