方鬼娘、春の咎寮に舞う
(厄介だわ。)
額目がけて振り下ろされた一刀を火花を散らしながら薙ぎ払うと、困士甜はグン、と踏み込んで相手の首に大刀を叩きつけた。
そしてその刀を支点にふわりと右に跳ぶと、間髪を入れず背後から狙っていた別の剣士が空振りして突っ込んできて、首から血を吹き出している兵士にぶつかった。もんどり打って倒れた敵兵二人をまとめて、困士甜は串刺しに貫いた。
女の割には大きいが、百七二cmという身長は戦場ではまったく目立たない。しかしその曲芸的な素早い剣撃で、周囲の目を奪っている。
「これで少し落ち着くはずだ。」
事実、雑兵共の姿は付近から消えた。しかし少し向こう、美家公子軍と咎寮城の間に素早く再集結しだしている。
「くっ。キリが無いわね。」
顔の側面まで覆う大きな白い兜が少し曲がっていたので、くいっと直す。小さな一重目は良く見ると血走っていた。
眞暦1803年3月。
因州南部、咎寮の内乱が、まだ寒い穣北の空の下、収束しようとしていた。
皇室よりも長い歴史を持つ美家は、因州王・美宜粽のもと自領を強固に支配している。それは渤方との貿易や広大な因州平原における農業生産といった経済力もあるが、州王府内の内部統制の強さもひとつの要因であった。
眞暦1802年当初から、因州作相の圏辛巻が職権を濫用して私財を貯め、自領の咎寮に兵を増員し城壁を高くしている旨、州王・美宜粽の耳に入っていたが、当件は州王の嫡男、美獣が対応を任された。美獣は、水も漏らさぬ計画を隠密裏に進めて圏辛巻をじわじわ追い込み、年明けて1803年2月に一気に咎寮城を包囲した。
美獣の工作によって、圏辛巻に近かったものは皆、州王側に買収されており、彼はいつの間にか孤立無縁となっていた。美獣はさらに城内からも離反者を出させ、結局戦闘なきまま、3月に無血開城を受けた。そして円滑に圏辛巻を捕縛した。
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「また来るわよ!」
困士甜は大刀を握り直す。柄の返り血を拭いたかったが、どうやらその隙はないようだった。
「ぐっ!」
隣に立っていた部下の眉間に、矢が突き立った。
困士甜は刃を回転させ矢をはたき落として事なきを得たが、その時、名鐘のような凛とした声が戦場に響いた。
「嗷号は殺すなっ。生かして捕らえよ!」
びくっと困士甜は体を震わせた。
因州王家公子、美獣の指示である。
後方に、青の外套と白銀の総甲冑で体を包んだ麗しい姿で立っておられるのだろう。
戦場も一瞬、敵味方とも動きを止めた。
が、程なくその沈黙を、破れ鐘のような声が破った。
「どわははっ。止せ止せ。ぶっ殺す積りで来ないと、ワシには勝てんぞ。姦計ばかりの青白い公子様じゃあ、とてもとてもお!」
どっ。
敵の雑兵共が腹を抱えて笑う。
声の主こそ、嗷号その人であった。
無血開城は為されたが、圏辛巻の傭兵隊長である嗷号が、密かに城を出、城外に五百人程の師団を形成したのである。
「どうせ、嗷号が美獣様に名を売る為の行為よ。付き合わされる兵卒が可哀想だわ。」
十人隊の女隊長、困士甜は吐き捨てるように言っていたが、それがどうしてどうして、だいぶ兵を減らしもう三百程度になっていたが、精鋭ぞろいで因州公子軍一万を苦しめているのである。
「そおりゃあ!行くぞ。」
巨大な鉄槍をぐるぐる回す嗷号の姿が遠望される。途端に公子軍の兵卒が空に巻き上げられていく。当たること能わず、為す術なしの態だ。
見てられない。
自分も先鋒部隊の端くれ、最近の軍功は公子軍の中でも目立っている。先程の戦闘の後、初春の空気で早くも汗を冷やしていたが、再び身体の内側が熱くなる。目の前の雑兵を叩き斬ると勇躍、戦場を駆けた。
旋風の現場に着く。
問題の豪傑は小山ほどの巨体で、百九十cmはあろうか、大きな口を真っ赤に開け、がああ、と雄叫びを上げ、殺戮の只中にいた。
困士甜は再び震えた。先程の震えとは違う。死を予感した、生物的な恐怖の震えだ。
「おう?」
隊長級の一人を槍先に突き刺して天空に持ち上げながら、嗷号は困士甜を見た。
「美家の『方鬼娘』じゃないか、兜でエラを隠しとらんで良く見せい!」
また胴間声が戦場に鳴り響いた。
途端に敵味方、兵士たちが一斉に自分に注目した。
「うおあああ!」
顔が紅潮したのを誤魔化すように、困士甜は大声をあげた。地を蹴り、一気に嗷号の懐に飛び込んだ。
速い。
さすがの嗷号も表情が一変した。斬りつけられた大刀を、かろうじて鐺で防ぐと、間合いを取るべく飛びすさったが、困士甜も逃さない。ぴったり近接して再び大刀を打ち込む。
嗷号もさる者、長い鉄槍を短く持って困士甜の刃を打ち返し、時に強力な突きを繰り入れる。
しかし困士甜は速い。余裕を持って突きを避け、くるりと回りざま、勢いある剣撃を振り下ろす。受ける鉄槍が、ガキーンと金属音を響かせる。
文字通り火花散らす打ち合いが数十合、そうしている間に雑兵たちは公子軍に討たれたり降伏したり、だいぶ数を減らしていたが、ともかく戦場の多くが、いつかこの一騎討ちに見惚れていた。
が。
やがて困士甜の動きが鈍化した。
(すべて弾かれる)
隙をついた一刀も、嗷号の槍使いが巧みな為、すべてギリギリで打ち返され、そして嗷号の動きは無駄なく、少なく済んでいる。
「動き過ぎだ。方鬼娘。」
「な。なにっ。」
嗷号が笑った。
一閃、彼が突き出した鉄槍で、パーンと大刀が弾かれ、空に舞った。
「ん。だめか。」
嗷号がすっと槍を引いた。私は死んだ。この男、やはり強かったわ。
困士甜は小さな目を見開き、自分へのとどめがどのように繰り出されるのかを、眼に焼き付けようとした。
だが途端に、幾本もの矢が嗷号に飛来した。
「やはり。そうなるか。」
歯噛みしながら槍で矢を払い落とすが、公子軍弓隊は手練れで、困士甜には逸れずに矢は皆、嗷号へ正確に集まっていく。そして分銅付きの投網が投げ込まれ、ばさっと嗷号にかぶさった。同時に矢の射出がぴたりと止まる。
(この網、斐色矜か。美獣様に言われたわね。)
さすがの嗷号もこの網には慌て、もがくたびに絡まってどうにもならず、痩せぎすだが背の高い少年が跳ねるように近づいて、網の外に突き出ている鉄槍をいとも簡単に奪い取った。
「困士甜様、どうぞ。嗷号捕縛により、此度の咎寮戦役、軍功第一とのこと。美獣様の仰せです。」
「美獣様が。」
困士甜は疲労極に達し、座り込んだまま、斐色矜から鉄槍を受け取った。それは重く、血塗られ、取り落としそうになるのを必死に堪えた。それに引き換え斐色矜は、あんな重い分銅付きの投網をこの藁のように細い体で精確に投げる。少年でも男は男、やはり違うのだな、と斐色矜のしなやかな身体を力なく見上げていた。
「方鬼娘!」
そんな困士甜の横面に、破れ鐘のような声が浴びせられた。
「美獣には負けたがな、お前には勝ったってことでいいなあ?」
網の中でウシガエルのように丸くなって、叫んでいるのであろう。
困士甜はそっちは見ずに白色の兜を取ってガラン、と地に投げ、嗷号に揶揄された腮を3月の寒風に曝すと、勢い良く大の字に寝転がった。
これでも、随分暖かくなった方だ。
澄んだ三月の蒼天を見ながら、綿のように疲れた身体をとりあえず休めようと思った。
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因州




