双瘤の一、新皇帝を傲然と慶賀す
眞暦1808年5月。
女罵洛はまだ、皇帝の玉座に座り慣れない。
大姚帝国皇帝と百大臣の評議場、禁宮皇金堂。
都州盆地の朝は曇天で五月の割には肌寒く、昼になってもこれ以上気温は上がらぬと見え、ここ皇金堂も冷えた堂内が陰鬱であった。
女罵洛は冕冠の旒を小刻みに揺らす。
欠席者はいるものの、百大臣たちが居並ぶと確かに壮観だが、みな肥っていたり、顔が青白かったり、精気が無い。嫌な風景である。
そんな中、新皇帝にとって、俶壮の顔が見えるのが救いであった。
(静かなだけ、良いではないですか。)
群臣の中に埋もれながら、彼女は声に出さずにこう言った。
欠席者には、龍鱗(第三大臣)の如堯峰、都相(第四大臣)の嫋害、祭相(第五大臣)の門東衫が含まれる。そして玉睨兼龍眼(第一大臣)の妖天もここにはいない。この育ちの悪い四人がいると、朝堂の厳粛さが損なわれてしまう。女罵洛は皇帝即位前から、その様子を間近に見てきた。
俶壮はそれを言うのである。
(いや、今日は居るべきだ。)
そう思いながら女罵洛は、その大きな目を細め、俶壮へ小首を傾げて見せた。
彼女は交相代だったから前の方に立席しているし、女罵洛を理解する数少ない人物であり、それだけのやりとりで理解した筈だ。若いが老成しており、その華奢な細いあごをわずかに引き、すべてを察したような表情で、立っている。
女罵洛自身も察しは良い方である。
父譲りの二重の大きな眼は、宿している光の種類が父とは全く異なった。父は相手に強権を押し付けるため、その大きな目にものを言わせていたが、女罵洛の目は物事を静かに観察するためのものだった。
「三籠侯公使、交相代・崇者勒。着堂!」
静寂を切り裂くように公使の声が響いた。
見ればはるか向こう、皇金堂入口に数人が立っている。
そしてそのまま、ズンズンとこちらへ歩いてくる。俶壮の隣を過ぎた際、彼女はチラと先頭を行く偉丈夫を見て、(やり手です、これは)と素早くその小さな紅い口を動かした。
(言われんでもわかるわ。)
女罵洛は暗澹としたが、顔には出さなかった。乱世の朝廷にあって今年で二十九歳、それぐらいの術は身に染みついている。
黒い長袍を纏うがっしりした偉丈夫が、新皇帝・女罵洛の前に立った。
「罵洛帝、御即位おめでとうございます!山・猟・鋤三州、三籠全域の民が慶賀し、その意を代表して我が主、三籠侯・峻江彩、公使を派した次第。」
この公使、崇者勒とやらは、皇帝の前で跪かなかった。
膝下に立ったまま、まっすぐ女罵洛の目を見て口上を告げると、傍の小童に親書を渡す。差出が「三籠侯峻江彩/交相崑走博」と見える。
三籠侯の使いは年賀で毎年来ていたから知っているが、彼らは皇帝への拝跪不要、と規則で決まっている。
(他の州王公使は排跪するのだがな。いや、因州はしないか。。。)
それは良い。
三籠侯・峻江彩が例外的な自治権を勝ち取ったのは、確か眞暦1795年だ。覚えている。女罵洛はまだ十八歳、役職はなく一皇族として学問に身を投じていたが、父が第六大臣(経相)として辣腕を振るっていた頃だから、よく皇金堂にも出入りしていた。
「浅ましい。さすが帝国の瘤と言われるだけあるわい。」
官人たちが汗を吹き出しながら右往左往していた。まだ黄翼山噴火の影響があって夏も涼しかったはずだが、恐らく八月頃だったろう。
「まあ、仕方あるまい。閥養や逓操では鎮圧出来んのだから。」
父の女懿が、カエルを潰したような顔で言っていた。
(醜い。)
と思ったのは、父のことでもあり、また、この大姚帝国のことでもあった。
(漂空教一派の亡霊が、些細で、大義のない騒ぎを起こしているだけだ。その程度なのに自分では鎮められず、州藩に責任をかぶせ、あとは批評家然とした態度に終始してやがる。)
当時は女罵洛も若く、このように義憤をおぼえたものである。
この時、三州の太守、峻江彩は、姚への貢物や公子の禁宮拘留、皇帝御前での拝跪を免じられ、帝国からの指示に対する無条件拒否権を得た。そして「三籠侯」を、姚の正式な称号と認めさせた。これらすべてが大姚帝国の法相府で明文化されたのである。
「遠路、御苦労。三籠はまだ寒いか。」
「はっ。山州平野部は緩みましたが、鋤州にはまだ雪が残っております。」
三籠、と一言で言うが、とても広大な地域である。それを公使がそつなく即答する。
(狭いのにこういう応答の出来ない州もある。峻僧炎以来充実した統治が布かれてきた「国」だ、当たり前か。)
眞暦1794年から翌1795年にかけ、峻江彩が派遣した崑走博や峨帛丼准たちが、妖・遜・闔3州を転戦して、奏同啄飯道を鎮めた。三州の各州王たちと、三籠軍の力の差は歴然であった。大功すべて三籠軍に帰するは誰の目にも明白、先に述べた好条件は見返りとして当然のものだった。
でも、腹が立った。
(やはりこの場に妖天がいないのは解せん。)
という点に、である。
妖天の座席は、この玉座の背後、御簾の向こうにある。
玉睨。妖天の現在の職位だ。
当然、堂内の百官は知っている。崇者勒も知っている。いや、斐界億万の民もみな知っている。一介の風来坊が州王や朝廷の諸官を騙し、隙を突き、弱みを握り、皇帝を監視する「玉睨」という非常置職に就いてしまった、と。そのやり口から「狡玉睨」と呼ばれている。
だが、拝跪免除の公使に妖天は対しない。今日は欠席しているからだ。理由は不明だが、三籠の公使と対面したら、彼の自尊心が傷つくのであろう。
(今日は遊びを優先したんです。)
俶壮がまた、口だけ動かした。
女罵洛は表情に出るのを必死に抑えた。だが顔は赤くなったろう。
目の前に威風堂々と立っている公使と対しているのは、新皇帝だけである。屈辱をなぜ自分ひとりが感じねばならない。
「父、女懿帝は生前、三籠をいたく気にしていらした。」
「先帝の御崩御、誠に慙愧に堪えません。お悔みを申し上げます。して。」
さすがの崇者勒も、この時顔が強張った。結果は分かってるだろうに、やはり、三籠にとっての最重要課題なのであろう。公使、崇者勒は先帝への悔みの言上はそこそこに放り出して、本日言いたかったことを一気に述べた。
「新皇帝様に、旧帝が承認せられた三籠侯との約定、全ての再認頂きたく存じますっ。」
「認める。」
即答した。
崇者勒はちょっと虚を突かれたようで、目をパチクリしていたが、女罵洛は侍童から巻を受け取り、そのまま彼に下してやった。
先日、すでに妖天から承諾皇書が代理発行されており、それをそのまま公使に渡したのである。
「これは。ありがとうございます。」
崇者勒は恭しく受ける。が、頭は高い。
(御対応が投げやりですよ。)
俶壮の可憐な朱唇が、声も無く動く。
百官がずらりと居並ぶ皇金堂がかえって無機質に感じられ、外は5月だというのに、女罵洛はぞっ、と背中に震えをおぼえた。
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都州帝城
三籠 (山・猟・鋤3州)




