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暗闇を削り取るように、無数の赤い眼光が迫ってくる。


 ダンジョンの壁面を覆う生体組織が、異常な熱を帯びて脈動していた。



 それは『暴走スタンピード』と呼ばれる現象だった。


 通常、低層から中層にかけてのモンスターは一定の法則に従ってポップする。だが、ごく稀にシステムがエラーを起こしたかのように、上位の化け物たちが群れを成して階層を逆流してくることがあるのだ。



「冗談じゃねぇ! なんで第十二階層に『腐死の群れ』が出やがる!」



 先ほどまで偉ぶっていたリーダーの顔から、一瞬にして血の気が引いた。


 彼が誇る銀色の鎧も、この圧倒的な暴力の波の前ではアルミホイル程度の強度しか持たないだろう。他のメンバーたちも完全にパニックに陥り、武器を構えることすら忘れて後ずさっている。



 神林は、その光景をひどく冷静な目で見つめていた。



 生存確率、0.1パーセント未満。


 逃げ切ることは物理的に不可能だ。自分たちのパーティーの総戦力と、迫り来る群れの移動速度を計算するまでもない。


 全滅は免れない。システムが弾き出した無慈悲な解が、網膜の裏側に貼りついているかのようだった。



 だが。



「——神林。お前、ポーターとしての最後の仕事だ」



 不意に、リーダーが血走った目で振り返った。



 その言葉の意味を理解するより早く、神林の右膝に焼け付くような痛みが走る。



「……っ」



 乾いた破裂音。


 リーダーが腰から抜いた護身用の魔力銃が、硝煙を上げている。


 神林の膝が砕け、身体が崩れ落ちた。分厚い作業着を突き破り、どす黒い血が石畳へと広がっていく。



 痛覚をミュートしようとしたが、物理的な破壊によるエラー信号は強烈だった。


 脳が悲鳴を上げ、視界が明滅する。



「すまねぇな、神林! だが、お前の尊い犠牲は俺たちが絶対に忘れない! ギルドにも、お前が立派に殿しんがりを務めたと報告してやる!」



 リーダーは、美辞麗句を唾と共に吐き散らしながら、神林を群れの前に置き去りにして背を向けた。


 他のメンバーたちも、誰一人として振り返ることはない。彼らは神林という『肉の壁』が稼いでくれるであろう数秒の猶予を使い、一目散に出口へと逃げ出していった。



 薄れゆく意識の中で、神林は微かに笑った。



 怒りではない。呆れに似た、極めて純粋な諦観だった。



 自分を撃ったあの男の顔は、ひどく歪んでいた。


 口では『尊い犠牲』などと宣いながら、その実、恐怖と保身で完全に思考がショートしていたのだ。



 なんて、ノイズだらけの醜いロジックなんだ。



 そんな下劣な計算のために、自分の命という変数が消費されること。


 それが、ただひたすらに不快だった。



 足音と、腐肉の臭いが鼻先まで迫る。


 何十体という化け物たちのあぎとが、神林の肉を貪ろうと迫っていた。



 もう、指一本動かす力もない。


 神林は抗うことをやめ、冷たい石畳の上で目を閉じた。



 その時だった。



 血まみれの右手が、ダンジョンの壁面の一部——生体組織に覆い隠された、冷たい金属質の何かに触れた。



 途端に、神林の脳内に直接、無機質な電子音声が響き渡った。



『生体IDの接触を確認。致命的な損傷を検知しました』


『——管理者権限(Root)の緊急譲渡プロセスを開始します』



 迫り来る死の群れの直前。


 迷宮の底で、世界を狂わせるバグが静かに産声を上げた。

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