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泰平と厳格


 水の都、深戒(しんかい)。


「いらっしゃませえ。あら。炎尾約(えんびやく)様じゃないですか。ちょっと、旦那様ぁ!」


 運河沿いの大店(おおだな)に、年増女の甲高い声が響く。


 泳(えい)州は楽河(がくが)を跨ぐ立地で、歴史的に大河が氾濫し、無数の湖沼を形成しており、また水路が網の目のように張り巡らされているから、州全体がまさに水国と称された。そしてそんな泳州東部の要衝、ここ深戒もまた、街に運河が縦横する水都なのであった。


「旦那様ぁ。炎尾約様がいらしましたよぉ!聞こえないのかしら。」

「いやいや。いいですよ、准肺機(じゅんはいき)様にはご多忙でらっしゃる筈。店の中で、そうだな、ここら辺で待たせて下さい。」

 筋肉質な体を店内の革張り椅子に沈め、炎尾約は「茶」と一文字記した重い行李(こうり)を肩から下ろした。

「そんな、悪いわあ。寒いのに、こんな所で。もっと奥にもお席ありますから。ちょっと!旦那様ぁ!」

「いいっていうのに」

「はいはい。聞こえているよ。今、行くからね、炎さん。」

 店先のおばさんが五月蝿(うるさ)く呼んでくれたお陰か、店主の准肺機が奥から声を上げた。

「准肺機様。いいですよ、ごゆっくりなさってください。」

 炎尾約は日焼けした精悍な顔を店の奥に向けて、店主を気遣った。十二月ではあるが、温暖な泳州だから店内にいれば、大して寒くない。


 この大店、准菜舗(じゅんさいほ)は深戒一の乾物商だが、生薬や茶等も扱っている。それで茶の行商である炎尾約が出入りしているのである。准菜舗は、泳州や騅(すい)州の富裕層相手に販路があり、彼らには五体の健康に気をつかう者が多かったから、高級茶葉が良く売れた。


 だから、炎尾約にとってこの店は上得意であった。

「もおー。ウチの店主は太ってるから、出てくるのが遅くて。こちらに炕(かん)があるから、あたったら?」

「いや。いいですよ。」

 炎尾約の精悍な顔が好みなのだろう、店先の年増女がしつこく世話を焼く。こちらとしては上得意の店主を捕まえて、「太ってる」なんて言われても、笑う訳にもいかないし、ただただ恐縮してるしかない。


「お待たせした。」

 店の奥から店主の准肺機が、せり出した腹をさすりながら現れた。棚やら台やら色んな所に腹をぶつけながら歩くため、おばさんが言う通り、本当に太っているから出てくるのが遅れたのかもしれない。おばさんは何かまだ色々言っていたが、店主が強引に店先へ押し出した。

「准肺機様、お忙しい所を大変申し訳ありません。」

「とんでもない。遠い所から来てくれたのに、何だかかしましい婆さんが出迎えてしまい、申し訳ない。で、今日はどんな茶だい。」

「あ。はい。」

 早速、商売の話になる。さすが多忙な豪商、即座に本題に入るな、と炎尾約は怖いやら感心するやらだが、慣れた手つきで傍の行李を開けながら、

「まず。熾写渓(ししゃけい)が見つかりました。」

 と小瓶を数個取り出すと、

「なんと!」

 と、准肺機が身を乗り出した。


「まこと、それは熾写渓の産か。ならばあるだけ買うが。」

 鼻息が荒いのは肥満のせいだけではない。

「まあ、まあ。熾写渓でも、南麓の熾照村(ししょうそん)の品ですから、特に美味な品。極端に高価ですよ。」

 炎尾約が額を言ったが、

「出す出す。即金で払うわ。」

 と、かえって身を乗り出し、奥から鉄製の小金庫を持ってこさせた。

「熾写渓茶は、毎日のように欲しがる富豪がいてな。漢翰(かんかん)や湘荘(しょうそう)、湖英都(こえいと)でも探させたが、どの問屋にもまったく無いのだ。炎さん、良く見つけたな。」

「もう十二月ですからね。現地まで足を運んで、伝手をいくつかたどった所、手に入りました。そこで即、こちらに飛んで参ったわけで。」

「ふふ。ありがとうな。」

「一応、同卦臺(どうけだい)茶もありますが。」

「要らん、要らん。深戒花街の端女だって、今どき同卦臺なんか飲ませても釣れんぞ。」

「はは。確かに。」

 炎尾約は大袋にぞんざいに入れた同卦臺茶を再び行李に戻すと、

(気が変わらん内に)

 と、熾写渓茶の小瓶をしめて八個、手早く紙で巻いて准肺機の手に押し込む。

 ほほほ、と福々しい頬を赤らめて喜ぶ准肺機もまた、金庫を開けて中の札束と小瓶を手早く入れ替え、分厚い圓(えん)の束を炎尾約に渡してから、ふと、何気なく言う。

「炎さん、先週、郭(かく)のオヤジがここに来たのよ。」

「え。郭?」

「郭だよ。『旧』坊々(ぼんぼん)州王。」

「ああ。お喋り禿げオヤジですか。」

「うはは、そこまでは言っとらん。」

 豪快に笑いながら、准肺機は南国の密林が如く繁る己が白髪を自慢げにかきあげた。

 不用意な発言だった。もし准肺機も禿ていたら、と思うと背筋が凍る。

(口は災いの角。気をつけねば。)

 心中で身をすくめる炎尾約を他所に、准肺機は豊かな頭髪をまだぐしゃぐしゃ混ぜ回しながら、唾を飛ばして、「お喋り禿げオヤジ」の口真似をした。

「 ― 准公(じゅんこう)はこんな美味しい茶を飲んどるのか、髪はたくさんあるしなあ、ワシにはどっちも無いのじゃよ ― なんて言いやがってな。」

 ここがいくら大店とは言っても、本来州王たる身分の者が来るような場所ではない。「お喋り禿げオヤジ」が泳州王だった頃は、准肺機だって正式な目通りは叶わなかったはずだ。

 当然、炎尾約だって会ったことがないから、准肺機の物真似が似てるのかどうか、判定できない。できないが、店先の方で、さっきのおばさんが聞き耳を立てていて、ひっひと笑っている。噂に聞いていた当時の泳州王を想起させる、軽薄な口ぶりであって、恐らくよく似ているのであろう。


 一転、准肺機の声が怒気を孕んだ。

「情けないよなあ。あの泳村(えいそん)家だぞ。泳州王だったんだぞ。それが、それこそ同卦臺茶も飲めない、なんて言うんだぞ。泳州の人間にとっちゃよ、そんなこと言って欲しくないよなあ。あと、姚(とう)から充てがわれた家が小さい、ってボヤいていたんだ。使用人が少ないとかも。」

「あの泳州王がねえ。悲しいですな。」

「だが、歴史ある泳村家を滅ぼしたのはあんたじゃないか、って。よっぽど言ってやりたかったわい。姚皇室に殺されててもおかしくないのに、泳州王からの退位のみで一命は安堵され、更に地元に家まで貰ってる訳だからな。文句言える立場じゃないだろう。」

「まあ、叛逆の軍に同調して、敗れた訳ですからね。一方で、愚痴を言えるのも生きているからこそ、じゃないですか。」

「そうだな。命以外の全てを失って、まだ数年か。心の傷は、なかなか癒えぬかもしれないがな。」

 しょうがないか、と准肺機は豊かな白髪を手櫛で手荒に整える。泳州有数の商業都市、深戒で店を張ってきた彼にとって、累代で泳州王を継いできた泳村家は愛着があり、誇りであった。こんな事態になって怒りや、寂しさの感情が溢れるのも当然だろう。


 いらっしゃいませえ、という声がいくつも店先から聞こえ、ふと気づけば店内ではそこここで商談が始まっている。真冬だというのにいつのまにか気温があがって、眼前の准肺機の額にも玉の汗が数滴、浮いていた。先程年増女に勧められた、炕の熱だけが原因ではあるまい。

「しかし、こちらの店はいつでも活気がある。泳州の敗戦など何処吹く風ではないですか。」

 暗い顔して、凋落した過去の王家のことなど話していてもしょうがないのだから、炎尾約は商人として今後の儲け話を振ったのである。

「うむ。」

 准肺機もすぐ同調した。店内を見渡し、番頭以下、手代どもが彼処で商談に花を咲かせているのを見、頭の中が切り替わったのであろう。


 そして、

「いや、厳しいのよ。泳州だけの話じゃないぞ、これぁ。」

 と言い出した。

「そうですか。蹄牙春代(ていがしゅんだい)で戦が減り、我らのような商人にとっては、無駄な心配が減ったかと。」

「その蹄牙春代が問題だ。荒れた国土を復興するのもいいがな、こっちは運上金が増額されて、随分利が減っている。」

「ははあ、なるほど。」

 それは確かにそうかもしれない。炎尾約のような零細商人はまだ、実感が少ないが、ここのような大店の場合、真っ先に徴税の標的になるだろう。


「炎さん。都はどうじゃ?苦しんどる様子はあるか。ここは、田舎だから情報が入らん。」

「あはは。深戒が田舎じゃ、大陸に都会が無いことになりますよ。」

 炎尾約は白い歯を見せてから、都州帝城(としゅうていじょう)の並み居る豪商たちの近況を伝えた。

「そうじゃろ。これまでと違って、今度の皇帝は厳格に過ぎる。賄賂がまったく通じんからな。都の商家は商いのやり方を変えないといけないだろうが。しかし、こんな時代、いつまで続くだろうか。」

 今度は政治向きの話だ。

「ま、烈風蹄(れっぷうてい)と女牙(じょが)の二人組は丁度いい組合せです。はたからみると、春代はまだまだ続くと踏みますがね。」

 この程度は都の酒家で、酔っ払いが口々に話していることである。だが、都から遠く離れたここ深戒の街では、こんな与太話でも喜ばれる。

「やはりそうか。そうと思っていた。しかし、幸い我らには楽界(がっかい)の沃土がある。縦横にめぐらされた水運がある。」

 大店の店主、准肺機は太鼓腹をさらにせり出させながら、笑った。「厳しい」といいながらも、この安定しつつある世界で、この先どう店を発展させていくか、とっくに構想が出来ているようだ。炎尾約にとって、この店は今後いよいよ重要顧客となりそうである。

「わし等は、税を払って戦が無ければまあトントン以上だからな。」

 准肺機は左上をギョロリと見上げながら、言葉を繋げた。

「炎さん、全国の州王さんたちに比べりゃ、わしら商人は気楽なもんだよなあ。」

 炎尾約は、右の眉をひくつかせた。そして店内を素早く見回して、声を落とした。

「蹄厰(ていしょう)の、ことですか。」

「そう。州王さん達は、皇帝から頻繁に都に呼び出され、蹄廠に調べ上げられて、ちょっとでも不正や手落ちがあれば、即懲罰じゃろう?息が詰まって仕方がない筈だ。」

 そう言ってまた、腹を揺すりながら笑う。

(この人には、それならそれで商機があるようだ。)

 炎尾約も真っ白な歯を見せて、取引先の笑顔に追従した。


 眞暦1859年12月。

 商都・深戒随一の乾物商「准菜舗」では、熱気が溢れ、笑いが渦巻き、続々と商談がまとまっていった。







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泳州

挿絵(By みてみん)



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