透刃軍祖、遂に時代に見出ださるる
衝相升がまぎれ潜む雑踏で、急に怒号が響いた。
「てめえ!刀返せっ。」
刀剣売りの露店が並んでいたが、その内の一つでかっぱらいが出たようだ。衝相升から二人程間をおいた向こう、貧相な男が蒔舟刀を右手に掴み、今まさに奔り出そうとしているのが見えた。
「待てっ。」
店主も売り物の刀を一本、左手で引っ掴むと、巨体に似ない俊敏な動きを見せて、バッ、と飛び出し、盗人の背中に迫って、見事な抜き打ちを放った。
「ぎやっ」
露店前の往来に鮮血の噴水が上がった。同時に、おおー、という通行人のどよめきも上がる。武人もいれば、官吏、工人、商人、農民、遊侠、老若男女、さまざまな者がこの斬撃に立ち合った。斬られた盗人が血を吹き出しながら道に倒れ、店主は事も無げに盗られた蒔舟刀を取り返す。それと同時に通行人どもが、ズラリと刀が並ぶ露店に詰めかけた。
「背中を割って心臓まで斬ったぞ。」
「何だ。何の剣か。」
「何という切れ味か。」
「おやじ、今の剣はどこの産か。」
無惨にも心臓を両断された盗人の遺骸は、血みどろになって路上に転がり、皆がそれを蹴飛ばしながら店に殺到する。
(良い宣伝になってしまったな。)
そう思ってまだ血が湧き出ている遺骸を見下ろす衝相升は、しかし同情している訳ではない。彼は生業上、こんな死体を毎日のように見ている。彼の風態は瘦せぎすで、顔は土気色、服は黄ばんだ麻の野良着、背に負う小さな丸籠にはちびた人参が数本、どう見ても昼前に街で行商した貧しい近郊農民にしか見えないのだが。職業は違う。
穏やかな春の日。
貧相な衝相升が、忘れ去られた骸を見下ろしている。暖かな陽光に照らされる姿は既にのどかですら、あった。
「お前さん方。実はこいつは、裁金なんだぜ。」
「えっ。」
群がる客どもは一斉に驚いた。
「裁金だと?いくらだ。」
衝相升は抜き打ちの店主が一瞬、笑いそうになったのを見逃さなかった。血塗られた刀を莚に横たえながら、すぐ表情を消したが、気持ちの緩い商人ではある。
(おやじ、そこで笑っちゃいかん。気持ちはわかるがな。)
「三万圓よ。」
「三万か。」
「普通の裁金刀と変わらんな。」
「だから裁金だ、と言っている。大量生産の品だ。」
「だが」
「そう。だが、先ほどの切れ味よ。」
ここで店主は分厚い胸板をさらに膨らませて、得意げに鼻息を吐き出す。
「お前さん方。一口に裁金と言っても、かの地に鍛冶は何人もいるから、個人差が当然ある。中にゃあ、大量生産にはもったい無い腕の奴もいる。わしはそこを見極めて仕入れておるのよ。そしてな。」
客も目がくらんでる。
「そして蒔舟はどうなんだ、おやじ。」
「まあ待ちんさい。今、言おうと思ってた所。」
こうなると楽だ。客の方が勝手に話を進めてくれる。店主はさすがに鉄仮面のように無表情を貫きながら、ゆうゆうと先程の裁金刀の血を白布で拭い始めた。
「そして、だ。当店では蒔舟刀も扱っとる。この裁金でさえ、あんだけ斬れるんだ。蒔舟は推して知るべし。」
「おやじ、蒔舟を一本くれ。」
「俺は裁金を三本だ。」
「はいよ。しかし、さすがにウチでも蒔舟は高いぜ。」
「裁金十本」
「蒔舟刀を四本」
うまいことやったもんだ。確かに陸島の刀は良く斬れる。衝相升も蒔舟を左に差しており、そいつを野良着の上からそっと触る。愛刀だ。
それにしても、民衆がこれほど武装を需要しているのかと、今更ながら驚きを禁じ得ない。
それ程、穣界の紊乱が酷いということであろう。乱世にあって為政者は頼りにならず、自分の身は自分で守るしかない。現に定州王・窶房長の支配は緩み、この城市に何かあっても州龍牙軍は来援しないだろう。
(先月、瞠鶺連合軍が定州の西を押し通ったばかりだしな。しかし、ここは堅城の誉れ高き宣封だし、自警団も強いから心配はいらんと思うが。ん?)
衝相升は何かを見つけた。
それはある重要な人物であったが、先程の刀剣屋とは違い、衝相升は瞳孔すら動かさない。
なるほど、身を隠すにはここは良い街だ。しかし。いつ楽界から来た?
その人物はすらりと背高く、雑踏の中に頭一つ飛び出ていた。衝相升同様に粗末な麻製の野良着を来ているが、この男には、それがひどく不釣り合いである。三十m程距離があるが、その威風を痺れる程に感じるのである。
どうしたことか。衝相升は表情こそ変えずに頑張っているものの、脇から、股から、異常に発汗していた。
その漢の存在を意識すればするほど、彼の心臓は早鐘の如く高鳴っている。
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眞暦1821年3月。定州には春が来ていた。
ここは寛昆と呼ばれる穀物倉庫の街で、暖かい風が東から撫でるように吹き、よく晴れた空の下、居並ぶ煉瓦蔵の甍がからからに乾いていた。
かつて定州における計画経済の橋頭堡として開発された宣封という城市があるが、ここ寛昆はその郊外五kmに位置し、宣封を中心とした流通圏の中で、大きな役割を担っている。
なお、その宣封の開発が始まったのは眞暦1671年というから、丁度百五十年前。この年は記録的な寒波で大凶作に見舞われ、斐界の治安は地に堕ちたが、時の大姚帝国第五大臣(祭相)轄夫戡は無策の政府に背を向け、私財を投げ打ち、地獄と化した天地にあって臣民の為の最後の砦を、ここ宣封に構築したのである。宣封に入城できた者は、地上の楽園なり、と歓喜した。
宣封は今でも、定州南部で経済的中核を成す大都市であり、堅い外壁に囲われた本城は治安が行き届いて、市民に安心を提供し続けている。
さてここは、そんな宣封の衛星都市、寛昆。
往来にはまだ、武具に投資しようという民衆が騒いでいた。そして、衝相升はその群衆の中に違和感のある一団を見出している。
(罪甘だけじゃねえ、公子様ご本人がいらっしゃるじゃねえか。)
三人いた。
まず、背は一六〇cmくらいだろうか、それ程高くはないが、まだ肌寒いこの春先に上衣は半袖で、丸太のような上腕をさらした偉丈夫が一人。
もう一人は中肉中背、顔も平坦で鼻の低さだけが特徴だが、青白い顔で忙しなく周囲を気にする様が、かえって目立つ。
そして三人目が、先ほどの威風の漢。
(がっしりした奴は罪甘座塁罵だ。違えねえ。青びょうたんは知らねえな、初顔だ。)
用心棒と付き人、といったところか。そして彼らが守る、威風の漢は。
(前庇州王、尼竺の子息。尼乎磊。)
あまり見つめては気配でバレる。衝相升は、額に浮いた汗も拭かずに、雑踏の中に息を潜めた。
「さあさ、裁金はもう売り切れた、蒔舟があと三本だ!」
抜き打ちの刀剣屋が調子良く叫んでいるが、そんな喚きは衝相升の耳に殆ど入っていない。
「座塁罵、要らん要らん。」
三十m先での尼乎磊らの話に聞き入っているからだ。
「そんな。あと三本だそうですよ。」
「こら。若が要らんと言ってるんだ。口を慎め。あと、もっと声を落とせ。」
「座塁罵、履裂。斬ったのは蒔舟で、売ってるものには裁金も蒔舟もない。」
(え?)
衝相升も驚いたが、用心棒らも目を丸くしている。周囲の群衆は、尼乎磊の発言に気づかなかったようだが。
罪甘座塁罵が筋肉を揺らして、怒る。
「馬鹿な。騙しているんですか、あいつは!」
「だから声を落とせっ」
「刀身の反りが足りんし、刃の光が強すぎる。店頭に並んでる品は全部な。」
衝相升は職業柄、群衆の中での小声の会話を聞き取る術を心得ている。しかしさほど労せず、尼乎磊の言葉ははっきり聞こえた。
(堂々としたものだ。隠れ潜んでいる態ではない。)
「それにな。当家の者は皆、剣だけは必ず持ってる筈だ。十年経とうが、百年経とうが、肌身離さずな。それよりは、甲冑の調達だな。」
尼乎磊は、若い長躯に自信をみなぎらせている。確か、二十二歳になった筈だ。
透き通った美しい肌に、鼻梁が涼やかに走り、その口は紅く小さくて野花のように可憐。
しかし、その眼の鋭さだけが、尋常でない。眦が切れ上がり大きく見開かれた二重眼から、聖剣の如く煌めく瞳が覗いている。
(それこそ、よく斬れる。)
心を斬り裂かれるような気がして、衝相升は慌ててその場から、逃げた。
足音を立てず、春の乾いた黄土の道を行く。混み合う群衆の中を接触せず、気づかれず、背に負った丸籠もぶつけずに、さながら渓流が岩肌を滑るようで、そしてそれはひどく素早く、常人が直線を全速力で走るよりもなお速い。時を置かず、道沿いに立ちはだかる煉瓦蔵に着き、建造物の影から吸いつくように外壁をよじ登って、一瞬で屋根に出た。痩せた衝相升の姿を見つけた者はいないだろう。甍を踏んで、蔵から蔵へ飛び進んでいくが、動きがあまりに速過ぎるのである。
(雄図を秘めている。いや、雄図が溢れ出している。そんな顔だった。)
諜者の自分に無縁な、そんな心情をなぜ測れるのか分からない。だが、諜者として無数の人間の面相を分析してきたからこそ、分かるのかもしれない。いや衝相升にとって、流浪の貴公子が見せた表情は、一目瞭然であった。
程無くして。
既に衝相升は、五km離れた宣封城の大街路を歩いている。服装はいつの間にか、下級吏僚の袍に着替えていた。穏やかな街並みにほっとする。石や磚、煉瓦等で積まれた淡色の建築は、宝石店だったり、服飾店だったり、酒舗、植栽や花卉店などの商家であり、大した呼び込みもせず、多くの客を静かに迎え入れている。 確かに寛昆のような倉庫街に比べて、上質な空気が流れている。しかし彼が落ち着いたのは、街の佇まいだけが原因ではなかろう。
あの、斬れるような瞳から逃れた、生還した、という安堵感が、今の心境に近いのではないだろうか。
大路には、春を楽しむ貴婦人が目立つ。装飾は少ないが、艶やかな装束で、紅、水色、萌黄、桜桃、淡く爽やかな色彩が、笑い声と共に往き過ぎる。
衝相升の無表情もいつか崩れ、口の端に微笑みを滲ませている。
(帝城であの女人に今日の発見を報告したら、さぞ喜ぶだろう。まあ)
白檀の香りを散らす美人が、満面にウキウキと笑顔を浮かべてすれ違った。思い人のもとへ行くのだろう。
(あの女の場合、黒い笑いだがな。)
都州帝城の「狂眼嫂」が、いくら呉れるのか、と思いを巡らせた途端、彼は躁状態になった。彼の顔がそれこそ、黒い笑みに満ち、吏僚の格好にしては少し不自然なくらいの早足で、明るい宣封の大街路を歩き去って行った。
春光のもと、百五十年前と同様に、宣封の街は外界と隔絶して、ただただ明るい。
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定州




