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暗中潜林


「ぷはー。美味かった。なあ、湯雀(とうじゃく)。」

「城で戦さがあったばかりなのに、よく、そんなに食えますな。」

湯温鬢(とうおんびん)の旦那、弟さんの言う通りで。まあ、旦那は普段は丸々として穏やかな風だが、商人には勿体無いほど胆が座ってるからね。」

「兄上、それにしても今日はちと、食いすぎでは?」

「本当にたくさん召し上がりました。ウチは儲かるから良いが。」


 眞暦(しんれき)1809年7月。

 ()州西部の小城市、墅営(しょえい)から西へ三kmほどいくと、照葉樹の林あり。林間に数個の名もなき集落があったが、その内の一つにそこそこ美味い物を出す酒家があった。


 胆が座っているかどうかはともかく、湯温鬢は脂をテラテラと浮かせた丸い顔を火照らせて、楽しそうに喋る。

「なに、儲かったのはワシの方よ。こないだの夜、連れてきた客な。オヤジ、ほら、タケノコと豚の蒸し饅頭つくってくれたろ。餡に唐辛子効かせたやつ。」

「今日あなたらも、二、三個食べましたな。」

「そうそう。先方が、あれをいたく気に入ってな。ご機嫌ですぐ話がまとまったのよ。あと酒も好みのものを置いてあるって言って。」

「そいつぁ、良かった。」

「だから、ほらよ。」

「湯温鬢さん、こりゃもらい過ぎだ。」

「また美味いものをこさえてくれ。新しい客を連れてくる。」

「来週の水曜でしょうな、兄さん。」

「ほう。分かった。じゃその日、奥の間をおさえておくよ。四人席で大丈夫かい。」


 湯温鬢は、福々しく膨れた腹を撫でながらゆっくり立ち上がった。


「充分よ。先方、辛いのはたぶん大丈夫だから、また蒸し饅頭を出してくれな。じゃ、わしは店に戻る。ご馳走さん。」


 ここで店主はすばやく動いて、湯温鬢に顔を近づけ小さく耳打ちした。

(お二人とも気をつけて。王軍も、堤軍も、まだこの辺を嗅ぎ回っているかもしれない。)


 軽くうなずいた湯温鬢は、弟の湯雀をうながして酒家を出た。


 夏の日は長いが、十九時にもなると林の中はさすが薄暗い。ただこの辺は湯温鬢にとって地元だから、二km先の自分の店まで道を間違うこともない。集落の一軒一軒、林の木々一本一本まで、記憶にある。この辺を根城にする砂糖商人として、商圏のことを把握しているからであり、きっと目をつぶっても店に帰れるだろう。

(おやじはああ言ったが、連中はもう、もっと遠くを探しているだろう。こんな城の近くに将軍が居られるとは思えん。)


 湯温鬢はダブついたのどの肉をいじりながら、「斜晃(しゃこう)将軍」朦罠(もうみん)の精悍な面影を、顔の左上から斜めに走る壮絶な傷跡を、まぶたに思い浮かべ、憂いを強めた。




――――――――――――――――――――――――――――




 昨夜の墅営襲撃事件を振り返る。


 坡州王・培去或(ばいきょかく)龍眼(りゅうがん)堤便飫(えいびんよく)と合して、墅営にある「斜晃将軍」朦罠の自邸を襲った。

 この日の朝、朦罠は坡州都である塔樹(とうじゅ)の州王府に参内し、培去或に謁している。その後王府内で諸事を済ませ、坡州龍牙(りゅうが)の職にある彼は龍牙府に寄って決裁や様々な指示を出した後、塔樹の自邸で遅い昼食をとって、城門を出た。そして十数km離れた小城市、墅営に向かう。

 ちなみに朦罠はとなりの(みん)州北部にある州王家の所領を一手に管轄しており、軍部大臣である龍牙(第二大臣)とは別に、「明州領総督」という特別職にも就いている。この明州北部の大邑、(こう)に本拠を定めていることと、その顔の傷跡から、前述した「斜晃将軍」という別称でも呼ばれていた。

 さて、培家の中でも大身となった朦罠にとって、塔樹の自邸は狭すぎた。また州王府や龍牙府に近くて、頻々と来る訪問者に思索を妨げられること度々であった。そこで小城市の墅営を丸ごと受領して、ここに大きな邸を構えたのである。湯温鬢などはまっさきに挨拶にいったクチだが、かもし出す「斜晃将軍」の大度に一目で心酔したものである。

 なお、墅営の周囲は起伏に富んだ地形であり、防御に適していた。朦罠は、塔樹に対する詰めの城としての機能を想定したと思われる。

 

 だが、坡州王たる培去或は、そうとはとらえなかったのだろう。


 おそらく、

「朦罠の離叛、明らかなり」

 などと、朦罠が辞したあとに傍らに控える龍眼、堤便飫に吐き捨てたに違いない。

 明北の大領に半独立的勢力と化した上、培家本拠の塔樹の後背に墅営という城砦を構え、これ我が脇腹に突きつけたる刃であろう。

 そう言われてみれば、朦罠も勘ぐられるようなことをしている。


 だが、強大な国富を誇った培梅(ばいばい)が、坂隷(はんれい)の戦いで討たれてから今月で丁度二年。坡州西部でその嫡男、培去或が生き長らえたのは、ひとえに「斜晃将軍」朦罠の才覚による。


「将軍に野心があれば、とっくに御曹司の首を獲っているだろうに。」

 湯温鬢は、つい、口に出した。

「左様で。だから、昨夜の襲撃が愚の骨頂と思うのです。」

 弟の湯雀が応じた。


 夜の林道は、いよいよ深閑としている。


 だが、いくら周囲に州王軍がいないとしてもこんな発言は危険に過ぎる。ために兄は慌てたが、弟は構わず続けた。


「州王と龍眼の軍であれば、墅営の衛兵も通さざるを得ません。そんな所だけ、知恵が回りよる。」

 確かに州王の作戦は取り敢えず当たり、朦罠の自邸は炎上、当人は入浴中だったとのこと、指揮がとれず手勢は簡単に撃破された。


 だが州王は、肝心の朦罠を取り逃がした。


 培去或はなかば狂乱して、捜索を下知したという。


「かの『斜晃将軍』を相手に、半端な喧嘩を吹っかけるなんて。そもそも恩を仇で返す所業、もし朦罠様が再起したら州王はただでは済みますまい。まったく堤龍眼が付いてながら何故こんなことになるのか。」

「その辺にしておけ。どこに耳目があるか分からぬ。」


 まったく雀め、今年で三十五になる筈だが諸事、軽率が目立つ。店に帰ったらまたキツく言わねば。心の中で舌打ちしながら、夜の林間に視線を走らせる。


 湯温鬢は、そう、この辺りに知悉している。


 だからであろう、暗い樹木の間隙に常の闇と異なる、違和感のようなものを感じ、さまよう視線をぴたりと止めた。


「湯温鬢です、この墅営界隈はみなお味方。培去或の兵はもうこの辺りを捜索してません。」


 その闇に向けて小さく、しかし指向性があってしっかり聴こえる声で呼びかけた。


 それを聞いた湯雀も、さすがに顔を硬直させ、不自然にならぬよう、ゆるやかに立ち止まる。


 木と木の間に人影。

 顔の左上から眉間を通って、右頬まで達する朦罠の傷だけが、湯温鬢の目には闇に浮いて見えた。そしてこれまでそこには無かった、殺気にも似た緊張感を強く感じた。


 ややあって、闇から声がした。


「分かった。湯温鬢、お前にこの命預けよう。」

 狼が低く唸るような、くぐもった声であったが、間違いなく「斜晃将軍」朦罠その人の声であった。


「御信用下さり、恐縮でございます。さ、他所で御手兵を収容し、敵に抗しましょう。」

「ふふ。」


 かすかな笑い声と共に朦罠が樹間から姿を現した。武人にしては上背が無く、百六十七cm程度だが、しかしがっしりと横幅がある。

「『敵』か。そうだな。」

「将軍、その格好は。まずは着替えましょう。」

 闇から現れた朦罠の服装は、培家の番人として恐れられた将軍としては、あまりに粗末であった。よれよれになった麻の上下で、腰の所を結んでいるのは荒縄、服の所々がほつれ、数カ所穴が空いている。


「農家で着物を盗んでしまった。」

「おお。風呂に入っておられたと聞きました。」

「そうか、伝わっているか。情けない。いざとなれば領民の家に忍び込んで盗みを働く。墜ちたものよ。」

 湯温鬢が振り返って目配せするのと同時に、弟の湯雀が走りだした。弟は店にすっ飛んで帰り、男物の袍を持ってくる筈である。

「大丈夫です。先程言ったとおり、ここの民衆はみな貴方の子。この服は皮蹲(ひそん)のものですな、あいつは特に貴方様に心酔しています。」

 優しくなだめるように言葉を運びながら、敬愛する朦罠の苦境が可哀想で、湯温鬢は涙をこらえるのに必死であった。


 だが一方で、顔を斜めに分断する傷跡に居並ぶ両の目には獣のごとき光が失われず、また双肩の筋肉は隆々として麻布の上から見ても躍動感にあふれている。今は農夫の服に身を包み、みすぼらしく見えるが、一皮むけばまぎれもない「斜晃将軍」朦罠なのだ。

 このお人を何とかまた、歴史の表舞台に立たせねばならない。


「『斜晃将軍』よ。」

 湯温鬢は、打って変わって厳しい口調になった。それは砂糖商人とは思えない、武人の如き声色で、さしもの朦罠も思わず居ずまいを正した。


坑谷(こうこく)が宜しい。あそこなら私の知己もおり、将軍の手勢を集結するに良うございます。」


 真っ暗な林道の彼方から、馬蹄の音が近寄ってくる。早くも湯雀が戻ってきたのだろう。


「早々に着替え、馬を走らせ下さい。」

「私は。。。 」


 何か言おうとする朦罠の言葉を、湯温鬢は鋭くさえぎった。


「『敵』を討ち、明北に起ちなさいっ」


 店に戻って湯家の一張羅を掴み、馬で駆けつけた湯雀は、天下の大将軍に威厳をもって対峙している兄の姿を見て、しばらく声をかけられずにいた。







*****************************




坡州

挿絵(By みてみん)


明州


挿絵(By みてみん)


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