哄笑無残
瑠璃が随所に嵌め込まれた美しい調度を眺めても、室内の凍てつくような冷え込みの前では、何の慰めにもならない。
眞暦1806年1月、都州帝城の禁宮。
今蔽は、慶賀用の袍に身を包んだ背の低い男とともに前室に座り、皇金堂からのお呼びが掛かるのを待っている。寒さで足の裏が痺れている。
「なるほどのう。それは雷鳴王もやりにくかろう。まあそれはそれとして、的田殿。」
体を揺すりながら、今蔽は鬱々とした雰囲気に耐えかねて話題を変えた。
「また今年は特に寒気がきついじゃろ。」
「まったくです。都州は盆地ですから、底冷えが致しまする。ましてや、こう、じっとしていると。」
「ただ既に三籠へ別の年賀使が立っておろう。そちらに比べれば、都州の冬なぞ温暖な方ですぞ。」
「それは、そうですが。」
背の低い男は、陸島の王である雷鳴陽皇が遣わした年賀使で、姓を的田、名を昌尚という。彼もまた、来賓が待機するこの部屋の豪奢さに、毎年のことながら目を奪われつつ、一時間超寒い中座らされて、流暢な豊語を操るその唇は真っ青になっていた。
そこへ、小童が伝えに来た。
「玉睨と皇帝陛下がお呼びです。」
おや、と的田昌尚が表情を動かしたが、今蔽はそれをかき消さんとばかり、
「さっ。やっと、体を動かせますぞ。的田殿。」
と一方的に言葉を投げて、すっくと立ち上がる。対して、昌尚はゆっくり立ち上がる。今蔽よりも足が痺れているのかもしれない。
小童に付いて石廊を歩き、皇金堂へ足を踏み入れる。
それと同時に、今蔽はよく通る声を堂中に響かせた。
「陸島王年賀使、参だーい!」
居並ぶ百官の頭上に今蔽の言葉が降りそそぎ、これまたほぼ同時に百官たちの拍手が堂中を満たし、二人は跪く。
遠く正面に、かつて「脂権大帝」と言われた老皇帝が座っているが、こちらは何の反応もない。寝ているかのようにとにかく目を閉じている。顔は蠟のように白く、二年前帝位を簒奪した強慾な男と同一人物には見えない。
拍手が止む。そして、一瞬の沈黙があった。
今蔽が、第一大臣からの声がかりを待ったからである。第一大臣、つまり龍眼は、皇帝の玉座のすぐ左下に立つのが定位置だが、そこには今誰もいない。
一方、玉座の背後、一段あがった所に黒い御簾が下がっており、その後ろに明らかに誰か座っている。
龍眼はそこにいるのだ。
いや、龍眼というより、今や玉睨と呼ばれるようになった、一策士が座っているのである。
今蔽は心の中で薄笑いを浮かべながら、慣れた感じで、呼ばれもしないのに話しを始めた。
「年賀使の姓は的田、名は昌尚。陸島の眞暦一八〇五年を、報告申し上げます。」
今蔽は一介の交相府陸島担当官であり、求められもしないのに皇帝の御前で話を進めるのは非礼にあたるが、誰も何も言わない。何も言わないどころか、皇帝の右下最前に立つ、背の高い、異様に細長い顔を持つ男がにやにやこっちに笑いかけている。
(こいつ。当朝にとってシラミか、ヒルか。)
思いながら、眉一つ動かさぬよう、努力した。
では、と今蔽が目でうながし、的田昌尚がいくぶん緊張気味に報告を始める。
「昨年は黄翼山の灰、もはや薄しといえど、天候の荒れ多く、八月、九月は台風に万戸壊滅す。」
続けて作高など経済や陽皇家の人事を長々と話し、一息入れたあと、話しを再開する。
「各地の諸藩が勢力拡張せり。五月、綺羅野なる豪族が我が王室に参内、恭順す。」
ここで御簾の向こうが少し動いた。
的田昌尚はそれに気づかず、七月に飛田家と海道家が衝突した葉ノ関島海戦など、国内の諸事を語る。
(あの男にとっては、やはり楽しい話しだったか。)
今蔽は御簾の奥に目を凝らす。
(しかし、綺羅野が恭順、ねえ。)
交相府陸島担当官の今蔽に言わせれば、近郊流賊による首都の軍事制圧である。恭順などではない。まだ1年も経ってないからこの先の綺羅野軍はどうなるか分からないが、いずれにせよ陽皇家の力はもう地に落ちている。
女懿帝は顔をフルつかせ、的田昌尚の話しにうなづく。聞いているのかいないのか、表情に力の無い皇帝へ、陸島の年賀使は淡々と報告をしている。
「おう!おう!陸島もそうかっ。」
帝の後ろから、的田昌尚の報告を遮る下卑た声が響いた。
そして御簾がばっ、と開く。
「陸島王に伝えなっ」
白面の若い男が現れた。朱地に金糸の刺繍を施した袍をまとい、整った顔で、一見して優雅な容姿だ。今の発言と、少し、結びつかない。
この男こそ、己れの策一つで大姚帝国を乗っ取り、龍眼では飽き足らず、皇帝の監視役 ― 玉睨 ― に就いた、妖天その人である。
「たった一瞬の隙でやんごとなきものもな、こう、無様にごろっ、と転がっちまうのよ。」
なあ?と眼前の皇帝、女懿に声をかける。優雅な見映えに反する、がらっぱちな言動が続く。
するとそれまで無表情で蠟のように白かった女懿の顔が、醜い、苦悶の形相に変わった。
それを見た先ほどの顔の異様に長い男が、一層へらへらとはやし立てた。
「天さん。そりゃ、皇帝が可哀相だろうよ。『脂権大帝』の矜持がズタズタだぜ。そっちからは御龍顔が見えないだろうけどさ」
「案ずるな如堯峰、ちゃんと分かるよ。どうせまた、御苦悶の表情であらせられるんだろ。」
顔の長い男の隣にいる、がっちりしているが育ちの良さそうな男が、妖天の言葉を受ける。
「分かってて言うんだから、玉睨は人が悪いな。」
その正面に立つ若い女が、これを聞いて絡んだ。
「何言ってんだい。こんな器の小さい男が『大帝』なんて言われていい気になってたのよ。勘違いも甚だしい。もっと屈辱を受けて、贖罪してもらわなきゃだめよ。」
「こらこら門東衫。さらに苦悶の顔になったろ?それぐらいにしといてやれ。」
「ほんとだ。なった。なった。眉間のシワの深いことったらないな。しかしすげえな、天さん。後ろにいるのに、なんで皇帝の顔が分かるんだい?」
特殊能力だ!と細長い顔ののっぽが叫んで、4人はげらげら笑った。
堂内の百官は凍りついたように無表情だし、今蔽自身も必死に平静を保った。ちら、と左を見たら的田昌尚が顔面蒼白になって跪いている。
ふと真顔になった妖天が、ガクリとうなだれている女懿の背後から、的田昌尚に声をかけた。
「年賀使さんよ、間違えたわ。陸島王じゃなくて、その綺羅野とかいう奴に伝えてやれ。組み敷かれた王様に言っても、もう、遅いもんなあ。永い時間かけて飾り立ててきたやんごとなきシロモノも、一瞬の隙によってゴロリと転がっちまうもんですよー、とね。ちゃんと伝えろよ。あ、あと大陸の『簒奪者先輩より』、とも付け加えとけ。」
「簒奪者先輩?」
それでまた腹をかかえ、女なぞは笑い過ぎて床に倒れ込んだ。
下がってよい、と誰も言わないので、今蔽はややあってから「退室します」と一方的に告げて立ち上がり、まだ玉睨以下四人が爆笑している皇金堂を辞去した。
今蔽は的田昌尚と二人して、鉛を飲んだような気分でいる。堂を出ると、身を切るような寒気が襲ってくる。真冬の石廊には文盲と思しき衛士が点々と屹立するのみだが、しかし今蔽は用心して陸島語で、しかも小声で言った。
「奥のが玉睨の妖天。向かって左最上座の顔の細長い男が如堯峰。その手前が嫋害、対面の女が門東衫。彼らのことは、知っておろう。」
的田昌尚は、ゆっくりうなづいた。
「そなたのお国もあのような感じか?」
「いや」
的田昌尚は即座に否定した。が、しかしその後少し考えてから、言葉を発した。
「もう少し、綺羅野の方が良うございます。 赤豊はともかく弟の綺羅野雪豊が紳士でございますれば、朝廷の風紀も何とか保っております。ですが。」
ぶるっ、と的田昌尚は身を震わせた。
「喰いものにされれば、風紀がどうだろうが、関係ありません。」
今蔽の体にも無数の鳥肌が立った。これは我慢が出来なかった。
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都州
都州帝城




