褐剣髯起動
「くそう。あんな賊に手傷負うたあ、州王正規兵の名がすたる。」
「いや。お前、俺たちは平民部隊だから正規兵じゃないぞ。あとお前、先月まで流賊だったじゃないか。ヒト月じゃあ、お前はどっちかといえばまだ賊だよ。だからケガするのは当然だよ。もともとお前は弱いんだし。」
真新しい包帯を右手に巻いた若い雑兵が、その向こうの若い雑兵にひどく明確な指摘をされて、苦い顔をした。
間近に座る堕叉はこれを見てへへ、と笑ったが、右の塊案は雑兵の包帯姿を心配そうに見ている。
坡州北部、穣河にほど近い堝相限。
郊外に広がる草原が、地平線に昇る旭日に照らされ、その茫漠とした姿を現した。同時に坡州王軍の宿営も浮かび上がったが、広大な視界の中でいかにも頼りなげに見える。
そしてその宿営に屯する兵士たちの一割強が包帯を巻き、何らか負傷しており、昨夜の戦闘相手が夜盗団だった割には被害が大きい。寝転ぶ兵士も多く、眠っているのか、ケガで動けないのか、ひょっとして死んでいるのか、よく分からない。
「死ななかっただけましだぜ。あんな逸機の突撃命令じゃあな。」
堕叉は燗を啜りながら、塊案の青い横顔に言ってやる。顔が青いのは堕叉もそうだが、堕叉の利かん気強そうな刃物のように直線的な鼻筋に比べて、塊案の幅広な鼻はのっぺりとしていて、正反対な性格が顔相に現れていた。
「屍体安置の営所に行ったけどさ、四十四体あったわよ。」
正面に座る女兵士、揆朋楓がことも無げに言う。彼女は百八十cmに迫る巨体に、猛禽のようなギョロ目と肉感的で大きな口を載せており、戦場の華として申し分ない風貌である。
「は。気の強え女だな。夜中に見に行ったのかよ。死にたてホヤホヤの奴を、なに?四十四体?」
「堕叉みたいなひょろひょろじゃ、屍鬼が襲ってきたら一たまりもないだろうね。そこいくとあたしはほら、こちらの豪傑さんと背が一緒なのよ。」
「土考と揆朋楓が並んで構えてたら、屍鬼も生きた心地しねえだろうな。」
揆朋楓に肩を掴まれてる土考は、堕叉の言葉に針のような目を更に細め、鎧の如く筋肉をまとった体を丸めながら、笑った。
それを本当に生きた心地もなく見ているのが、塊案である。
そして鼻をほじりながらそれを見ているのが、その兄、塊協半である。真っ直ぐのびた褐色の髯が硬い為に、幅広の鼻に入れた人差し指をひねる度に、じゃらじゃらと音を立てた。
(塊案は鼻といい、顔立ちが兄貴によく似てるけど、性格はかけ離れているな。)
堕叉は、白く細い指で癖っ毛をかき上げ、あくびを一つした。
眞暦1806年1月、坡州王培梅の正規軍が出動して夜盗軍を破ったが、王府が自ら動かねばならないこと自体、この地域の治安の悪さが知れる。
(坡州だけじゃなく、穣界はどこも一緒だろうけどな。)
州王軍の正規兵たちは、近くの夜盗が籠る砦にほどなく追撃をかけるらしいが、堕叉たちが属する平民部隊は今日一日休みを告げられている。
「堕叉よ、ゆっくり休もうぜ。難しい顔してねえで。」
塊協半に言われ、思いに沈んでいた堕叉は驚いて、少し体をピクつかせた。
手元の燗を見て、こぼれずに済んだのを確かめると、ぐびっと一口あおり、
「協半、坡州を獲れんじゃねえか?俺たち。」
ぽろりとそんな言葉が口をつき、続けてまたあくびをした。
今度は塊協半が驚いたようで、髭を少し、じゃらりと揺らした。
「坡州を?」
「要は火事場泥棒の要領よ。」
堕叉はもともと話し好きだが、酒と、戦闘後の興奮のため、それにしてもちとしゃべり過ぎかな、とは思う。
しかし、話を止める積りは無い。
「妖天みたいな遊び人が天下を獲った。これは、とんでもないことだぞ。いよいよ何でもありの世の中になったんだよ。この先、とにかく狡い奴じゃないと生き残れねえ。」
隣の包帯雑兵が怪訝そうに見ている。
しかしそれも関係無い。酔った勢いでぶちまける。
「まず坡東にいる壘洗の子孫はダメだな。単なる年増の姫様よ。」
「壘渋がかい?『一字閃』坤斧を擁して、最近は州王を凌ぐ勢いじゃないのよ。」
揆朋楓が指摘するが、堕叉は言下に退けた。
「だめ。部下に優秀な軍事専門家がいるってだけだ。妖天もそうだが、行政機能が脆弱なのよ。あのおばさんじゃ、この乱世は渡れんな。」
「じゃあ、培梅様の方がいいってのかい?最近、壘渋に押され気味だったけど。」
「培梅もだめ。あれも同じ、年増の姫様さ。」
土考が岩山のような体を更に丸め、あっはっは、と笑う。自分たちは正規兵ではないとはいえ、培梅は一応主君筋ではあるし、そもそも天下の坡州州王だ。それをたかだか二十一歳の平民が呼び捨てにし、悪口雑言を吐いたら、下手をすれば処刑される。隣の包帯兵もいよいよ注目している。
しかし土考は、臆面なく辛口を披露する堕叉の胆力に、笑ってしまったのである。
「州王だから行政府は一応機能してるが、領内の治安が乱れ過ぎだ。州王自身も、州王府もそこそこ賢いけども、狡くはない。この穣界で生き抜く為の厳しさが決定的に欠けている。」
ここで堕叉は声を低め、
「俺らはどうだ。戦闘力は申し分ないな。この巨大なお二人が居る。」
と、揆朋楓及び土考を指差した後、自分の胸に親指を当てた。
「ずるい奴もいるよなあ。ここに。」
「分かった。部将も謀士も確かに居るな。だがお前が言う行政を任せる奴はどうだ。龍鱗の役は居るのかよ。」
土考が楽しそうに言う。
「居るんだよ、一人。同い年の女でね。」
「ああ。右のことでしょ。今、塢宜に住んでるわよ。しかし、あんな夢みたいなこと、本当になるのかな。」
揆朋楓は大柄な肩を揺らし、少し探る目をした。
その時。
「ん。行けるかも知んねえな。」
塊協半が軽くつぶやいた。
褐色の針金のような髯を頬にじゃらじゃらさせながら言うと、揆朋楓がはっと振り向いた。口調は何気ないが、大きな一重目は大きく見開かれ、何かに憑かれているように見えた。
「おめえら今から寝ておけ。で、起きたらすぐ塢宜に戻るぞ。」
弟の塊案が、兄の様子を見てあからさまに怯えている。一方で堕叉は、
(褐剣髯、何か考えだしたな。)
と、こちらは喜色を隠そうとしない。
「おお、そうか協半。じゃあ、軍から俺らの委託料もらっとくわ。」
そしてここで、わざと周囲に聞こえるように大声で言い放った。
「なあ。ここで戦仕事しても何にもなんなそうだしなっ!」
これを聞いて包帯の雑兵が、ひっ、と身を引いた。
塊協半は、と言えば、声を出さずに表情だけ豪快に笑っている。
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眞暦1852年、葬州において当代歴史叙述に執念を燃やした葷史罫の『獣髯記』が発表され、巷間で大いに流行したが、この軍記物でも当場面が描かれているので、一部抜粋する。
………
坡北は堝相限の荒野、培梅が州王軍の休息したる中に、褐剣髯の一味があり。
褐剣髯は、その剣の如く硬い褐色の髯を、ジャンラジャンラと鳴らしながら大酒をあおり、土考、揆朋楓、堕叉などの朋輩相手に、呵呵と笑う。
「賊ごとき、我らの戟、槍の前には虫ほどにも感じず。バッタバッタといくらでも斬れたり。儂一人で二十、三十は斬り捨つる。されど州軍は苦戦、意外なり。」
傍に座る策士、堕叉、青白き顔に輝く山狗の如き狡猾な瞳を見張ってしばらく黙りたるが、一味をぐるりと見回し、
「致し方なし。我らは最強なり。土考が悪鬼の如き剛勇、揆朋楓が突風が如き剣撃、我が堕叉の神算、謀略。そして塢宜には農耕神有り。」
「昱右娘」
「御明察。此の四将が頭に、褐剣髯、貴殿が就けば、坡州強奪はいと易し。」
褐剣髯、枡を片手に暫し考えるも、やおら枡を天空に投げ、
「迂闊なり。此れ程な将星、四囲に侍らせながら、天下を望まざらんとは。疾く疾く塢宜に帰り、褐色の旗を揚げん。」
獅子の如く叫び、堕叉ら三将も餓狼の如く咆吼す。
ここに風雲児、褐剣髯起動す。穎眞以来、千八百六年、正月のことなり。
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坡州




