かつて酸鼻の街で
「初めまして、姓は聖、名は投桃。と、申します。本日はお招きにあずかり、光栄至極でございます。」
三人の中でもっとも若い聖投桃は、平身低頭、肩身狭く挨拶した。他の二人は名君の誉れ高い脂の乗り切った州王だ。
「ぐほほ。そんな小さくなる器量じゃあるまい『殺眼桃娘』殿。」
「そうよ。どれほど剛毅なお嬢さんかと思ったら、花のようなお姫様じゃない。妾もあなたのような頃があったのにねえ。」
「炎州王、わしは十年前にも、あなたをここにお呼びしましたがな、その時は。。。」
「綜案様。その先を言いますと、我が麗后水軍を差し向けますよ。」
正面の上座、どっかりと豪奢な椅子に埋もれている老人。彼が網州王・綜案。
向かって右に座る、もともとの大きな目を紫の化粧で更に浮き立たせている妖艶な女性。彼女が炎州王・燦拓来。
南国網州でも、北西の山懐に抱かれたここ緋趨の十一月は、すでに寒風が吹き始めているが、この網州王別邸の饗応房はなぜか汗ばむような空気が満ちていた。
「そんな。燦拓来様の美しさは楽界に響き渡ってございます。妾こそどのように若さを保っておられるのか、今日はそれを聞きに来たんですよ。」
「さすが、若き名君。お話が上手ですわあ。」
三人の中でもっとも若い、珥州王・聖投桃が、パタパタと拍手する炎州王燦拓来の正面、網州王綜案の向かって左の椅子に、滑り込んで座った。練絹のような白い肌はしかし、うっすらと日焼けし、二重目の下のほくろも愛嬌があり、二人の名君を気安くさせる外見であった。
その様を見て網州王綜案は、豊かなほお肉を縮めて微笑した。
「むん。まさに両手に花、咲き乱れる艶やかな炎州の紅蘭と、鮮やかに開花せし可憐な珥州の白梅。網州の老爺は、若返るようじゃ。」
「老王。いささか女どもが嬌声で鳴き過ぎましたわ。この三州王の参集は本来、厳粛なる場。」
「炎州王の仰られる通り。妾も本当は美容の話をしにここまで来た訳じゃありません。始祖の『殺眼鬼女』に叱られますわ。」
炎州王め、ふいに真面目くさったことを言うわね、と聖投桃は内心むっとしながら、話を合わせた。
「いかにも。それでは始めましょう。
眞暦1673年の『緋趨酸鼻』から百四十年、十周年毎に、網州王が主催させて頂くこの三州王会談、今回は第十四回と相成りました。まずは未曾有の悲劇から百四十年もの長きに渡って炎・珥・網の楽南三州王家が封地を伝え来るその幸運を、感謝しましょうか。」
綜案が総白髪の頭をひょこっと下げたので、女州王二人もそれに倣った。
「そして三州が楽南の天地を、平和を守ってきたのは、各家の先輩州王達が英邁で、手を取り合ってより強固なる施政をせるが故なり。続けて互いの、そして自らの、祖王へも拝礼しましょうか。」
ここは綜案に言われるより早く、聖投桃は頭を垂れた。
(網州綜家は、我が珥州聖家の大恩人である。我が聖家は永劫これを忘れてはならない。)
まさ十七眞紀終盤の難局を、難民による暴力集団だった「殺眼鬼女」聖牒以下の旅団が乗り切れたのは、そして州王家にまでなったのは、当時の網州豪族、綜普の尽力なければあり得なかった。同盟を快諾してくれただけでなく、縊宝原で聖牒が討たれた時も従姉妹の聖渦を戦場で離脱させてくれる等、まさに命の恩人だったのである。
真剣に頭を垂れる聖投桃を見た綜案は、
「むん。感心よの、聖投桃殿。貴家の死兵は、『緋趨酸鼻』の昔は混沌を切り開く突破力と、その後の時代は治安の維持と。我ら二家を生かしてくれておる。」
と、感じ入る。
「そんな。妾が頭を垂れましたのは、自然なことです。炎州燦家の運動によって綜聖二家が王家に列せたこと、網州綜家が暴徒の群れに過ぎぬ当初の我が軍に手を差し伸べてくれたこと、これらは我が珥州領内では幼児でも知ってる大恩であり、州王である妾が身を狭くして感謝するのは当然でございます。」
そう言う聖投桃を、値踏みするように燦拓来が笑って見ている。
少しの沈黙のあと、房に侍童が入ってきて、各自の小卓に茶を置く。
「いや、『殺眼桃娘』は武勇一辺倒でなく、義を知る大度の州王と知って、これ程の愉快は有りませんわ。ふふ、同卦臺のお茶もいつにも増して美味しい事でしょう。」
燦拓来は白いのどを音もなく鳴らして、小気味好く茶を喫む。
「ぷはあ。お茶は網州ねえ、やっぱり。ウチにも熾写渓という産地があるけど、なかなか同卦臺には敵わないわ。」
そう言ってまた、意味ありげにこちらを見る。
(え。私から言うの?)
燦拓来の意図が聖投桃には分かったが、瞳に何の色も浮かばぬように努めた。何気なく茶碗を口に運ぶ。
「まあ、本当。美味しいっ」
そして素直に反応した。
深い茶褐色の同卦臺茶はひどく香ばしく、舌の上を一瞬にして風味が走り抜けて後味は残らないが、鼻腔の奥に焼いたような薫香がいつまでもたゆたう如くとどまる。
「いやあ、はは。炎州の紅蘭女王と珥州の白梅女王の二人に褒められて、わが同卦臺の茶も、幸せじゃ。炎州王、おかわりをどうぞ。」
「うふ。では、お言葉に甘えて。」
「緋趨酸鼻」という虐殺事件について、炎州は他人事であり、網州も事件現地でありながら、聖投桃からすれば認識が甘いと思えてしまう。対して珥州では虐殺された難民団の当事者として、壮絶な百四十年前の歴史を、克明に子供らへ叩き込んでおり、聖家嫡流の聖投桃に至っては骨身に沁みついている。
聖投桃は、以前より緋趨に来てみたかった。だからこの会談の前に、くまなく城市を歩き回ったことである。聖家の歴史を脳内でたどりながら。
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眞暦1672年、楽東大洪水。
当時、豪雨が半月も続いた楽界東部は、楽河を筆頭にいたる所の河川湖沼が溢れ、濁流が国土を舐めまわした。懦・炎・珥は水浸しとなり、三州は飢餓、疫病の地獄と化す。難民が横溢し、周辺の州は境を閉じたが、唯一網州は開けっぴろげだった。当時の州王、岡欣は殉仲 ― 仲教の熱心な信徒 ― で博愛主義だった為、民衆を追い返すに忍びなかったのだが、といって受け入れ体制を整備した訳でもない。当然、難民は蝗の如く網州に押し寄せ、網州北西部の山間地は瞬時に侵掠された。
これを見た州王岡欣の甥、岡累繊はこの網州府の無策ぶりに激怒し、翌1673年、根城にする大港・緇泉で海賊どもを糾合して二万の雑兵を駆り集め、州王一族を誅殺して自ら王位に就くと、この私軍を「沿海降魔軍」と称した。そして、岡累繊はこの軍勢をそのまま州王の近衛軍として編成し、州龍牙軍と合して、州北西部へ進軍した。
難民達は網州北西部で略奪を働き、暴徒の群れと化していた。一方の沿海降魔軍も、にわかに州都相府の正式近衛隊に編成されたものの、少し前まで緇泉港の海賊ずれだった者たちだ。どちらも心が荒れ、まっとうな人間は皆無だったといってよい。それらが激突した訳だが、略奪で体力が回復したとは言え、そこは流浪の飢餓民、州から充分な装備をあてがわれた沿海降魔軍にはとても敵わず、戦いは難民達の一方的な敗北となった。
いや。
戦いというより、虐殺であった。
難民は楽東各地から来たった烏合の衆で統率者もなく、あわてて土地の者から刀槍を奪って身構えたが、喧嘩闘争を日常にしてきた沿海降魔軍に斬りかかられて、多くの難民は両断された。沿海降魔軍だって統率も何もあったものではなく、自国の領土内で難民達以上の略奪を働く有様だったが、とにかく強く、雑草でも刈るように難民達を殺戮していった。指揮する州王・岡累繊は「面倒臭い、地の網州民と難民の分別は無用、降伏せざるものは皆殺してまえ」と言い放った。女子供も関係なかった。網州北西部の山間地は地獄絵図と化し、城市、集落、野山、至る所に死屍累々、河川湖沼は血で染まった。
そして最も悲惨だったのが、網州西部の中核都市である、ここ緋趨だったのである。
(ここで。始祖様が。)
三者会談の前、聖投桃は緋趨の街角に聳える樟樹の巨木をさすった。
難民の一人、まだ十八歳のいたいけな少女が、この巨木の下で沿海降魔軍に襲われ、凌辱され、斬り刻まれた。
それが珥州王家の始祖、聖牒であった。
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「珥州の秋はかなりの収穫だったそうですな。」
綜案の呼びかけで、聖投桃は物想いからうつつに引き戻された。
とっさに顔をあげ、聖投桃はうなづいた。
「え。ええ。珥州は今年、夏の日照時間が充分でございましたので。黄翼山の影響が薄くなってきましたね。炎州もそうではないですか。」
燦拓来が紫色にくまどられた巨眼をしばたたかせる。
「そうね。でも、眞暦1672年の楽東大洪水に比べれば、黄翼山は大したことないわ。楽界東部はあの洪水で全てが壊滅した訳だから。噴火による低温化は対処のしようがあるもの。でも。」
燦拓来は茶のおかわりを受けていた。三杯目である。
「でも、穣界が酷い。黄翼山による低温化の影響がまともに出てしまったわね。今、それこそ彼の地は猖獗を極め、乱世に突入している。気をつけないとすでに楽界にも火の粉がかかってきてるわ。」
綜案がしたり顔でうなづく。
「左様、折角の南の国富を北の餓狼に喰われちゃ困る。楽南の治安を我らで守ろうではないか。のお?」
「はい。軍事に関しては、我が珥州にお任せ下さいませ。」
聖投桃は、綜案の視線を捉えて返事する。
「うふふ。」
「ん。何がおかしい、炎州王?」
「だって。聖投桃殿が最後まで言わないものだから」
「何をです。」
聖投桃は、面倒臭かったが、初めて気づいた、という態で言った。
「あ、そうでした、燦拓来様。軍事といえば。夏はかえって種々のお心遣い、誠にありがとうございます。いえね、綜案様。この八月に炎州西部の焼平で暴動があり、珥州軍が御支援申し上げたのです。」
「ほ。そんなことが。」
綜案の驚く顔に、燦拓来がにっこりと微笑みかける。
「恥ずかしい話ですが、我が炎州の軍では対応できなかったのです。珥州軍は聡願将軍のもと、本当に精強で、あっという間に賊を掃討したものですから、綜案様のお耳に入る間もなかったのでしょう。聖投桃殿、その節は本当に助かりました。」
「とんでもございません。炎州西部方面軍の煇備文将軍以下の皆さまが良く受け入れて下さいました。それよりも。」
ここで燦拓来が口を挟もうとしたのが分かったが、聖投桃は構わずに言葉を押し通した。
「穣界に発した紊乱が、ついに楽河を超えた、ということです。『気をつける』という程度の認識では、きっと国は滅ぶ。今後珥州は、更に刀槍を砥ぐことになりましょう。」
その言葉は意外に強く、調度の硝子がビリビリと鳴った。他の二人は思わず目を見開いている。目元に愛らしいほくろがあっても、やはり「殺眼鬼女」の裔、その殺伐とした血を目の当たりした心地がしたのであろう。
(始祖様、この楽界も再び「酸鼻」に陥ることになりそうですわ。)
聖投桃の目にはもはや、網州王の華美な調度で埋め尽くされたここ饗応房の内装は、映っていない。会談が終わったらまた、緋趨の街を歩こう、と思った。街の至る所に残る、惨劇の跡を辿ろう、というのである。
なお。
聖投桃の祖先、聖牒は「緋趨酸鼻」の後、奇跡的に命を取り留めて地元珥州に生還した。そして、生きながらえた難民を糾合して、5年後の眞暦1678年9月、復讐のために網州を再来する。この時二十三歳、「殺眼鬼女」と呼ばれ、凄惨な殺人集団の長として、すでに恐怖の存在になっていた、という。
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網州




