無限土突
坡州中部、穣河沿いの城市、塢宜。
城東の黄土に、疾党慝はゴロリと転がった。もう、と上がる黄色い土煙りは、春の日差しで少し暖かった。
「ふうぅ。たく、坡州軍の主力は闔奥に行ってるんじゃなかったのかよ。」
昨日負った左上腕の刀傷が包帯越しにズキっ、と痛んだが、構わず地に身を横たえる。
朝からの戦闘で、まだ二十一歳と若い彼でも、体は綿のように疲れていた。
眞暦1810年。
因州王美獣の号令一下、定州王窶房長と庇州王尼竺は二月に出師して坡州へ侵攻、号して十二万、坦陸を陥した後、三月には堪比巷を攻略するなど、新坡州王・塊協半の封地を無人の荒野を行くが如く突き進み、連勝を重ねてきた。「無人」という表現はある意味正しく、「褐剣髯」塊協半は闔州西部の山奥に赴いて、彼の地の豪族・閃言彫を攻撃中、本拠である坡州はもぬけの殻に等しかった。そして四月、定庇連合十二万は勢いに乗って、塊協半の故郷である塢宜を囲んだのである。
これも包帯だらけの同僚が、地面に寝転ぶ疾党慝を見下ろしていた。
「それは正しいな。確かに敵の主力は闔奥にあり、眼前の塢宜に籠城するのはわずかに三千。だが、それを率いるのが」
「猛将、土考だった。ってことか。」
疾党慝には、ため息しか出ない。
数km先に見える塢宜城の東門。
そこに土考の率いる千人の坡州軍が、悠然と入っていく。定州軍も庇州軍もその背を襲おうとしない。彼らを収容した城門は、静かに閉められた。
攻城側は虚しく土考軍の帰還を見つめていた。いや、疾党慝同様地面に寝転んだ兵士たちの多くは、すでに生き絶えており、正確には「見つめていた」とは言えないのかもしれなかった。地面は血だらけだったが、その多くは定庇連合の将兵が流したものだった。
「『無限土突』ってのはどうだ、疾党慝。」
上から声が聞こえた。
首をねじって見上げれば、昨日右目を失った叔父の疾卷だ。顔の半分を覆う包帯が痛々しい。同僚は気をつかってその場を立ち去った。
「一応無事だったみたいだな。左腕の傷は開かなかったか?」
「はあ。お陰さまで。叔父上もそれだけの重傷、庇州に帰られ、養生しなければ。」
「いや、後備隊に残れば、こんな怪我人でもやれることはいくらでもあるんよ。郷に戻って、右目が復活するんなら、すぐにでも戻るが。」
叔父はそう言って笑う。引きつってはいるが、本人としては満面の笑みの積りだろう。疾党慝は叔父の前で寝転がっている訳にいかず、胡座をかいた。叔父もその隣に座る。
「で。『無限土突』って。なんでしたっけ、ええと。『屍牽五突』か。」
「そう。お前、もっと歴史を学んだ方がいいぞ。死んだ疾銚姉さんだったら、こんなの即答だぜ。」
「すみませーん。」
疾党慝は、ふざけてみせているが、母のことを出されると弱い。穣門で蝕留鎮の染布を売り、必死に自分を育ててくれていた母の姿は、忘れようもない。
「あの時の反歓軍もこんな気持ちだったんですかね。」
「まあな。」
二人の周りには数人の兵卒が倒れており、庇州軍か定州軍か、みな微動だにせずおそらく死んでいるだろうが、二人の会話に耳を傾けているようにも見える。息ある者がおれば聞いているだろう。
「『屍牽五突』は百。。。 百十六年前か。『帝城餓狼』妁坐霊が、将来を嘱望していた徒牽に、女歓帝政最期の演出を託した戦いだな。」
「はあ。しかしあの時の徒牽の突撃は五回でしたよね。それが今回は」
「土考め。奴の突撃はもう、何回だか分からん。」
疾卷は残った左目で塢宜の城壁をはるかに見やった。明らかに怯えている。胡座の膝がヒクついていた。
「そ。それで『無限』ですかぃ。」
疾党慝の言葉も、どもっている。
瞑目したら、先ほどの突撃の様子がまぶたに浮かんで、慌てて目を開けた。それでも残像が眼前に展開する。あの時、叔父をはじめ、重傷を負った兵士は後方に下がり、疾党慝を含め、「軽傷」以上の者が前線に立たされた。突如、昼前の明るい春光に照らされた塢宜の東門がバカッ、と開き、城方一千の軍が吐き出された。鋒矢の陣形、その鋭鋒の尖に、巨躯を騎上に躍らすは紛れもなき土考、褐色の冑の下、その形相は悪鬼の如し、定州も庇州もいずれの正規兵もこの驍将の前に、塵埃よりも軽く空に舞い上げられ、血飛沫か首級か、穣東連合の兵団は瞬く間に蹴散らされた ―――
疾党慝は、悪夢の追憶を止める。
薄い胸当の下にじっとり汗をかいていたし、上空の禿鷹が立てる羽音もまた、疾党慝を現に引き戻した。
一羽、また一羽と舞降りてくる。周辺に倒れている兵卒をつつき始める。死んでいる者もいようが、まだ息のある者もいるのではないか。
「党慝。疲れているだろうが。」
「ええ。はい。すぐ、行きます。」
疾党慝も疾卷も立ち上がった。まだ生きてるのに、禿鷹に食われそうな気がしたのだ。早足で後方部隊への合流を目指した。
その時。
バカッ!
数km先の城門がそんな音を立てて、開いた。その時は、確かにそう聞いた。
「城門が開いたぞ!」
「また、土考が来るぞ!」
どちらかは叔父の疾卷の叫びだったが、どっちかは自分だったかもしれないし、周辺の兵士かもしれないし、禿鷹についばまれている戦死者だったかもしれない。
とにかく疾党慝は逃げた。
金創の痛みも、叔父も、負傷した仲間たちも、ましてや所属する庇州王軍の戦果なんぞ。すべて委細構わずかなぐり捨てて、逃走した。
怖くて目を閉じる。
すぐ耳元に、馬蹄と、馬の鼻息と、そして鬼神と化した土考の「死ね」という低い恫喝が、その時は確かに聞こえたのであった。
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昼下がり。この一ヶ月で三十二回目の土考軍の突撃が行われた。午前の戦闘から時間を置かなかったこともあり、十万を超える定州王・窶房長と庇州王・尼竺の連合軍は算を乱して総崩れし、十kmも退却した。
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坡州




