継承×別離(2)
ヨハンがモスモスの獄に刀を振り下ろす約十分前――。
解毒剤を飲んだヨハンの容態は驚くほど早く回復していた。斑模様は薄れて、意識も視界もはっきりしてきた。
(これならまた戦える……)
黙々とウサギのぬいぐるみを縫っていたデナーリリアは振り返り、ヨハンの顔に向かって縫い針を投げた。
「元気そうネ?」
ヨハンはデナーリリアが投げた針を人差し指と中指で受け止めている。
「どうしてリリアの薬効いてない?」
デナーリリアのドレスから鋼のリボンが八岐大蛇のように伸びて、鋭く尖った先端はヨハンに向いた。心臓の形をした針山も現れた。相変わらず毒々しい針が刺さっている。
ヨハンは刃渡り二センチほどの年季が入った短剣を手に取った。
「それでリリアと殺り合う? 笑わせるナヨ」
「流石にこれ一本では、あなたに勝てる気がしません」
ヨハンは空いている手でもう一本刀を抜いた。二本目の刀は柄の部分にオパールのような虹色に輝く宝石が埋まっている。
「リリアに勝てる思うな! 死ネ!」
鋼のリボンがヨハンに襲い掛かる。ヨハンは長い刀で鋼のように硬いリボンを斬りながら、デナーリリアとの距離を詰めていく。デナーリリアは指の間に毒々しい針を挟めるだけ挟み、ヨハンに向かって一斉に投げた。ヨハンは刀の刃、棟、鎬を器用に使い分けてデナーリリアの攻撃をかわし、ついにデナーリリアの目の前まで来た。
ヨハンは長い刀を鞘に戻し、右手で刃渡り二センチほどの短剣を握った。
「笑わせるな言ったデショ」
地面に散った鋼のリボンの破片が宙に浮かび、ヨハンに狙いを定めた。
ヨハンは左手の平をデナーリリアの心臓に向けて、左手の甲に短剣を突き刺した。
「吸血斬り」
刃渡り二センチの刀はヨハンの手の甲を貫き、一瞬のうちに伸長してデナーリリアの心臓をも貫いた。デナーリリアは、まさかヨハンの手の平から刀が伸びてくるとは思わず、吸血斬りをかわしきれなかった。
同時にヨハンの全身には鋼のリボンの破片が突き刺さって血が流れ出したが、ヨハンは歯を食いしばって、声も漏らさず、デナーリリアの攻撃に耐えた。
「リリア死にたくない……」
デナーリリアは心臓から血を流してその場にへたり込んだ。
「ズット死にたかった……デモ……死にたくない……死にたくない……」
ヨハンに刺さった鋼のリボンも、地面に散っていた鋼のリボンもサテン生地のリボンに変わり、心臓の針山はフカフカの綿が入ったフェルト生地の針山に変わった。
「ダメ……見るナ……」
デナーリリアの顔にヒビが入って仮面が割れた。仮面の下から現れたのは、顔に大きな火傷の痕がある少女。
「アクマ……ブキミ……ビョウキウツル……バケモノ……キモチワルイ……」
デナーリリアは泣きながら、震える手で割れた仮面を拾った。
「仮面つける、新しい自分なれた」
デナーリリアは横になり、火傷の痕を隠すように割れた仮面を顔に乗せた。
「アーリィ様……仮面くれた……リリア……シアワ、セ…………」
「……」
「もう……怖くないネ」
その言葉を最期に、デナーリリアは動かなくなった。
ヨハンはデナーリリアが縫っていたウサギのぬいぐるみを拾った。黒くて丸い目が可愛らしい。
「あなたの才能に誰も気づいてあげられなかったことが悔やまれます。とても可愛いウサギですね」
ヨハンはウサギのぬいぐるみをデナーリリアに添えた。
白い鳩が飛んできてヨハンの腕に止まった。コイチが飛ばした伝書鳩である。
「黒いドーム……?」
ヨハンは時空斬りで壁を斬りつけて時空間を呼び出し、寒色のマーブル模様がうごめく空間に飛び込んだ。
「黒いドームを斬りつけろ」
それが伝書鳩からの伝言だった。
天井から現れたヨハンは黒いドームを視界に捉え、柄に太陽が彫られた刀を抜いてオーラを集中させた。刀は燃える太陽のようにオレンジ色に輝き出した。
ヨハンはドームの頂点目掛けてオレンジ色に光り輝く刀を振り下ろした。
「曇天斬り」
ヨハンはコイチが傷をつけることすらできなかった黒いドームの頂点に刀を突き刺し、頂点から真下に向かって一直線に、表面をなぞるように斬り開いた。
獄の崩壊と同時にヨハンの顔と身体が幼体化していく。
「ルイーズ様、お気を確かに……!」
ルイーズはうんともすんとも言わない。血溜まりの中でぼうっとしている。
「ボクと一緒に居るとみーんな自分を追い込んじゃうんですよねエ。そうそう、あの子もそうだったなア」
モスモスはコイチを見てにやりと笑った。そして声のトーンを高くして死に際のコモモを再現してみせた。
「コイチサン、コイチサンは何十年間も誰に身を焦がしているのでしょうか。幼い頃からずっとコイチサンの側に居るのに、私にはそれが誰か分からないのです。分かっているのは、コイチサンが想う"誰か"に私はなれないと言うことだけ……」
コイチの拳が赤く熱されていく。
「クウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ! 健気! 健気だったなア。コイチサン、アナタ、罪な男ですねエ」
疾うに怒りの頂点を超えていたコイチは、全身の血管を浮き上がらせて、強力な赤いオーラを纏っていた。モスモスは身構えたが、コイチは天井にぶつかるほど高く跳んで、天井に拳を突き上げた。天井は吹っ飛び、全員の頭上に青空が広がった。
「……?」
コイチはモスモスを睨みつけて絶対零度の吐息と言い放った。
モスモスが上空の光景に驚いて口を開けたとき、咥えていたアイスが口から落ちた。
モスモスが最期に見たのは、口のなかに青白い光を蓄えた鳥のような恐竜のような龍のような動物だった。「なんだア?」と声を発する間もなく、ミライカの口から放たれた光線に当たった瞬間に全身が凍り付いた。
コイチは凍結されたモスモスの前に立った。俯いて、悔しそうに拳を握りしめた。
「あいつの気持ちを知らなかったわけじゃねえんだ」
幼い頃は毎日のように一緒に遊んでいた。ともに軍人育成学校で勉強や訓練に励み切磋琢磨した。思い返せば五十年以上の付き合いである。厄介払いをしてもついて来て、怪我をする度に手当をしてくれた。放って置けば治ると言っても、自分を大事にしろと説教を垂れた。
「それでもワシは物心ついたときからずっと誰かに気を取られてんだ。誰かも分かんねえのに、そいつを探してんだ」
再びコイチのオーラが増大し、拳が鉄のように熱されていく。
「ワシは、たったの一度もあいつと向き合わなかった」
誰にでもニコニコと笑顔を振りまいているくせに、時折、自分の前でだけ辛そうな顔を見せるコモモの言葉に耳を傾けることができたら、コモモの痛みや苦しみを少しでも和らげることができたかもしれない。
「ありがとうすら言ってねえ。……どうしようもねえのは、ワシのほうだろうが」
コイチは燃えるように赤いオーラを纏った拳で、凍結されたモスモスの胸部を一突きした。一瞬にして、モスモスは粉々に砕け散った。
「あいつが傍に居る人生は一回きりなのによ」
コイチは歯を食いしばって涙を堪えていた。
「……」
「ルイーズ様?」
ヨハンはルイーズの異変に気付いて声を掛けた。
ルイーズは真っ青な顔をして、地面に落ちているアイスの棒とモスモスが落とした食べかけのアイスを見ていた。
「もう一人居たんだ」
「?」
「あの日の違和感……。僕はアイスの棒を四本持ってた」
――あの時も感じた。隣に誰かがいた気配。
ルイーズは悪魔と出会った日のことを思い出した。アルマスとアーリィと三人で歩いていた。アイスの棒を回収した時、自分のを含めて四本あったんだ。
「ルイーズ様、どうされたのですか」
「僕は誰かの存在を忘れている」
夏の日、照りつける太陽、汗ばむ肌、いつもと変わらない下校の風景。疎らに咲くヒマワリ畑には自分たちしか居なかったはずなのに。
「僕らと一緒に居たのは誰だ? もしかして、そいつが」
みんなでアイスを食べていた。大好きだった兄、片想いをしていたアルマス、その隣に居るのは――。




