気鋭の援将
「上空注意!投石回避っ。」
啓潔は、若くてよく通る大声を自軍の上に響かせた。
庇州の尼璧を攻城中である。
攻城側である因州軍の啓潔が受けもつのは東門だが、門も壁もいたる所で欠け、崩れ、血の跡がそこかしこに染みついており、秋の日が中空を過ぎて、これらを無残なほど明るく照らしている。「尼璧城東門」という扁額は留釘が外れて、斜めになっていた。最近の激戦のほどが分かろう。
尼璧は庇州中部の中核都市ではあったが、州都は北部の大商業城市・厚廠である。ではなぜここ尼璧での攻城戦がそれほど白熱化するのか。
それは、庇州王・尼竺の本城だからである。
名前の通り、尼家にとって苗字の地であり、本邸や先祖を祀る宗廟もここにある。姚建国の功労者たる始祖の尼故嵩、その子で眞暦1533年に庇州王に就いた尼章など、二百数十年に渡って庇州に君臨してきた尼家歴代の王がここ、尼璧の廟に祀られているのである。
だが、尼竺がここに籠る理由はそれだけではない。
州都・厚廠は穣河南岸沿いで、庇州においては北に寄り過ぎている。経済規模が圧倒的に大きいから州都とするものの、軍事拠点としては、厚廠より尼璧の方が適していた。
さて、その尼竺であるが、現在本拠の尼璧に籠城し、全軍かなり疲労している。
それは兵の様子を見れば一目瞭然なのだが、啓潔は手を緩めない。
「矢も来る。回避っ。よく見て、回避ー!」
直後、啓潔の頬を幾筋もの矢が掠める。間違いなく毒が塗られているが、それを吸い出す間はない。北方出身者独特の白い肌に、無惨な赤い傷が数本付く。
ズーン、ズーン、と幾つか投石も為されたが、これは誰にも当らない。
「敵の石も矢も外れておる。すでに庇州軍にはまともな射手がおらんのだっ。」
これは事実だった。この言葉に兵卒たちはうなづいている。
啓潔が、赤鋲打ち白銀の鉄製甲冑をカシャカシャ揺らして、棗型の眼を光らせるたび、周囲の勇士達の気は奮い立つようだった。
矢も石も少し止んだところへ、馬蹄を鳴らして一人の武官がやってきた。
太く印象的な眉を持った若者だが、首から白布で吊られた右腕が痛々しい。
「さすが啓潔将軍。これだけ油断無く対処されては、城方も絶望感を強めておるでしょう。」
「冥群州都代。お怪我はよろしいのか。」
この若き武人 ― 冥群 ― は、嘆息まじりに右手をさする。
「情けない。まったく、わが定州軍がこのように不甲斐ないばかりに、ご迷惑をおかけして。」
と言いながら冥群は、城壁に目をやる。それは啓潔も同様、会話しながらも意識は敵勢の動向にある。
「お互い」
啓潔は自嘲気味に肩を揺らす。
「戦場が怖くてしょうがないですね。」
「そんな。」
目を丸くして冥群はその後を言おうとしたが、少し間を置いた。言葉を選んだようだった。
「あの。よくぞ、よくぞ、穣河をお渡り下さった。」
「いや。我が因州美家にとって、貴家は大事な同盟州。先だってもそう、やはり我らが穣南を歩く時は、あなた方がいないと駄目なのだ。これからも協働して参りましょう。」
今、眞暦1807年10月。
「先だって」というのは言わずもがな、俗に言う「剣髯狩坦」、四ヶ月前の因州軍大敗の夜戦のことである。
「しかも此度は『青光麗弟』が自ら総督下さって。我が主、窶房長も大変喜んでいました。」
「左様。弟君も、当戦役に力をかなり入れており申す。」
「確か、将軍は美萊峩様と同い年とお聞きしましたが。」
「ぐ。」
思わず、啓潔のこめかみに青筋浮かび、奥歯をぐっと噛みしめる。
「まあ、同じ1780年の生だが。わしのような愚昧の武人には、王家の存在は雲の上。そんなことより。」
啓潔は、美獣の弟、「青光麗弟」美萊峩に対して嫉妬しているが、常に悟られぬよう、注意している。だが今の反応は良くなかったかもしれない。
「坡州の『褐剣髯』が急速に拡大している。坦陸はともかく、坂隷に至っては。」
「あれは偶然ではないですね!ただの盗賊ではない。」
冥群は一瞬見せた啓潔の不興が何ゆえか分からなかったが、とにかく機嫌を取り結ぼうと明るい声を張った。
定州王・窶房長としては礼をいくら言っても不足である。美獣が「剣髯狩坦」の衝撃を大きく受けているのは穣界の誰もが知ること、だからこそ今回の窶房長の要請に本当によく応えた。
「『褐剣髯』が尼竺と組んだら厄介な所だが、そこで定州王窶房長が尼璧を包囲された。これは我が同盟にとって非常に大きな壮挙だ。支援せぬ訳がない。」
「恐縮にございます。が、とにかくわが軍は因州の来援で命拾いした。この恩は忘れませぬ。」
啓潔はニッ、と真っ白な歯を見せて笑い、城壁を見やった。冥群はほっ、と音もなく安堵の吐息を漏らして、やはり城壁に視線を動かした。
壁の上には投石機も弓手もいない。
――――――――――――――――――――――――――――
尼璧の正門は北側にあり、当戦総督の「青光麗弟」美萊峩自らが受けもっているが、庇州王尼竺の居館は城市でも東に寄っている。
つまり、啓潔が担当する東門に近いのである。
その東門でかれこれ三時間、城壁からの斉射が止んでいる。冥群が去ってからの一時間は、小さめの投石が3個、弓矢に至っては一本も放たれない。
(もしかしたら… )
油断しないように自分に言い聞かせていても、つい、考える。
さらに三十分。
東門城の楼閣に、ふっ、と人影三つ、手早く何かを準備すると、おもむろに白い大旗を掲げた。
さすが因州正規軍、これを見た兵卒みな声一つ立てなかったが、啓潔は叩きつけるように、言った。
「まだだっ。油断させての斉射もあり得る。こういう時こそ、身構えよっ。」
しかし、杞憂だったようである。
白旗は大きく振られた。
ここで早馬を呼んだ。
「伝令っ、総督に知らせい。降伏じゃ、尼竺降伏。早馬で行けい!」
さすがに全軍がどよめく。が、途端に啓潔の叱責を受けることになる。
「馬鹿者がっ。警戒を解くな。皺馬丘の夜をもう忘れたのか、貴様らあっ。」
澄み切った秋の空と、大きな白旗はひどく清々しい。
あの夜の風景と比べ、何という差か、そう思いながら、棗型の目を細め、表情は鋭いままに、自軍に睨みをきかせ続けていた。
この後。定州王・窶房長と因州王軍の美萊峩は、莫大な賠償と人質を尼竺からむしり取り、兵を退いている。
*******************************
庇州




