赦し×旅立ち(1)
ローズもアーリィも呆然としていた。死んだはずのルイーズが目の前にいる。
「……ローズ」
父の声だった。父の顔だった。けれどローズの足は、一歩も前に出なかった。
「ローズ、僕だよ」
「お父様は……死んだの。私、見たもの」
ルイーズが何か言おうとして、やめた。代わりに不器用に片膝をついた。ローズと同じ目線になるために。それは昔から変わらない、ルイーズが父親として振舞う時の癖だった。
「…………お父様」
ローズの声が震えた。涙ではなく、恐怖で。
「触っても、消えない?」
「消えないよ」
ローズはルイーズに駆け寄って抱きついた。
「お父様! 生きてた! 生きてた……!」
「ただいま」
ルイーズは身を屈めてローズを抱き締めた。
「やり残したことがあるから、帰って来たんだ」
「ケリをつける?」
アーリィは眠ったままのアルマスを抱きかかえて、アルマスの首元に短剣の切っ先を突きつけた。
「アルマスと話がしたい」
「話すことなんてなんもないだろ」
「話せば何か変わるかもしれない」
「話したって……結果は見えてる。こいつはどうしようもないクズだ」
「それでもいい。アルマスを叩き起こしてほしい」
「……」
短剣を鞘に戻したアーリィは、アルマスの身体を激しく揺すった。
「ルイが、君に話があるって」
アルマスは上体を起こしてルイーズを見た。
「……」
「アルマス、教えてほしい。どうして君はこれまで何度も何度も僕を助けてくれたのか」
「あなたが死ぬと必ずアーリィが死んでしまうから。何度やってもダメだった。アナタが死んだ後では、アーリィが死ぬのを阻止できなかった」
アルマスは手で顔を覆うようにして、泣き始めた。
「本当に、私、もうどうしようもないの。アーリィが居ればそれでいい。ごめんなさい。ルイ、気が済むまで私を殴ってちょうだい」
ルイーズはベッドの前まで歩いていき、片膝をついてアルマスを見上げた。
「殴らない。裏切られても、僕に優しくしてくれなかった母親だったと知っても、僕は大好きだった人を殴りたいなんて思わない」
「……」
「君との関係は修復できない。だからもうこのまま終わらせたいんだ。僕は君を嫌いになりたくない」
アルマスはますます泣いた。
「君を苦しませていたのはこれだね」
ルイーズはベッドの縁に置いてあった天使の羽が生えた小瓶を手に取ってアルマスに見せた。
「ぼんやり覚えてる。これでアーリィと宝探しをした」
ルイーズは天使の羽が生えた小瓶を床に置いて、ポケットから取り出した手の平よりも大きい岩を天使の羽が生えた小瓶に向かって思いきり振り下ろした。
「……!」
岩が床を打つゴン――という鈍い音とともに、砕けたガラス片が飛び散った。
「君は今、解放されたんだ」
ルイーズが岩をどけると天使の羽が生えた小瓶は一部の羽を残して粉々に砕けていた。
「……」
「これでもう過去は変えられない。アルマス、君はどうしたい」
アルマスはベッドから降りて、あちこちに飛び散ったガラスの破片をかき集めた。
「この小瓶がなければ、能力の使い道を知らなければ、最初からこんな過ちを犯さなかった。もっと別の方法で、あの人の死を受け入れる努力をしたと思う」
アルマスは折れた天使の羽を眺めていた。
「ずっと……いつまでも……あの人の死を受け入れられなかった……。あの人が一番大事にしていたあなたたちを傷つけた……誰よりも悪に染まっていたのは……私」
「じゃあ償えよ」
アーリィはアルマスに短剣の持ち手を向けて差し出した。
しかしそれをルイーズが遮った。
「死ななくていい。死ぬ必要なんてない」
「ルイ。こいつが何をしたか分かってるだろ?」
「うん。でもアルマスが悪魔を呼んだわけじゃない。僕たちのすべてをアルマスが狂わせたわけじゃないだろ」
「……」
「幼い頃の僕たちみたいに、行き場を失って、明日があるかも分からない状況に置かれた子どもが世界中にいる。そういう子どもたちをアルマスが救っていくっていうのはどうかな」
「そんなことでこいつを許せるのか?」
「許すとか、許さないとかじゃない。僕は勝手にアルマスに期待して、勝手に失望したんだ。それに対して怒るも何もない」
「……」
「それに僕にはアーリィが居たから、アーリィがずっと側に居てくれたから、それだけで救われた。でも誰しもそうじゃない。今も孤独と戦っている子どもたちがいるんだ」
アーリィは俯いたまま何も言わなくなった。
「俺もう行くよ」
「どこに」
「まだやることがあるんだ」
「君は悪魔の遣いとして生きていくのかい?」
「お前には関係ない」
ルイーズは部屋を出て行こうとするアーリィの腕を掴んで引き留めた。
「関係ある」
「話したところでお前に何ができる。なーんにもできないだろ」
「どうしていつもそうやって、関係ないって突き放すんだ」
「……」
「悪魔の遣いだか何だか知らないけど、アーリィはアーリィだろ。僕の大切な兄さんだ」
アーリィはルイーズの手を振り払った。
「それでも俺は話すつもりはない。お前にひとつ言えることがあるとすれば――」
アーリィは言葉を詰まらせた。
「……もう二度と弱虫なんて言わせるな」
アーリィは部屋を出て行った。
アーリィはヴィダートの仮宿からそう遠くない街へ行き、物静かな路地に座り込んでいた。服の袖を捲ると、腕は黒く硬い毛で覆われている。悪魔の全身を覆っていたものによく似ている。
「俺は……この運命に逆らえない……」
路地は大通りと繋がっていて、路地の隙間から行き交う人が見える。
アーリィは大通りを歩く人に向かって矢を放った。矢は通行人の頭を貫通し、射られた人間は血を流してその場に倒れ込んだ。辺りは騒然として悲鳴が響き渡った。
アーリィは立ち上がって建物の屋上に移動した。腕に生えていた硬い毛は消えて、人間の皮膚に戻っている。
「……」
アーリィはイザナミが石化される前の言葉を思い出していた。「あの日もルシファーがやった」と言っていた。あの日の出来事はアルマスに嫉妬したイザナミが招いたものだと思っていたが、そうでないとすれば、"ルシファー"は何の目的で悪魔を召還したのか。
上位階級の悪魔の遣いがいる限り、自分のように悪魔の遣いにさせられてしまう人間を無くすことはできない。
「さーて、どうしようか」
アーリィは頭の後ろで手を組んで、寝転んだ。
「まずはイザナミを復活させて詳しい話でも聞くかな」
アーリィはイザナミの石像を回収するためにヴィダートの仮宿へ戻った。惨劇が起こった中庭にはルイーズが作った血溜まりと心臓を抉られたアコマノの死体が生々しく残っている。
「あれ?」
イザナミの石像がない。
「先越されたかー?」
石像が砕かれたような形跡もなく、ただ、石像が消えている。
「アーリィ様」
「ああ、ドルジャス。随分とボロボロだね」
「アーリィ様に会いに来たのに、化粧直す気にもなんなくて」
「ドルジャス、お前も来る?」
「来るって、どこに」
「強制はしないから。気が向いたらどーぞ」
「過去に戻って悪魔を倒しに行くとか?」
「いいや……」
アーリィはいつになく深刻な表情をしていた。
「倒すのは悪魔だけじゃない」
「上等じゃん? あたし超絶暇だし。行ってもいいよ」
「ドルジャス、変わったね」
「へ? 嘘? 見た目そんなヤバい?」
「なんてゆーか、……いや、なんでもない」
ドルジャスは首を傾げたが、アーリィはそれ以上何も言わなかった。
天界から地上を眺めていた人物は深い溜息を吐いた。
「うわクソや! 上級階級のヤツ封印されてもうたやないか! そもそもアイツが"トモダチ"とかいうもん欲しがるからやろ……。せっかく邪魔してやったのに。はぁ、ほんまめんどくさいわ。新しい器探すか、中級育てるか。どっちもダルいわ。めんどいめんどいめんどいめんどいめんどいわー!」




