第42話 義兄
「久しぶりだね兄貴! とうとう年貢を納めに来たよ!!」
港町の領主館のドアが力強く開け放たれて、威勢の良い『挨拶』が響く。
「イザベラ!?」
今しがた高速船が入港したと聞いて、身支度を急ぎ整えたばかりのアンドリュー・トゥールボットが目を剥いた。
「君にこうして会うのは何年ぶりかな……変わりないな、いや、そんなこともないか……」
黒い肌の少女に支えられた青年が、口元に微笑をたたえ、深々と頭を垂れて言った。
「お初にお目にかかります。アランドール家が四男、詩人のジョンと申します」
今にもそのまま倒れてしまいそうな顔色だったが、視線も口調もしっかりとしている。
「我が家の兄達が、大事な妹君を害そうとした件、お許しを賜ったと劇団の皆より聞いております。寛大なそのお心に、感謝を」
静かな水面を前にしているような、そんな気さえして、アンドリューは思わず目を瞬かせてから、手を差し出した。そして、驚くほど冷たい手と握手を交わす。
「あらかたの話は劇団の皆から聞いているよ。祝いの品も届いている。さあ、とにかく入って座っておくれ」
「客室のベッドを借りるよ。それと……祝いの品?」
「ランドルケーヘンの領主ご夫妻から直々に届いて、父さんが目を回していたけれど……」
「ああ、カルロスとアントニアじゃないか! アントニアも今やお妃様なんだっけね……」
大聖堂で有名な大陸の所領の領主夫妻をファーストネームで呼ぶ妹を思わずまじまじと見つつ、
「そのお妃様から立派な花嫁のヴェールと手袋が届いたけれど……一体どういった経緯で知り合いに?」
思わず問いかける。
「駆け落ちを助けてやったのさ。カルロスとは一緒に刺客とも戦った仲だ。アントニアはいい女だよ。ちゃんと御領主様のお妃になれて万々歳だ」
相変わらず豪胆なことを言う妹の髪から、微かに香水の香りがする。以前の、『自分の知っている』妹なら絶対にあり得なかったことである。
「と言うわけで、祝って貰いに来た。まさか兄貴より先に結婚するとは、思ってなかったよ」
「帰って来るなり祝ってくれとは相変わらずだなあ」
「式を挙げに帰ってきたようなもんだしね。馬鹿親父はどうしてる? あの若い『お義母様』は実家かどっかに帰ってる頃合いだと思うんだけど」
「よくわかったね。父上も多少はめげていたけど、まあ、君がいないと戦では話にならないことが露呈した以上、どうしようもなかった、ということだ。それと……ジョン君」
「はい」
「妹を救ってくれたことに、感謝を。身体の具合が良くないと聞いていたけれど、奥でゆっくり休むかい?」
「まずは兄妹で積もる話もおありでしょう。お言葉に甘えさせていただくことにします。ポーリーも一緒に来て下さいね」
「ウン、オヤブンノ、オニイサン、ヤサシイヒト。ハジメマシテ。メイド、ノ、ポーリー、デス」
アンドリューが微笑んだ。
「君のことも聞いているよ。南の国からやってきた、黒真珠のお姫様。この港ではもう悪事が働けないように取り計らってある。安心しておくれよ」
「しかし、本当に……」
「親父に聞かされたんだろう? 『明日にでも死にそうな病弱な四男坊』だって。この町で適当に跡継ぎを作ってこいって放り出したのはあの親父だ。今更ゴタゴタ抜かすようだったら親といえども『それなりに私にも考えはある』ってところさ」
アンドリューが苦笑する。そして、言った。
「祝いの品があちらこちらから届いているよ。良い旅だったのだろうね」
「もちろん」
「コロセウムでの優勝、おめでとう。『百剣のイザベラ』。この町にももう噂が広まるだろうね」
「ありがとうよ。アーシェット劇団の気の良い連中がいるんだろう?」
「舞台の上にコロセウムを建てようとしていたよ。君の名誉ある二つ名が国中に広がる日も近そうだ」
「ジョンのおかげさ。今日で二十歳だ。兄貴にも、私でも、息子がいたらあんな歳になるだろうね」
イザベラがソファに腰を降ろして、緑色の表紙の詩集を正面の兄に手渡しながら言う。
「息子みたいな歳の、しかも健康ではない男と婚姻するのが、馬鹿だと思ったら好きなだけ笑えばいいさ。あいつは死なない。それに、死なせない。私達は、そういう旅をしてきたんだ」
手渡された、緑の装丁の美しい詩集を静かにめくりながらアンドリューが言う。
「……婚礼祝いは、この館でいいかな」
「何だって」
「首都に、大学を建てようと思っていてね。そもそもがこの街は君達の領地だ。この館だってそうだ。それに、ずっと何もしてこなかった僕に、君達の旅は『何かを決めさせた』んだ」
胸ポケットから、静かに館の鍵を出してイザベラに渡す。イザベラが、指輪をつけた手でそれを受け取る。
「さあ、準備だ。ここで式を挙げる気だろう。父もそのうち来る。アランドール家の皆も来る。結婚話が意外なことになって動揺したのはむしろあちらだろうね」
「そういや毒を盛られかけたわけだしね。忘れていたよ。それにしても、ジョンの兄貴連中にも挨拶をする日が来るなんてね。皆戦場で見知った顔なわけだけど」
「劇団のおかげで毒の件が国中に知れ渡って、若干肩身が狭い感じらしいよ」
イザベラが思わず吹き出した。
「まあ、うちは財産ぶん取られてるんだし、首都で教育ってやつに携わるのは悪くない。それにしても奇遇とはこのことだ。……私も、賞金の残りでこの港町にも学校を建てようかと思っていたんだよ」
「君が、学校を!?」
「意外だろう? 後でジョンとまた詳しく話しあう予定の話さ。うちの可愛いポーリーみたいに、学校には入れて貰えないけれど才能がある子だっている。肌も年も関係なく学べる学校があれば、大学とやらに送りこめる人材だって増えるだろうさ。別に、兄貴のためだけじゃないけど、いつかは兄貴のためにもなる話さ。大学を建てる資金も多少なら出せるよ」
「……いや、そこは僕で頑張っていくよ。あまり情けない兄のままでもいたくない。やっと、そう思うようになったところなんだ。劇団の皆から、君達の話を聞いたときにね」
そして、言った。
「トム・スタッフフォード卿からの使者が来てね。明日には結婚式の衣裳の仕立屋を連れて来てくれるそうだ。うちの侍従達は食事や家の飾り付けやらの買い出しでてんやわんやだ。さて、今のうちに、改めて義弟に挨拶してくるよ」
そして、
「ランドルケーヘン領主ご夫妻からの戴き物だ。君のものでいい、と書状には書かれている。読むかい」
花嫁のヴェールと手袋が入っている箱と書状を手渡した。
「ああ。読むよ。その間に、ジョン達に挨拶にいってくるといい」
イザベラが、書状を手に、箱を開けて言う。
「あんなにも良い旅が出来たのは、ジョンとポーリーのおかげだよ。さもなきゃ今頃私は大陸のどっかで野垂れ死んでたか、山賊にでもなってたかもしれないんだしね!」
友から贈られた美しいヴェールと手袋。数々の祝福の手紙。永遠に自分には無縁だと思っていたものだったそれを静かに手に取ったイザベラが、微かに微笑む。
妹のそんな微笑みなど見たことがなかった兄アンドリューがほんの少し目を見開いてから、そっと階段を登っていった。
ジョンがベッドに腰掛けて書きものをする隣の部屋で、ポーリーが算盤を器用に弾いている。
「算術が、得意なんですよ」
「それは驚きだ」
アンドリューが言う。
「妹は君に、無茶をさせてはいなかったかい?」
「まあ、無茶なら僕の方がよくしていたような気がしますね、思い起こせば」
妹の指とお揃いの指輪が既に嵌められている細い指に目を落として、
「素晴らしい方です。……最初は別の目的で旅をしていましたが、結局は、同じ風景を、共に見る間柄になりまして」
詩人らしい言い回しで、柔らかく答える。不思議と印象的な色素の薄い瞳。息子ほどに歳の離れた義弟が言う。
「健康だけは、保障してあげられないのが悔しい限りですが」
「健康ならうちの花嫁の方が有り余るほど持っているから、心配はいらないよ」
そして、言った。
「この町で、ゆっくり養生するといい」
そして、自分は首都に大学を設立しに行くことなどを、ゆっくり話す。
「……良いご決断だと思います。そして、僕らのあの旅路が誰かの背中を押したのならば、これほど嬉しいことはありません。アンドリュー殿」
「君には兄が多いけど、僕のことも兄って呼んでくれても構わないよ。困ったことがあったら連絡をしなさい。……ただし、夫婦喧嘩だけは、どちらに加勢して良いかわからないから控えめにね」
「ありがとう、義兄さん」
そう呼ばれて照れたのか、人差し指を自分の口元に当てて、アンドリューが笑いながら、小声で囁いた。
「……僕の妹は、本当は自分より強い男は愛せないと思う。それでも、自分より強い男でないと愛せない。そういう厄介な花嫁だ。だからこそ君は、最高の伴侶なんだろうね。これから、宜しく頼むよ」




