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重い。ただ、ひたすらに重い。


 背中に食い込む粗悪なナイロン製のベルトが、肩の皮膚を擦り剥いている。一歩足を踏み出すたびに、ひび割れたブーツの底から鈍い痛みが膝へと伝わってくる。肺は浅く熱い空気を吸い込み、鉄錆の混じった不快な呼気を吐き出していた。



 ここは『深層演算迷宮ダンジョン』の第一区画、第十二階層。


 数十年前に世界各地へ突如として出現したこの巨大なブラックボックスは、今や国家のエネルギー供給を担う老朽化した公共インフラに過ぎない。


 壁面には錆びついた鉄骨がむき出しになり、その隙間を這うように、不気味に脈動する生体組織がびっしりと絡みついている。神秘的な冒険など、ここには欠片もない。あるのは、低賃金と無保証で使い潰される、果てしなく無機質な労働ギグワークだけだ。



 神林かんばやしは、自らの身体が発する悲鳴を、どこか遠くの出来事のように客観視していた。



 肉体は限界に近い。だが、思考は極めてクリアだ。



 疲労というエラー信号を脳内でミュートし、ただひたすらに前を歩く探索者たちの背中を追う。



「おい、ノロマ! もっと早く歩けねぇのか、この底辺が!」



 突然、背中に鋭い衝撃が走った。


 バランスを崩し、神林は湿った石畳の上に無様に倒れ込む。背負っていた規格外の重量の荷物——上位探索者たちが狩ったモンスターの素材や、彼らの快適な野営のための嗜好品——が、重々しい音を立てて泥水の中に散らばった。



「チッ、これだからポーターってのは使えねぇんだ。お前みたいな代わりはいくらでもいるんだぞ。絆だの努力だの言う前に、まずは気合を見せろ!」



 頭上から降り注ぐのは、このパーティーのリーダーを務める剣士からの罵声だった。


 煌びやかな銀色の鎧に、無駄に装飾の施された長剣。彼の顔は正義感めいた怒りに歪んでいるように見えるが、その奥底には、自分より立場の弱い者を痛めつけることへの歪んだ悦びが透けて見えた。



 神林は、口の中に広がった鉄の味をゆっくりと飲み込みながら、倒れたままリーダーを見上げた。


 目の下には濃いクマが張り付き、その昏い瞳には一切の光が宿っていない。



 怒りはない。悲しみもない。


 ただ、この男が発する『絆』や『努力』といった言葉の羅列が、ひどく耳障りなノイズとして鼓膜を叩くだけだった。



 無駄だ。非効率極まりない。



 神林の脳内で、冷徹な計算が瞬時に行われる。


 ここで反論すれば、リーダーのプライドを損ね、さらなる暴力という無駄なコストを支払うことになる。最悪の場合、この場でパーティーから追放され、本日の報酬はゼロになる。


 蹴られたことによる肉体的なダメージはマイナスだが、ここで無言で従えば、最終的な報酬の受け取り確率は高い数値を維持できる。



 導き出される最適な解は、一つしかない。



「……申し訳ありません。すぐに拾います」



 神林は感情の完全に抜け落ちた声でそう告げると、這いつくばったまま、散らばった荷物を拾い集め始めた。



「けっ、気味の悪い野郎だ。いいからさっさと拾え。俺たちの高貴な使命の足手まといになるなよ」



 リーダーはそう吐き捨てると、他のメンバーたちと談笑しながら再び前へと歩き出した。


 神林は無言で立ち上がり、ひどく重くなった荷物を背負い直す。ベルトが再び傷口に食い込むが、痛覚はとうの昔に隅へと追いやっている。



 彼にとって、この世界は巨大なシステムに過ぎない。


 理不尽な暴力も、不平等な搾取も、すべては初めから組み込まれたエラーコードのようなものだ。いちいち感情を波立たせるのは、演算リソースの無駄でしかない。自分はただ、このバグだらけの迷宮の中で、ひたすらに歯車として機能し続けるだけだ。



 そう、いつものように、不快なノイズにまみれた今日という労働が終わるはずだった。



 ——だが。



 地を這うような、重低音の異音が鳴り響いた。



 ダンジョンの奥底から、これまで聞いたこともないような異質な地鳴りが鼓膜を揺らす。


 壁面の生体組織が異常な速度で脈動をはじめ、錆びた鉄骨が悲鳴を上げて軋んだ。



「な、なんだ!? 地震か!?」



 前方を歩いていたリーダーが、剣に手をかけながら狼狽した声を上げる。


 神林も足を止め、暗闇の奥へと視線を向けた。



 薄暗い通路の先から、ぬらぬらとした赤い眼光が無数に浮かび上がる。


 一つ、二つではない。十、二十……いや、もっとだ。



 この第十二階層に出現するはずのない、高レベルのモンスターの群れ。それが、異常な殺意を撒き散らしながら、地響きを立ててこちらへと殺到してくる。



 想定外のイレギュラー。


 計算式を根底から覆す、致命的なバグの発生だった。

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