鋭鋒夏景
遠く、射裟の断崖寺院が見えてきた。
「やっと着いたな。ここまで来れば安心だ。」
そう言われ、惚円繕児西も栗色の巻毛をかき上げながら、ほっ、と息をつく。
暦では八月だから今は夏だが、ここは光方である。斐界でもっとも内陸の奥地、峨々とした山脈が連なる山岳地帯なので、晴天の真昼でも気温はあがらない。
しかし、先輩の婆旦苞壊冶は荷を担ぎ直しながら、しきりに汗を拭いている。
「射裟は繁華だな。」
児西も同様、額に汗をにじませている。児西たちが気埿塁山を下りて、十日。重い荷を負ってえんえんと山や渓谷を越え、不安定な桟道を伝ってきた。途中に街はあっても小さなものだったから、やはり光方随一の都市、射裟に辿り着いたら、気も昂ぶる。二人とも元気な十代であり、代謝も活発だ。しかし、それ以前に彼らが住む気埿塁山の四千m地点は酷寒の地だから、そもそも彼らは暑がりなのである。
まだ射裟の郊外なのだが、ここまで来ると行き交う人も多い。「崑」の赤幟を林立させた騎馬団が、児西の右脇からドッドッ、と馬蹄を響かせて追い抜いていく。山州の者だろう、馬上、愚痴を言い合っていた。児西は山上で豊語を習ったので少し意味が分かったが、どうも寒がっているようだった。
「光方の真夏は山州の者でも冷えるんですね。」
「うん。山州も山国なのだがな。それはともかく、随分使いの数が多かったな。」
婆旦苞壊冶は児西よりも豊語に長けていたから、情報がより多い。すでにはるか先に遠ざかり、射裟の街に入りかけている騎馬の使節団を見つめている。
「崑走博自身はいなかったが。峻三籠も、いよいよ国を固めてきているな。」
ぴゅっと風が吹いた。とたんに騎馬団たちが悲鳴をあげた。
「あ。確かに今の風は俺も寒かったですよ。」
「ふん。俺は大丈夫だがな。しかし、あれはちと、騒ぎ過ぎだな。」
崑家の使節団は余程寒かったらしく、こっちまでギャーギャーという喊声が届く。
「元気なことだ。凱源とか、どんな所なんだろうな。」
山州の連中は、確かに声に活気があり、明るい笑い声も混じっていて少し羨ましく思えた。婆旦苞壊冶は、何だかんだいいながら山・猟・鋤三州の太守・峻三籠家を羨望の眼差しで見ているようである。
「しかし壊冶さん。光方のが山は断然、高いですよ。」
児西も住職の命令なら山州に行ってもいいが、自発的に行きたいかといえば、それは面倒に思えた。そもそも大姚帝国自体が、とても遠い存在であった。
児西は、四方に首を巡らす。
ぐるりと六千m級の連山に取り囲まれ、夏でも峰々の雪は解けることはない。これまでもこれからも、気が遠くなる程の永い間、山体の青と冠雪の白というこの壮大な風景は変わらない。
惚円繕児西は、この風景の中にいつまでも暮らしていたかった。
「あと、山州はここよりもっと暑いですよ、きっと。」
婆旦苞壊冶は汗を拭きながら少し不満そうに、ふん、と鼻を鳴らした。
住職から預かった経典二十巻を分担して背負い、目的地の射裟を前に二人の肩に荷がいよいよ食い込んでいる。鋭鋒の上、蒼天に煌めく夏の太陽は、壊冶にも児西にとっても暑気に過ぎた。
いつの間にか、目の前に街の門が迫っていた。壊冶が真剣な面持ちで荷を担ぎ直す。児西も栗色の巻毛を、慌てて手櫛で整えた。
「はや、済まさん。」
眞暦1805年8月、光方射裟。
気埿塁山の若い使い二人は、足早に街に入って断崖寺院、牌西寺を目指した。
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光方




