薫風巻き起す武人
4月。
福州は春満開であった。
州都、祷扉の中心に位置する州王府には、扉翔園という庭園があり、一斉に開花した海棠の白と山吹の黄で広大な園内は埋め尽くされていた。あちらは一面の白、こちらは一面の黄、いやよく見れば己の周りはぐるりと白、などといったように二色がみせるうねりのような、変化に富んだ紋様がとにかく巨大で、南国のおおらかさをよく具現化している。柔らかな春風に、花園は静かに吹かれていた。
そんな扉翔園の只中に、一亭あり。
その中で、福州王・襌簒が花のように笑っているのが見えた。
歳二十五の妙齢で、丸みのある小さな顔はほがらか、
「面をあげてたもれ。我が自慢の春の扉翔園、どうかご覧なさいな。」
と言う声も名琴の如し。朱塗りの瓦を乗せた小さな四阿に似つかわしい可愛らしさである。
ならば、亭内はさぞかし華やかだろう、と目を凝らすと。
「恐れ入りましてございます。手前の面相は武骨に過ぎ、麗らかなるこの庭園に似つかわしくございませんが。しからば。」
「おお。さすが、高名な妁家の偉丈夫じゃのう。勇ましい顔相ではある。」
州王の紅い小さな沓の下に、長袍の上からでも分かる筋肉隆々たる大漢が跪いて野太い声をあげれば、脇に立つ細い甲冑の武人がそれを見下ろしてしゃがれた声をかけている。
この男二人を見れば確かに武骨、花咲き乱れる扉翔園との不釣合いは甚だしい。長袍の男も甲冑の男も、生粋の武人と見えた。
「祿龍牙殿。その妁家に生まれたるが、我が苦悩の因。当家の宿命を思えばこそ、洛中の穢れは我慢ならぬ。」
「失礼。そうであったな、妁柔可殿。」
福州龍牙の祿把畏は、鞭のようにしなやかな身体を覆った鋼製の甲冑を鳴らしながら、
「州王。」
と、襌簒に向き直った。
「妁柔可殿は、一族の妁冬離が帝城でひたすらに出世し、あまりに不憫な境遇。確か… 。」
「同年の生まれ。冬離も拙者も二十四歳でござる。」
妁柔可の顔が歪む。同い年の同族と位階で差がつき、かなり屈辱なようだ。
「ほ。では1783年の生まれかえ。妾は1782年ですから、一年年長なのですね。妁柔可殿はしっかりしているから、もっと年上に見えましたよ。」
「都にはもっともっとしっかりした者がおり、柔可殿より遥かに高い栄誉をせしめているのですよ、州王。」
祿把畏はニヤつきながら、妁柔可を見下ろす。
春風が亭内に吹き込んできたが、それを受ける妁柔可は、厳冬を思わせる渋面で、福州王と州龍牙に訴えるのであった。
「ご存知かと思いますが、手前、妁柔可は、大姚帝国初代龍牙の「億鷲女帝」妁韻、そして「帝城餓狼」妁坐霊が末孫なり。武の伝統を誇る家に生を受けました。この腕には少なからずそんな祖先の血が流れております。しかし、その武力は世の為に何も使われることなく、くすぶっておるのです。」
顔を赧く染めて、妁柔可は上腕の力瘤をひたすらに叩いた。祿把畏は彼から預かった佩剣を興味ありげに眺めている。玉などの余計な装飾の無い、黒色の地味な鞘だが、祿把畏にはその価値が分かるらしい。
「都州帝城に勤めていますが、皇室に巣食う癌、『狡玉睨』妖天が政道を歪め、拙者のごとき愚直な武人には活躍の場はございません。眞暦1811年の今、いよいよ穣界は紊れており、彼の地の鎮撫に拙者を派遣するよう幾度も奏上しましたが、聞き入れらるる訳もなし。ならば都の、いやさ附類平原でも何処でも、治安の維持、警護慰撫をせん、と言いましたが、これも都相の嫋害に阻まれて成らず。今の都州帝城では、有意の者はかえって用いられません。『狡玉睨』や如堯峰が皇室を牛耳る限り、拙者の立身出世は途が閉ざされています。」
「今の職は。」
祿把畏が錐をもみこむように質問する。
「は。私の現職は、法相府判例記録整備室の室長。妁家の出では初めての職です。」
「そこでは、貴方の武力が活かせないでしょう。」
州王襌簒が少し口を尖らせる。
「左様で。そこでです。」
ここで妁柔可は、ぐっ、とその巨体を跪いたままに乗り出す。祿把畏はその幅の狭い唇で酷薄に微笑し、襌簒は健康的な丸みを帯びた笑顔で「何です?」と小首を傾げた。
「はるかに福州王の徳を聞き、そしてその封地が見事に治りたる様子を聞くに及び、都州帝城での職を棄てて、この楽南の地に馳せ参じた次第。卑小ながら我が腕を、福州の更なる平和を確たるものにすべく、お役立て下さいませ。」
妁柔可は、そう言って頭を垂れ、膝をついたまま、逞しい右手を曲げて、その丸太のごとき上腕を前に押し出した。長袍の筒袖がはち切れそうである。
「妁柔可殿。」
同時に祿把畏が、冷たい声を差し入れた。
「残念だが、当州平和につき」
「いや、祿把畏。」
どうしたものか。
これまで柔らかかった名琴の音色が、ピーンと鋭く弾いた弦音に変わったか。
州王襌簒が、福州龍牙・祿把畏の言葉を遮ったのである。
妁柔可は、はっ、として咄嗟に背筋を正した。祿把畏は慣れているのか無表情ではあるが、よく見ると少し眉がひくついている。
「穣界の紊乱がいずれこの楽南にも波及しよう。そうでなくても、かの楽東大洪水のごとき天災が一度起これば、福州など即無法地帯となり、さすればそれこそ、『帝城餓狼』の武威がまた必要となるかもしれぬ。
そう思いませぬか、祿龍牙。」
「御意」
亭内に、すいっ、と冷たい風が吹き込む。いや、春の風は冷たくも暖かくも、吹かれた人によって感じ方は異なるかもしれぬ。
妁柔可はじっ、と襌簒の丸顔を探っている。
「いやさ、背伸びすな。思えばこの福州とて内乱の一つや二つ、常に抱えております。流賊の跋扈は、日常茶飯事。手放しに平和と言える状況ではない。この辺境に、妁公の武勇は貴重でございましょう。」
「おお、それでは。」
妁柔可は、やはりまだ若い。ここで身を乗り出した。
「控えられい!妁公。」
しかし祿把畏が、冷水を浴びせるがごとく声を張った。
「州王。先を見越し、州軍を充実させるのは賛成です。平和とはいえ、群盗に泣かされている民衆はまだおりますからな。しかし。妁公には気を悪くせんで欲しいが、その武勇がどれ程か、我々はまだ知らない。武門の家に生まれた、身体が逞しいだけの漢かもしれない。」
さすがに妁柔可は眦を紅く染めて、祿把畏を睨んだ。州王襌簒は、武人二人を代わる代わる眺めていたが、外の庭園にふと、何かを見つけて眉をひそめた。
「では。どうするのです?」
「されば。妁柔可殿に、あの三人のいずれかと立ち会って頂き、もし勝ったら、我が州の龍牙府に召抱えたらいかがでしょう。」
「町企傭、王正、初嶽膨ですね。」
州王は亭外に目をやったまま、言う。視線の先、花園のただ中に、妁柔可よりも大柄な三人の漢が立っていた。なるほどこれ、祿把畏の準備であろう。
「州王、心外ですな。」
妁柔可も、腕組みし余裕ありげに破顔している三人の豪傑を見つけた。そして、一瞬にして漢どもの外見から値踏みし、こちらも嬉しそうに舌なめずりをしている。
「その心配そうな表情。その御顔はあの三人の為にどうぞ。拙者の真価を示すには三人まとめてかかって貰ったほうが、分かり易い。いずれか一人、等と吝臭いことを言わず三人とやらせて欲しい。あ、それと。」
顔を紅潮させた妁柔可はやにわに立ち上がり、祿把畏から黒色の剣をむしりとった。
「殺しても構いませんな。三人とも。」
また春風が吹き込んできた。
襌簒と祿把畏がどう感じたか。
ちなみに妁柔可は、汗ばむように暑い鮮烈なる薫風と感じている。
その表情は、獲物を見つけた野獣の如し、漆黒の鞘を投げ捨て、
「いざああーっ」
決闘を一方的に叫んで駆け出し、花の中に立ち尽くす大漢三人へ、抜き身をギラつかせて躍りかかった。
****************************
福州




