剣髯狩坦
「くはは、馬鹿だよ、馬鹿だよ!」
三時。まだ夜は明けない。
大笑いしながら、揆朋楓の百八十cm弱の長躯は、長い黒髪を靡かせて、暗闇に沈む坦陸の街を艶然と駆け抜ける。
街中に張り巡らされた「義軍歓迎」の紙幕を片端から払い落し、長い軍靴で踏みにじる。先ほどの皺馬丘夜襲を歓迎してるんだろうが、ご苦労なこった、と猛禽の如きギョロ目は底意地悪い。
「街の家に入るな!褐剣髯に言われただろう!ボンクラがっ。」
戦さと言えば略奪が楽しみな荒くれどもは、この常識はずれな叱責に、何っ、と振り向くが、揆朋楓の威勢良い立ち姿を見ると、シュン、と手を止めてしまう。彼女が右手に持つ、橙色の鞭が怖いのもある。
(まったく。この悪党たちを統率するのも、いたいけな婦女子にとっちゃあ、骨の折れる仕事だわ。)
揆朋楓はふいに大きな瞳をぐるりと巡らせ、茶褐色の軍靴を、ガッ、と路面に打ちつけた。
「ほら壘渋邸はここだよっ。続け!」
彼女はその豪壮な宮殿に、妬みを隠すことなく歯を剥くと、極彩の鞭鮮やかに夜空にかかげ、正門へ向かって振り下ろす。
同時に、荒武者どもが
「うおあああ」
という鯨波の声とともに門内に雪崩れ込む。
「さあー。こん中にいるのは、お前らの嫌いな搾取の張本人だよ。だから、ここからは略奪、暴行、なんでもありだっ。やっちゃえ、やっちゃえー!」
甲高く啼く、夜の鴉が如し。
揆朋楓のあげる歓喜の煽りは、漢どもの雄叫びの中をつんざいて、居合わせた何百人もの耳に届いた。
広大な庭園。
樹の下、奇岩の平面、そここにまた「義軍歓迎」の朱い派手な幕が下がり、貼られている。
巨大な門扉。
木造りの瀟洒な扉を叩き割って宮殿内に侵入すれば、玉石を延べた回廊が、遥か先まで続く。
揆朋楓は大股で進む。
邸内で遮二無二暴れまわる兵卒の間を、淀みなく闊歩していく。
壘渋の豪邸では、あちこちで振る舞いの料理が準備されていた。
ふと隣に女武者が立った。
「朋楓さん。こりゃ、あたしらへのもてなしなんでしょ。籠城してたにしては豪華だけど。それと『義軍』ってのも一応、当たってるんだけどねえ。」
懸厘だった。
成人女性としてはかなり背が低く、揆朋楓と並ぶと大人と子供以上の差異が生じる。横幅があって、姿形は球に近い。右手には、血みどろの巨大な肉切包丁を握っている。今回、揆朋楓の管轄下に入った勇将である。
「我が軍が渤因連合十二万を追い払ったんだもんね。感謝する気持ちは分かるけどさ。それにしてもねえ。」
「悲しい勘違いだねっ、と。」
懸厘は目の前を逃げる下男に、肉切包丁を、ぶん、と振り下ろし、彼を両断した。
鞭で手のひらを打って、懸厘の手並みに拍手を贈ると、揆朋楓は「ふん」、とため息をつく。
(滑稽だねえ。我等は渤因だけを敵視してるんじゃない。これまでの搾取階級を、民を顧みない支配者を、ぶっ潰そうとしてるんだ。)
宮殿の連中は、宴の用意を慌てて止め、逃げ惑い、中には刀を取り出して抗戦する者もいる。
一人の料理人が剣を構えて揆朋楓に対する。
「卑怯じゃないか。お前らの労をねぎらうため、壘渋様がもてなそうとしたのに、仇で返すのかっ。」
「馬鹿。この料理の材料もお前の食い扶持も、みーんなあたしら坡州の民衆から巻き上げた租税だろ?そんなだから、あたしゃ、壘渋が嫌いなんだ。渤因以上にね。」
言い終わらない内に電光の如く、剣を抜き打ち、料理人の首を吹っ飛ばす。
揆朋楓は歯向かう者、逃げる者、構わず片っ端から切り伏せて、闊歩する。
そして頭の中でつぶやく。
(右に曲がって。そして左に曲がる。)
御殿内の諸室配置は、綿密に調査済みだ。殺戮の現場となってごった返す邸宅内を縫い、回廊を過ぎ、階段を登り、目的ありげに迷わず進む。
そして第三層の回廊に、見過ごしそうなほど小さな鉄製の扉があり、その前で足を止める。肉感的な大きな口がにかっ、と開き、
「見ぃつけた。」
と喜ぶ顔は、まさに獲物を見つけた魔物のそれであった。
内側からカギがかかっているが、助走をつけた揆朋楓の飛び蹴りで、豪快に鉄扉は吹き飛ぶ。
「きやあああ」
中は狭く、老婆が1人、身を縮ませて入っており、揆朋楓の武者姿を見て叫んだ。
構わずに引き摺り出し、大廊下に転がして、馬乗りになった。
「壘渋、討ち取ったり!」
次の瞬間、揆朋楓は老婆の首を右手に掲げ、大声で宣言していた。
大城市・坦陸の城主であり、後閔の驍勇として名高い壘洗の後裔であり、そしてひとときは坡州東部に蟠踞して、州王・培梅と渡り合った一方の雄、壘渋。坤斧という良将を得て、強力な軍事勢力を築いたものである。
それが今は、無残にも首を掻かれた一介の老婆でしかなかった。血統も業績も地位も、戦争に負ければ意味は無い。揆朋楓の如き卑しい生まれの下品な娘によって、その高貴な体は胴と首を切り離されてしまう。それは女武者にとって玩具を壊すより簡単な作業だった。
「孫娘の壘魍も討て!」
揆朋楓に感慨は無い。
むしろ喜色満面で叫んだ。如何にその「高貴な」者を殺害して手柄を立てるかが彼女たちの目標だから、当然大喜びだ。その声はよく響き、他階にも届いている。
「近くにいるはず。子供、若い娘はなんでもいいから、兎に角首にしろ。褒美は弾むぞ!」
このあたりは、事務的な対応である。
敵の棟梁を討ったら、その嫡流は逃してはならない。殺すか、捉えるかの何れかだ。なお今回の揆朋楓は、まず殺害し、首実検で後日改めて確認する積りのようである。
揆朋楓の指示を聞いた猛者どもは、一番の手柄首を揆朋楓が獲ってしまったので、孫娘を血眼で殿内に探した。
そこかしこで残虐な血飛沫が上がっている。武者達の精神状態は高揚を通り越して、もはや異常になっているようである。
ひとりの腹が肥大した兵卒が抜き身をぶらぶらさせながら、大声を出した。
「どこだーっ。壘魍ちゃん、出ておいでー!」
「ぷっ。」
血でぬめつく両手を大広間の緞帳で拭きながら、揆朋楓は吹いた。
「出てくるわけ無いじゃない。壘渋軍も馬鹿だけど、こっちも同等以上ね。」
大真面目に少女を呼ばわる太鼓腹の兵卒は、目を異常にギラつかせている。見ればどの兵も常の顔相では無い。真面目で、神妙で、戦闘は大成功を収めつつあるのに緊張感が更に増している。
いや。
馬鹿どころか、この歴史的瞬間を認識できる鋭敏さを持っているではないか。
今回の坦陸襲撃は、この穣界にとって、いや斐界全体にとっても、大陸の歴史にとっても、大きな壮挙となる。それを皆、体で、肌で感じているのではないか。そして異常に興奮してしょうがないのではないか。
揆朋楓は、少し考え直した。
今夜の戦いは終わりに近づいている。
(ふふ。褐剣髯め、やりおった。)
断続的に聞こえる悲鳴を耳に流しながら、昨晩からのことを思い返す。
(たった五百で、十二万の美獣を、号炸を破った。そして壘渋のお人好しに突け込んで、坦陸を獲ってしまったんだわ。)
五時。夜が明け始めた。
色々なものが見え始める。
庭園に面した大回廊には、宴席に運ばれることなく飛び散った料理と、壘渋邸の者達の夥しい血肉が入り混じって、ぶちまけられている。
庭園には薄灰の奇岩たちが、少しづつ暁光に照らされ始める。
そして壘渋邸を完全に征服したことも、明らかになった。
「出ておいでー」
。。。。。
孫娘は逃したようだが。
揆朋楓は、太鼓腹の声にか、こたびの壮挙にか、とにかく面白そうにその大きな口で笑いながら、庭園の上に顔を見せ始めた太陽を仰ぎ見る。腰に下げた橙の鞭が、朝日を浴びてひときわ鮮やかである。殺戮の現場なのに、長躯黒髪の女戦士は、ひどく美しかった。
眞暦1807年6月。
塊協半という謎の人物に、大城市・坦陸は奪われた。
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坡州




