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犠伎播離の三像


(これは大雪になるな。)


 因(いん)州の北、渤方と呼ばれる地は「大渤(ぼつ)帝国」が治めており、「大姚(とう)帝国」が治める三十一州の版図の外にある。大陸の東北端に位置し、酷寒の大広原で国民の大多数が半農半猟を営んでいた。


 眞暦(しんれき)1801年1月。

 ここは大渤帝国南部、皇室離宮が所在する犠伎播離(ギギバンリ)という所である。


 呪軍占辮(ジュグン・センベン)は、帽子から外套、靴まで漆黒の熊毛皮で固め、森の中を歩いていた。離宮の裏の森だが、手付かずの広大な針葉樹林で、雪化粧の効果もあってかひどく神聖な雰囲気を醸し出している。だがそこを行くこの男も、高く盛り上がった頬骨と、落ち窪んだ小さな薄茶の瞳から、帝国を牛耳っている龍眼代としての意思の強さを感じさせ、雪の森にとても馴染んでいた。


 となりに小さな毛皮のかたまりが見える。子供のようだが、呪軍占辮の歩みは速く、あまりこの子に配慮しているようには見えない。

 声はかけたが、その声は高圧的だった。


「些些時允(ササジーン)様。もう少しです。」


 必死に呪軍占辮を見失わないよう付いてきた子供が、少し顔をあげた。肌が透き通るように白い幼女だ。貂の毛皮で全身を覆っているが、これも雪が付着して真っ白になっている。


「う。」


 雪の塊が、頭上の枝からバサリ、と毛皮の頭巾に落ちた。泣きそうな顔になった。


 この娘、今上皇帝である「論(ロン)帝」妃轢論兆来《キレキ・ロンチョーライ》の六歳の長女、些些時允である。


「寒いですか。でもこの程度我慢せねば。」

「ぐっ」


 呪軍占辮の言葉はこの凍てつく雪の森の空気より、数倍も冷たい。

 彼はいつも誰にでもこうした対応なのだが、この幼い皇女に対しても同じ姿勢を通しているのは、どうやら敢えてそうしているようである。


 妃轢些些時允は唇を青くしながら酷寒に震え、呪軍占辮に対して不快感を隠そうとしないが、呪軍占辮は委細構わない。


「さ。着きましたぞ。」

 と、立ち止まって、厳粛に顔を引き締めながら、妃轢些些時允を振り返った。


 そこは急に森の中に開けた広場状の空間で、真ん中に三体の銅像が立っていた。


 呪軍占辮は妃轢些些時允をうながして銅像の前に立たせ、前面に立つ二体を指差した。

「さ。些些時允様。この前の二人は誰ですか。」

 

 左の銅像は、毛皮を羽織っている偉丈夫で、肩幅広く、彫りの深い顔立ち、精力的で鷹揚な印象である。

 右はさほど上背は無いが、鎧姿で珍妙なマントを羽織っており、特にその眼つきの鋭さは銅像ながら鬼気迫るものを感じる。


 妃轢些些時允は一生懸命考えているが、知らなければ分かるはずがない。

「知りませんか。左は些些時允様のご先祖で、この国を開いた『亞(ア)帝』妃轢亞朱癩(キレキ・アシュライ)様です。右の鋭い目付きの鎧姿は、建国の恩人で陸州王の北桐川猛鷹(きたきりかわたけたか)様です。」


 自分に関係ある話になって興味が湧いたのか、少し目に生気が戻った。

「リューガンダイ。では亞帝は、シソサマだな。」

「そうです。始祖様です。妃轢亞朱癩公は、大渤帝国初代皇帝なのです。」

「わたしはシソサマのお話はたくさん聞いた。イダイな方なのだ。知っておるぞ。それと、キタキリカワタケタカ殿の『リク州』というのはどこだ。姚にそんな州があったか。」


 呪軍占辮の小さな眼が、まぶたが下りて針のように細くなった。怒ったように見えるが、これは彼が喜んでいる時の表情である。

 だが些些時允にはそれはまだ分からない。彼女が呪軍占辮のこの表情について気がつくのは、もっと後年になってからのことである。


「ございませぬ。東の海を超えた向こうに陸島という列島がございます。」

「知っておるぞ。それで海はリクトー海というのだ。それではリクトーなんて小島にも州があるのか。リク州は陸島の州なのか。」

「小島という程小さくありません。陸島の一番東が陸州。北桐川猛鷹様は、その陸州からおいでになって、この国の建国に手を貸して下さったのです。大渤帝国という名も、猛鷹公がお付けになりました。」


 些些時允は話に興味を示しているが、ひどく震えていた。銅像前に立ち止まって、時間が経っている。体がいよいよ冷え始めたか。


 呪軍占辮は、後ろに立っている1体の女性像に話を向けた。


「後に立っている女性は、姫が先日お読みになった『寥林策』を記した方です。

「『寥林謀士(りょうりんぼうし)』磨瓦羅打贋綬憐《マガラダ・ガンジュレン》だ。知っておるぞっ。」


 降雪の量が増した。

 風も出て、横なぐりに吹雪き始めた。呪軍占辮が、右の頬骨を撫でる。


「そうそう。猛鷹公は大きな外套に沢山突起物があるでしょう。黒のマントに亜鉛の粒を沢山つけ、興が乗ると開いて鷹の真似をしたと。おお。雪が激しく。離宮に戻りましょう。」


 呪軍占辮が少し早口になり、頬骨をいよいよ撫でているが、これが慌てている時の癖だと、妃轢些些時允が分かるのももっと後年である。


 今は、銅像を後にしながら、ただ震えていた。

(寒さだけではないかもしれぬ。)


 呪軍占辮はその逞しい腕で些些時允を覆い、彼女を雪から防ぐと、二回瞬きをした。


 犠伎播離の針葉樹林は、吹雪の中にいよいよ静かに屹立していた。



**************************



渤方中南部

挿絵(By みてみん)



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