綿鎮の白に同化す
眞暦1802年10月。
ここ懦州霖生には、朝日の下に一望の綿花畑が広がる。
綿が至る所で弾けて雪原の如く、そしてまた至る所に小作人の半身が見え、皆一様に収穫をしている。このところ、連日だ。
駄合娟は、手元のかごいっぱいになった綿花を二百m向こうの大かごにあけに行く。女の身で、とりわけ体が小さいほうだったので、若くても作業の負担は大きいが、彼女の作業は基本的に朝のみだった。字の読み書きが出来た為に、昼前後からは鎮主府庁舎で事務作業をしていた。
「駄合娟。今朝はそろそろ上がりか?」
途中、図体の大きい怪偶が作業しながら話しかけてきた。
「まあね。あんたもこないだ戦さがあったんだから、今日は早く上がりなよ。」
「お。お優しいねえ。そう願いたいわ。だがまあ、昨日も一昨日も夕方早めに上がらせてくれたんだろ?そんなに気い使わなくても大丈夫だぜ。時期も時期だし。」
「ほっほう。働きもんだねえ。爪義様に良い報告を上げておくよ。」
「ははっ。それが狙いよ。尾ひれ付けて、怪偶は聖人労働戦士でござい、と言っといてくれ。」
「馬鹿なこと言ってないで、金創を早く治しな。」
そう言って右手を軽くはたくと、怪偶は巨体を飛び上がらせた。
駄合娟は罵声を背中に聞きながら、歩く。
怪偶のような「聖人労働戦士」は、盗賊を撃退し、収穫等農作業も力仕事が得意だから、この綿鎮では大活躍である。それだけに、ついつい使い過ぎてしまうので、駄合娟は注意を払っている。怪偶は軽傷とはいえ利き腕をやられたから、なおのこと休みが必要だ。
ここ霖生の地が陸島の黎家による綿の独占産地となり、綿鎮を形成してから四年経つと言う。駄合娟はここにつとめてまだ二年だから、その前の事は知らないし、設立当時に居た黎美音という黎家の女首領のことも知らない。背の高い美しい女で、急成長を遂げている海商というから、一度会ってみたいのだが。
美しい畑だ。雑草の除去や添木立てなど農作業は整然と組織だって行われるし、良く働く者は鎮主が見ていてちゃんと報いるから不平が出にくく、結果として四年でここまでの畑を作りあげたのである。また先ほどの怪偶のような者から構成される自警団も充実し、ちょっとした城市の正規兵程度の練度であったから、盗賊の類は皆追い払っている。ただ、もし懦州が穣界の程度まで治安が悪化したら、兵力はこれでは不足だろうが。
「おお。随分取れたなあ、駄合娟。」
大かごに綿花をあけていると、ゆったりとした低い声が聞こえた。
「寳鎮主。」
寳爪義が向こうから来る。
懦州の沃土を踏みしめて静かに歩く。陸島人の割には大柄で、上背が百七五cmはあって肩幅も広い。面長な顔は常に微笑を浮かべて長者の趣があり、物腰が非常に落ち着いているが、歳はまだ二十三、駄合娟とそんなに変わらない。
「邸で配置を協議したい。美味い梨があるから、剥こう。」
「梨ですか。やった。」
思わずよだれが湧いた。朝食は食べたが、朝イチの作業で体は早速疲れている。
かごを置き場に返し、寳爪義と鎮主府庁舎に入る。
庁舎は石造二層、延べで千五百㎡あり、作業員宿所や寳爪義の個人宅も包括していたが、屋上に火砲台を備える等、有事には城砦にもなり得る構造になっていた。
「梨はどこですか。私が剥きましょう。」
「おお。余程食べたかったか。じゃあ頼む。厨房奥の食台に転がっているだろう。手に気をつけてな。」
寳爪義が、執務室の椅子に静かに座るのが見えた。彼の背後の調度棚が目に入って、あわてて視線をそらして、厨房に入る。
「転がっている」と言っていたが、梨は食台上の籠に10個、きちんと盛られて真っ白な薄布がふわりと被せられていた。包丁もいつもの位置に寸分違わず置いてあり、サビひとつ付いてない。
いつも味わう妙な緊張感の中、特に慎重に秋の梨を剥き、丁寧に切り分けて皿に盛って、執務室の卓に置いた。
爪義は頬杖ついて、小さく切り取られた窓から秋の午前に立ち働く小作人を眺めていたが、駄合娟に向き直った。
「ありがとう。」
一瞬、目に険があったがすぐ消えた。
「そんな。本当、美味しそうで。危うく」
「つまみ食いしそうになったか。」
「はい。でも、ちゃんと思い留まりましたよ。これ、餐叉。さあさ、頂きましょう。」
梨だから爽やかだが、かなり蜜が濃い。あとでのどが渇くかもしれない、など思いながらもシャクシャク食べていると、
「怪偶は午後から、二日程休ませたが良いな。」
と、仕事の話をしてきた。
「んっん。そうですね。」
駄合娟は顔色一つ変えずに、口中の梨を飲み込みながら、うなづいた。食べ終わってからで良いようなものだが、これもいつものことである。
「怪偶はヘラヘラしていますが、根が非常に真面目ですからね。鎮主と同じです。」
「私はヘラヘラしているか?」
「あ。いえ、そこは違いますよ。同じなのは『クソ』真面目という部分です。」
「ふっ。すまなかった。そうだな。まずは梨を食べ終わろう。仕事の話はそれからにしような。」
「あはは。ま、でも、まったく仰しゃる通りです。怪偶は休ませましょう。」
寳爪義は、静かに梨を口に運んだ。かすかに笑っている。大笑いしている所など見たことがない。
梨を食べ終わって皿を片付けると、怪偶の穴をどう埋めるか、二人で協議し、爪義はしばらく疲労で休んでいた一人の復帰と、新人一人の雇用を方針付けた。
駄合娟は自分の事務卓に座って筆を走らせ始める。作業割表を書き直し、またかねての伝手をまとめた採用候補者の台帳を繰って対象の抽出を行なう。寳爪義はといえば、こちらも時々小さな窓から外をうかがいながら、筆を素早く使っている。おおかた、黎家へのマメな報告書や、懦州近在の有力者への書状であろう。
ややあって昼が近くなる頃。
駄合娟は集中力があるし、別の興味があっても同時並行でことを進めて少しも能率が落ちないのだが、それでもふいに寳爪義が立ちあがった時に、
(ああ。また。)
と、手を止めてしまった。
爪義は背後の調度棚の前に立ち、胸の高さに置いてある半球形の置物を少し撫でた。鞠ほどの大きさだが上部が凹んでおり、半球、というには不整形に過ぎる。
それは、髑髏だった。
茶褐色に変色したしゃれこうべに漆を塗って光沢を出していた。そして額に金文字で「哺岳蘇」と彫られている。
はずである。
今、駄合娟は爪義も、髑髏も見ていない。
調度棚の方は見ず、知らん振りして手元の紙面を見ている。しかし手を止めてしまった。早く、作業を再開させないと。
だが。
寳爪義は髑髏をぴしゃぴしゃと楽しげに叩き始めてしまった。
「本当に黒蛇は馬鹿だなあ。」
ふっふっふ。
きっと、寳爪義は満面の笑みを浮かべている筈だ。一度だけ見てしまったことがあるが、いまだに脳裏に焼き付いて離れない。
「こんな所まで派遣されて可哀想に。ねえ、哺君。」
秋の陽は中空を過ぎ、部屋の影がさっき見た時と位置を変えている。駄合娟は作業を再開できずにいる。ふと思いついて、窓の外を見た。
一面の綿花。ぴしゃぴしゃという音を後頭部に聞きながら、必死に綿の白に己を同化させようとした。
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懦州




