篇外雑記 2 〜 歴代王朝 (正)
前回は失礼をいたしました。
第28篇「褐剣髯起動」掲載後から本編の小説をしばしお休みし、諸々の設定などをお話しする試みの第二回。
前回の第一回は、現在の大姚帝国に至る歴代王朝について簡単にご説明しようと、「狂眼嫂」門東衫どのにお願いしましたが、当方の紹介の仕方からケチが付きまして、冒頭より脱線、さながら「門東家小史」が如き態を為し、これはこれで私なども「ほうほう」と頷きながらタメにはなりましたが、そもそもの趣旨とは全く異なるシロモノ、このままではおれんと、再度のご講演を門東女史に依頼致しましたところ、みごと快諾の由(数軒の酒家を付き合わされましたが)、此度はきちんと趣旨貫徹、歴代王朝について簡潔無欠の名講義、間違いございませんので、どうぞご期待下さいませ。
それでは、門東衫嫂さん、宜しくお願いいたします。(今日も酒臭いですね)
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長えよ!
何が「簡潔無欠」だい。そういうおめえが冗漫冗長、前説が長講釈だっつんだよ、適当館っ。またここで脱線してやろうか、また酒家で血へど吐かせてやろうか。ええ?適当館剛よ。
なーんてね。この位にしといたるわ。
二度目の脱線はあり得ませんよねえ。如何に「狂眼嫂」と言われる私でもそうそう、酒乱のケを曝すわけにいかないですわ。好感度が下がりますもの。おほほほ。
さて、歴代王朝について話しゃあいいのね。
あたしは史家じゃないけど、前回も言った通り史上に明らかな家系に生まれてるもんだから、小さい時から家で歴史を叩き込まれているんだ。だから、そこらのイカサマ講釈師よりも斐界の歴史にゃ通じている積りです。
今の王朝は「姚」だけど、その前は、
壥 ー 盃 ー 穎 ー 誡
と変遷してきた。
壥とか盃はなかば伝説上の国なんだけど、遺跡も文献もあるから、その存在は歴史的な事実といっていい。
眞紀前900年頃に、坡州東部の壥強を中心とした政治体が成立、文字を擁して自らを「壥」と称し、500年間文治政治を敷いた。今も壥強という城市があって、これはちょっと当時と位置がずれてるけど、やっぱりこの斐界でもっとも古い都市だわね。あたしも行ったことあるけど、古都の趣が、他と比べて段違いだったわ。壥は直轄地が坡東に留まったけど、穣界の原始的な他集落がその威を慕ったらしい。
だが、眞紀前400年頃の天災によって壥の力が弱まり、群雄割拠が始まって、これを統一したのが次の「盃」。闔州の盃人埠に勃興した軍事政権で、版図は穣河を跨いで壥をしのぎ、強力な軍事国家となった。
で、次の「穎」。
実際の確かな歴史はこの辺からね。
壥も盃も、文字は持ってたんだけど、やっぱり記録が少ない。これまで話した二国の概要も、実は穎の国家事業として編まれた『空蓮』という史書に書かれた内容なんだよな。
穎は「千年帝国」とも呼ばれ、その事蹟はもう、膨大。あたしもここは思いっきり端折らせてもらうわ。
初代の穎眞は秦州穎邑に所領を持つ、盃の一諸侯だった。が、眞暦50年頃、盃がようやく軍事・内政ともに弱体化していたので、同僚の諸卿を追い落とし、最後に本命の盃の皇室を滅ぼして、大穎帝国を樹立した。
これ、穎眞が50歳の頃の話。
この物語で毎回、「眞暦」という暦年を使ってるけど、穎眞が生まれた年を紀元にしてるのね。あと、「眞紀」ってのは100年毎の単位で、「十眞紀」は眞暦900年から999年までのこと。細かい話だけど、「一眞紀」は眞暦1年から99年までだから他より一年短い。ついでに「眞紀前」というのは穎眞が生まれる前の年代を言う。
穎眞は伝説的な人物で、存在したことは間違いないんだけど、2人いたとか、3人いたとか、人間じゃなかったとか、猿だったとか、犬だったとか、巷間では諸説入り乱れて、まあとにかくある意味神格化されてます。
この穎の時代に、王朝の支配域は一気に広がった。ほぼ今の三十一州がこの時揃いました。無かったのは砂州と剣州くらい。あと、この時はまだ仰州と都州が「附州」という一州にまとまっていた。だから当時は、二十八州ということになるんですね、三十一ではないですね。いずれにせよ、その前の盃が穣河流域の中流域にとどまっていたのに比べ、附類、明證、楽界、三籠という異世界まで伸張したのだから、まさに大膨張と言えよう。
また領土の広さだけではなく、今につながる殆どの文化がこの頃に胚胎したと言っても、過言ではない。政治も見事に治まり、聖代として憧憬する者も多い。
ただ、この大帝国にも当然寿命がやってくる。『閣公譜』という戦記に描かれる程、荒れに荒れた眞暦800年前後の内乱を機に、盤石と思われた穎の屋台骨が揺れ始めたのだ。この内乱で穣西に「閔」の独立をゆるし、それでも200年持ちこたえたが、眞暦990年、原方害伝部に遊牧民族である葛麻が勃興し、その落日は決定的となる。
で。
葛麻の馬蹄に中原が踏み荒らされるも、證州誡央に誡飛叡・誡果の夫婦が起ち、 これが附州に籠って穎の禅譲を受けて「誡」を建国し、眞暦1020年に庇州厚廠で葛麻可汗・葛麻社黎児を討つ。その後、穎と同じ広さの版図を実現した。これが次の王朝、誡の話。
で。
眞暦1510年になって、誡も弱くなってきて、兆葛や利武、毘覇といった異民族、塔藩籍や閥敏など誡の大臣、美柳などの州王、そして女樊公などの新興勢力が軒並み頭をもたげる。で、結局勝ったのが女樊公で、作った国が「姚」でした、と。
はい。このへんは前回話したから、もういいよね。
あああああっ。酒が切れたっ。帰る。(退室)
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ありがとうございました。
門東女史、誡建国のくだりからソワソワしちゃって、この後に行く酒場のことしか頭に無かった感じですね。話が駆け足になって、随分いい加減になっていました。ただ、穎まではちゃんと話してくれましたね。誡や姚の建国の歴史については、本篇の小説に直結する部分も多いので、またお話しする機会があればと思います。
では、次回は地理的なお話をいたします。今度は、うって変わって品の良い先生に来ていただこうと思っています。ご期待くださいませ。
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大陸全体図
闔州東部 ※壥強・盃人埠・穎邑の位置を図示しています。




