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脳髄を直接揺らすような、無機質な電子音声だった。
『生体ID:未登録。……照合中。例外プロトコルを適用します』
神林の右手に触れた冷たい金属——ダンジョンの壁面に埋もれていたそれは、突如として青白い光の脈動を始めた。
同時に、砕かれた右膝の激痛が、嘘のようにふっと消え去った。
治癒したわけではない。痛覚という『エラー信号』が、システム側からの強制的な介入によって完全に遮断されたのだ。
迫り来る腐死の群れの咆哮が、なぜかひどく遠く聞こえる。
時間が引き伸ばされたかのような泥濘の中で、神林はゆっくりとまぶたを開いた。
「なんだ、これは……」
視界が、反転していた。
薄暗く淀んでいたダンジョンの光景が、見渡す限りの『文字列』と『幾何学的なライン』の集合体へと書き換わっている。
錆びた鉄骨は無機質な配列データとして。
壁面を覆う生体組織は、赤黒く明滅する実行待ちのプログラムとして。
そして、神林の眼前に迫っていた何十体もの異形のモンスターたち。
そのグロテスクな肉体も、腐臭も、神林の目にはもう映っていなかった。
そこにあるのは、【HP】や【攻撃力】といったご丁寧なステータス画面ですらない。
モンスターを形作る『オブジェクトの変数』。それらを動かしている『行動アルゴリズムのソースコード』が、滝のように空間を流れ落ちているだけだった。
神秘の迷宮などではない。
ここは、粗悪なコードで継ぎ接ぎされた、ただの巨大な演算装置だ。
『——管理者権限(Root)、生体IDへの紐付けを完了しました』
不意に、視界の右端に半透明のポップアップウィンドウが展開された。
そこには、ディストピアな空間には到底似つかわしくない、過剰にクリーンで美しい女性のアバターが微笑みを浮かべて立っていた。
「お前は……」
乾いた唇を動かす神林に、そのアバターは丁寧にお辞儀をした。
『初めまして、新規管理者様。私は第1区画サポートAI、システム・シオン。貴方様の環境最適化を支援いたします』
鈴を転がすような、柔らかく親しみやすい声だった。
だが、その瞳には一切の感情が宿っていない。極限まで人間に似せて作られた、美しい機械の顔。
『現状を報告します。対象者(管理者)の肉体に致命的な破損を検知。さらに、前方から多数の敵対的オブジェクト(バグ)が接近中です』
シオンが淡々と告げる間にも、文字列の集合体と化したモンスターたちが、神林の眼前にまで迫っていた。
振り上げられた腐肉の爪が、神林の喉笛を掻き切るまで、あとわずか数秒。
だが、神林の胸中に恐怖はなかった。
代わりにあるのは、氷のように冷たく、そして圧倒的な『万能感』だった。
すべてが見える。
彼らの行動パターンも、攻撃の起点も、そして……そのロジックを構成する、致命的な脆弱性も。
「……シオン、とやら」
神林は、這いつくばった体勢のまま、空中に浮かぶ仮想のキーボードへ指を這わせた。
これまでポーターとして酷使されてきた指先が、信じられないほどの滑らかさで虚空を叩く。
「この鬱陶しいオブジェクト群は、変数の書き換えで処理できるか?」
『はい、管理者様』
シオンは、花が咲くような完璧な笑顔を浮かべた。
『対象の存在確率をゼロに書き換えることで、最も効率的な削除が可能です。——推奨アクション:対象のデバッグを行いますか?』
柔らかい言葉で提示された、エグいほどの大量虐殺の提案。
神林は、空中に展開されたコンソールのエンターキーに指を置き、昏い瞳を細めた。
「ああ。——実行(Execute)だ」
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