↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/120

少年潜伏せる、貸戈口の朝


 すやすやと傍で寝息を立てる少年。

 その寝顔を見ながら、履裂(りれつ)は目頭を熱くする。


(おいたわしい。まだまだ子供でおられるのに。)


 室内は少しカビ臭く、眉間にしわを寄せる。

 帖案(じょうあん)の上に置かれた白玉の置物も、かなり高価なものと見受けるが、埃が積り、本来の美しさが全く感じられぬ。七月だから朝から汗ばむ暑さだが、しばらく誰も使ってなかった離れの独特の雰囲気がひどく寒々しい。

 ここは類(るい)州中西部の貸戈口(たいかこう)という街で、庇(ひ)州よりも温暖な土地である。鳥がすがすがしく鳴いている。この離れを貸してくれている粋(すい)家の者たちも、外で元気に朝の労働を始めている。また、ここは南大運河(なんだいうんが)がほど近く、人夫たちが早朝から働く喧騒も聞こえてくる。


 だが、それでも履裂にはこの部屋が薄ら寒い。


「穣門庇分(じょうもんひぶん)か。」


 と、ひとりごつ。小さい声だが、思いのほか部屋に響いた。ここには傍で眠る十一歳の少年と自分の二人だけ。用心棒の罪甘座塁罵(ザイカン・ザルイバ)はつい今し方、貸戈口の繁華街へ繰り出し昼の食材を買いに行った。貸戈口は南大運河沿いの都市で、運河流通の中継機能を担っており、商業が活発で物資も豊富だったから、買い物も不自由無いだろう。


 部屋に差し込む朝日に目を細める履裂の口は、しかしキュッと真一文字に結ばれている。顔色が悪い。罪甘座塁罵と違い、彼は少年の正式な傅役であったから外出は控えねばならなかった。


(まあ、穂佑聯(すいゆうれん)も窶房長(くぼうちょう)も、我らなど眼中無いだろうがな)


 さすがにこの言葉は口に出さず、眠り続ける少年を見やりながら、履裂は心中で自嘲した。



 二ヶ月前、眞暦(しんれき)1810年5月。


 穣門にて、「穣門庇分」という会議が開催された。出席者は穂佑聯、塊協半(かいきょうはん)、窶房長の三名。議題は庇州の扱いについて。庇州は、州王の尼竺(にじく)とその公子・尼食強(にしょくきょう)が坡(は)州東部の原野に戦死し、一時的に空白地帯になったのである。とはいえ、尼竺の次男であるこの尼乎磊(にからい)は生きているのだが、この会議に呼ばれなかった。嫡子でないからか、十一歳という年齢か、理由はいくらでも立てられただろうが、その説明すらもなかった。

 結論は、三者による庇州三分割統治だった。


「勝手なものだ。」

 この言葉は口に出した。


 始祖である尼故嵩(にこすう)が世に出たのは姚(とう)の建国時。そしてその貢献は大なるため、次男の章(しょう)が庇州王に就いた。

 以来三百年。尼家は、庇州に君臨してきた。だがその終末はあっという間だった。


 原野に屍をさらしたのは州王と公子だけではない。庇州軍は柱石たる武官や万余の精鋭も、「褐剣髯(かっけんぜん)」塊協半の逆襲に遭い、そしてそれこそ「無限」に続くかと思われる彼の猛追撃に襲われ、その殆どが命を落としたのである。


 しかし。もっとも致命的だったのは、同盟軍だった窶房長の行動であろう。

 履裂は、一人でつい激してしまう。

「州王のやることか。汚ねえ。汚な過ぎる」

 かつて坦陸(たんりく)で美獣(びじゅう)が穂泉煎(すいせんせん)にしたのと同じように、窶房長は尼竺を無理に殿軍へ追いやったという。


 鬱々と、履裂の思いは巡る。


 離散した尼家は再集結する間も無く、「穣門庇分」により一夜にして所領を失った。次男・尼乎磊の身の危険を案じた傅役の履裂は、尼家の再起をひとまず諦め、庇州から即座に逃亡し、伝をたどって類州貸戈口の富豪、粋就(すいしゅう)のもとへ転がりこんだのである。

 声を潜め、息を殺す。そんな生活が始まっている。離散した旧尼家家臣との連絡は、まだ殆ど取っていない。この潜伏場所が漏れぬよう、今はそこに細心の注意を払わねばならぬ。


 ふっ、とため息をつくと同時に、脇からの強い視線を感じた。


「あ。起きられましたか。」

 見れば、傍で寝ていた少年、尼乎磊が、履裂を睨みながら起き上がるところであった。


 大きな二重眼は眦(まなじり)が切れ上がり、十一歳の少年ながら、睨むとかなりの凄みを発する。練絹のようにツヤのあるふっくらした頰に、数個のほくろを散らし、小さな野花の如き口はへの字に曲げても可憐さをとどめるなど、色気もまた備えた少年であった。

 尼乎磊は、広い室内に素早く目を走らせる。罪甘座塁罵が戻ってないのを確認したのだろう。

「履裂。」

 と、すこし鋭い口調で切り出した。


「はっ。」

「気持ちを強く持たねば、成るものも成らん。」


 少年の眦はいよいよ吊りあがり、透き通るような頰にすこし赤みがさしている。寝顔で見せていた可愛らしさは完全に消え、その表情は怒気に満ちていた。

 先ほどの履裂の独り言を聞いたに違いない。


「俺は草の根を食い、這ってでも生きる覚悟だ。それを富豪の離れに泊まれるなど、贅沢に過ぎる。」

 そう言うと立ち上がって、諸肌脱ぎとなった。日課の鍛錬を始めるのであろう。

 そして、御曹司は筋張った背筋越しに、言い捨てた。

「粋家に長くおらん方がいいな。」


 履裂は、恥ずかしさと喜びとをない交ぜにしながら、朝日に目を細める。

「承知 。。。 」


 ようやく絞り出した声は、ひどくかすれていた。







**************************




附類平原  (類州周辺)


挿絵(By みてみん)




庇州


挿絵(By みてみん)




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。