謀棒馘、落葉の只中に策熟考す
馘摯は眠たげな二重目をしばたたかせて、なだらかな丘陵を眺めている。
森がそこかしこに点在し、西方には色づく山塊が屹立している。
(見通しが悪いわ。今、零揮甕と瞠靺に南北から挟まれたら潰滅ね。)
しかし、類州王・僚羚は一万の直轄軍をこの丘の頂上に宿営させていた。
馘摯は、病的に痩せた身体をカクカクと硬そうに動かし、歩き出す。背に垂らした長い髪が、乾いた音を立てて揺れる。
兵士らは、枯草に胡坐をかいて声高にしゃべっていた。
「この辺は、販自岡というらしいな。」
「ふうん。しかし、何でこんな半端なところで待機なんだ。もう三日も経つ。伝家のおぼっちゃんに任せていたら賦彼の城なんていつまで経っても落ちやしないよ。」
「瞠靺姫が自ら籠ってるんだろ。財育爺さんだって、もう歳だし、ものの役にも立つまいて。下手すりゃ、連合軍は跳ね返されるぜ。」
「な。最初から直轄軍が行ってりゃ良かったんだ。兵力の逐次投入という、最もやっちゃいけない用兵だな。」
「しかしよお。ウチの姫様が駆けつけた所でどうだかな。瞠靺より歳は少し上なはずだけど。」
「うーん、残念ながらまったくモノが違うわな。断然、向こうのが上だろ。」
龍眼府参謀補たる馘摯が脇を通っていることに、兵らは当然気づいている。
その上での、言いたい放題であった。
(軍紀の緩みがひどいわ。零揮甕の軍では、とても考えられないでしょうね。)
馘摯は兵らに聞こえぬよう、ため息を漏らす。
彼女は白い官服の裾を引き摺るように歩き、今は朝だから良いようなものの、
「夜見たら、幽霊と間違えるな」
などと、兵士たちが聞えよがしに嘲笑するような風体であった。まだ二十五歳と若く、それこそ敵大将の瞠靺と同い年なのだが、肺を患い、顔色も青黒くて生気がなく、性格も大人しくて軍議等でも声が聞こえないと指摘されることがしばしばだった。
しかしそれなら何故、若くして龍眼府の上官になっているのか。
まず、馘家は州王家である僚氏の譜代の臣だから出世は約束されている。だが彼女自身、周辺各勢力の動向に詳しく、情報分析力に長けていたから、州王も龍眼も諸々の基礎調査に重用していたのである。幽霊のような顔でぼそぼそと語られる戦略はなかなか軍議の場では採り上げられなかったが、書面を作らせれば天下一品で、見事にまとめるから、稟議事項であれば円滑に採用されることが多かった。
今回の州王本軍による賦彼出兵については軍議での決議となり、馘摯は反対したが容れられなかった。その前の龍牙代の賦彼派兵、いやそもそも昨年1819年11月に締結された財育との同盟にも異議を唱えたが、いずれも軍議での議題となり、彼女の意見は無視された。
(粧八沈様が存命であれば、必ず止めてくださったろうに。)
心中、二年前に病死した名宰相を惜しんだが、それは愚痴でしか無いだろう。
現在、眞暦1820年10月。
州王・僚羚は、財育と合して賦彼を包囲する龍牙代・伝課報を支援すべく出師し、その途上の販自岡なる地で足踏みしているのが現実である。
(まさに今、御家の切所なのよ。)
良く見ると、常になく馘摯の頬がほんのり赤く染まっている。機械仕掛けのような歩き方はいつも通りだが、それでも枯草を踏む力が幾分強い。秋の風が巻き始めたが、その木沓はぶれずに真っ直ぐ進む。
「州王、馘摯でございます。失礼いたします」
馘摯は、州王・僚羚が詰めている幕営に着くと、枯れ枝のような腕で白い幔幕を勢い良くめくった。
そこに、血色の良い若い女性がいた。
戦場に似つかわしくない薄桃色の宮廷装束を身をまとい、本を読みながら、口を押さえている。陽に焼けぬ肌つやのある顔もまた、陣中で浮いている。
(おおかた、またくだらぬ小説を読んで笑っているんでしょ。)
声を出さず、笑いをかみ殺している分、今日はましか。
女はちょっとびっくりして、バツが悪そうに、
「何よ、突然。貴女、来る前に報せを寄越しなさいよ。」
と言って、本を椅子の下に隠した。
この女性が類州王、僚羚であった。
紅をさした口は、笑みを引っ込め、不満気に歪んだ。
「用があるなら明日の軍議で」
「零揮甕が南衛関を突破したんですよ。決断が遅きに過ぎます。」
馘摯の鋭い口調に、はっ、と僚羚が目を瞠る。
「これまではこの箱庭のような類州の天地で、瞠氏と財氏だけを相手にしていればようございました。しかし、瞠靺が零揮甕を附類平原に引き込んだ今、そんな時代は終わりです。このままでは、当家即刻の滅亡は不可避。」
「そんなっ」
馘摯の言は、主家に対しあまりに不遜であり、僚羚の頬に朱がさした。
「零揮甕の侵攻さえなければ、賦彼で瞠靺を滅ぼせたに。」
零揮甕が入関した以上、この発言は繰言に過ぎぬ。馘摯はまた、聞こえぬようにため息をついた。
「先頃申しました通り、この度、伝課報を賦彼に遣ったのは失敗です。零揮甕の来襲が無くても、かの城は落とせないでしょう。」
僚羚が反論しようと口を開いたが、馘摯は厳しく言葉をかぶせた。眠たげな二重まぶたの下で瞳孔が開き、尖ったあごをあげ、州王を見下すが如くであった。
「そもそも、財育との同盟が失策。当家と瞠靺とは折り合う余地がありましたが、財家と結んだことであの女を窮鼠にしました。恐れながら傑物たる瞠靺を追い込んで、本気にさせてしまったのです。」
僚羚の白いこめかみに青筋が浮く。だが、馘摯の前に言葉が出てこない。いつも気弱な笑みを浮かべていた謀士、馘摯が何故か今日は居丈高で、僚羚は呑まれていた。
「でも、でも。財育とともに。もしかしたら」
「もしかしたら、零揮甕と瞠靺を一緒に葬れるかもしれない?とお思いですか?」
僚羚は忙しく何度も頷く。
馘摯は呆れた。
さっきの雑兵だって分かっていたではないか。なのに、まだ我が主は財育に期待しているのだ。
馘摯は幕営の天蓋を仰ぐ。細い、筋張った喉が、僚羚の眼前にさらされた。
(脅すしかない。それがこの州王の、類州のため。いや、何よりも私のためだわ。)
馘摯は顔を戻し、かさついた長髪が空を舞う。削げた頬には陰影が際立っていた。
「財育は何の役にも立ちません。奴の本拠、賰媛も早々に落ちるでしょう。瞠零連合は十万に膨れ上がるでしょうから。」
え?
僚羚はガクン、と顎を落とした。
「十万?」
「はい。ですから財軍も僚軍も潰されます。零揮甕は懦州の覇者、瞠靺も類州北部の強豪、十万の動員は易いでしょう。そして、財育とともに捕まり、首をはねられる筈です。」
「なんと。私は州王よ。何も、殺さないでしょう?」
「庇州王尼竺、秦州王穂泉煎、坡州王培去或。みな横死しています。州王、今は乱世なのですよ。」
貴女の父君は、皇太子の惨死に片棒担いだじゃないのよ ―
ぬるま湯で育った姫様に対し、心の内で毒づいた。
血色良かった僚羚の福々しい頬は、見る間に白くなり、紙の如き様である。
「そんな。。」
「無事では済みますまい。これから余程うまく立ち回らねば。」
バタバタ。留め金具が外れた幕の一部が、強い秋の風にはためく。
死人のような顔色で、急に無表情になった。そして、僚羚は抑揚の無い声で、呟いた。
「わらわはどうすれば良い。」
「御身を全うする道は、最早少なし。策をお知りになりたければ、改めて私をお呼びください。」
州王・僚羚はゆっくりと頷いた。
馘摯に正対するその表情からは動揺が消え、値踏みするように自分の部下を見つめている。
(あら。)
ここに来て、馘摯は我が主を見直した。
この女は節操が無い上に残酷な程、素直である。きっと今夜、策を聞きに来る。
(僚羚様は覚悟を決めたのね。もう、眉一つ動かさずに策を実行するでしょう。)
この類州王には、義も矜持も無い。だが乱世にあって、これはかえって強みと言えまいか。
馘摯は来た時と同じように、枯れ枝の如き右手で、出口の幕を手荒くはねのけて、営所を辞した。
風が吹き、枯れ葉を舞い上げていた。
それは馘摯の顔を打ち、地に寝そべっている兵士たちにも降り注ぐ。馘摯は落葉の雨の中に枯れ木の如く立ち尽くし、胸の内でその策謀を検証していた。




