守ってくれた人
昨日の夜は、ほとんど眠れなかった。
電気を消しても、あの足音が頭から離れない。
「……気のせい、だよね」
何度もそう思った。
でも、思えば思うほど、不安が消えなかった。
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朝。
いつも通り保育園に向かう。
子どもたちの笑顔を見ると、少しだけ安心する。
「せんせー!」
「はいはい、どうしたの〜?」
仕事をしている間は、ちゃんと忘れられる。
でも——
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帰り道。
昨日と同じ時間、同じ道。
ふと、足を止める。
嫌な予感がした。
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——コツ、コツ、コツ
背後から、足音。
昨日と同じ。
一定のリズムで、ついてくる。
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「……っ」
呼吸が浅くなる。
振り返れない。
でも、逃げないと。
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歩くスピードを上げる。
足音も、同じように速くなる。
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怖い。
はっきりと、そう思った。
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「……誰、ですか」
思い切って振り返る。
でも——
そこにいたのは、フードを深くかぶった男。
顔は見えない。
ただ、こちらを見ている。
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一歩、近づいてくる。
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「っ……!」
身体が固まる。
逃げなきゃいけないのに、動けない。
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その時だった。
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「止まれ」
低く、よく通る声。
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男の動きが止まる。
同時に、私の視界の端に——
見覚えのある制服が入った。
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「……警察だ」
その声を聞いた瞬間、
張り詰めていた何かが、一気にほどけた。
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「龍さん……!」
思わず名前を呼んでいた。
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龍は、私の前に立つようにして男との間に入る。
完全に“庇う”位置だった。
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「何してる」
冷たい声。
さっきまでとは全く違う。
感情を消したような、警察官の声。
男は何も言わない。
少しだけ後ずさる。
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「話を聞かせてもらう」
一歩、龍が踏み出す。
それだけで、空気が変わる。
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男は舌打ちをして、そのまま走り去った。
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「待て!」
龍が追いかけようとする——
でも、すぐに止まった。
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「……くそ」
小さく舌打ち。
そしてすぐに、私の方を見る。
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「大丈夫か」
さっきまでの声とは違う。
優しい声。
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その瞬間、足の力が抜けた。
「こわ、かった……」
自分でも驚くくらい、震えていた。
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龍が、すぐに支えるように肩を掴む。
「もう大丈夫だ」
その一言で、涙が出そうになる。
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「昨日も、同じことがあって……」
途切れ途切れに話す。
「でも、気のせいだと思ってて……」
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龍の表情が、わずかに変わる。
「……なんで言わなかった」
少しだけ、強い口調。
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「だって……」
言葉に詰まる。
「迷惑かけたくなくて……」
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一瞬の沈黙。
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「迷惑なわけあるか」
はっきりと、言われた。
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驚いて顔を上げる。
龍は、真っ直ぐこっちを見ていた。
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「こういうのは、すぐ頼れ」
少しだけ眉を寄せる。
「一人で抱え込むな」
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その言葉に、胸がぎゅっと締めつけられる。
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「……はい」
小さく頷く。
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「送る」
「え?」
「家まで」
即答だった。
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「でも……」
「また来る可能性ある」
言葉を遮るように言われる。
「一人で帰らせられない」
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強い口調。
でも、それは怒ってるわけじゃない。
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“守ろうとしてる”声だった。
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並んで歩く帰り道。
さっきまでの恐怖が、少しずつ薄れていく。
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「すみません……」
思わず言う。
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「謝るな」
すぐに返される。
「無事ならそれでいい」
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その言葉が、やけに優しくて。
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「……龍さん」
名前を呼ぶ。
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「ん?」
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「さっき、かっこよかったです」
言ってから、少し恥ずかしくなる。
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一瞬、間。
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「今それ言う?」
少しだけ困ったように笑う。
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「だって本当のことですし」
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龍は少しだけ視線を逸らして、
「……そっか」
とだけ言った。
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でも、その横顔は少しだけ照れていた。
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家の前に着く。
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「ここで大丈夫か」
「はい……今日はありがとうございました」
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少しだけ間があく。
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「……また何かあったら、すぐ連絡しろ」
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「でも連絡先——」
そこまで言って、止まる。
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龍も同じことを考えたらしい。
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「……ああ、そうだな」
ポケットからスマホを出す。
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「交換しとくか」
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心臓が、少しだけ跳ねた。
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ただの安全のため。
それは分かってる。
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でも——
それ以上の意味を、少しだけ期待してしまう。
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「はい」
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連絡先を交換する、その一瞬。
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指先が、ほんの少し触れた。
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たったそれだけなのに。
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なぜか、さっきまでの恐怖とは違う意味で、
心臓がうるさくなった。
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「……じゃあ、また」
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龍が背を向ける。
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その背中を見ながら、思う。
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この人は、ただの警察官じゃない。
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私を助けてくれた人で、
そして——
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少しだけ、
特別な人になり始めている。




