第36話 陰謀
「まさかあんたとまたやりあえるなんてね」
「光栄だ」
地面ごと削り取る凄まじい剣戟。それを水のように受け流し、イザベラが笑う。
「良い戦士になった。次に会うときは好敵手って言ったけど、まさにその通りだ、ガド・エーケンハイム!!」
「その言葉を胸にここまで来た! この勝負、受けてもらおう、イザベラ・トゥールボット卿!!」
渦巻くようなコロセウムの熱狂の中心、台風の目の様な場所で二人は対峙する。
「全く、我々はどちらを応援するべきなのか……」
「本当にわかりませんな」
最前列で、ガドの部下達が呟く。
「彼女がいなければ、我々はあの兄君に良いように使われるガド様の部下のまま、つまり三下の小者のままだったでしょうな」
隣にいるジョンが微笑む。
「あなた方は今、大陸でも指折りの立派な騎士の元に仕えていますよ」
「ありがとうございます、本当に」
ポーリーが心配そうにぎゅっと両手を握りしめながら、勝負の行方を見守っている。
「観客席に女性も多いですね」
「トゥールボット卿の成せる技でしょう。女性が出場するのも珍しい上に、優勝したこともない。我々とて、彼女より強い女性を見たことはありません」
ポーリーが振り返る。
「オヤブン、ツヨイ。デモ、オオキナヒト……ガド、モ、ツヨクナッタ」
「あなた様のハンカチのおかげでもありますよ、我々の小さなレディ」
「ポーリー、ステキナ、レディ?」
「あなたはもう、最高のメイドにも、愛らしい姫君にもなれる、僕らの大事なレディです。僕らは皆、あなたのことが大好きなんですよ」
「ゴシュジン、ダイスキ! デモネ、ポーリー、オヤブンモ、ガドモ、センセイモ、ミンナダイスキ……」
亡くなった父や母、村の仲間たちは、今の自分がこんなにも皆から愛されていることを知ったら、きっとびっくりするだろう。
ぎゅっと手を握りしめ、ポーリーは再びコロセウムの真ん中へと視線を戻す。
風や水を思わせる華麗な所作の入り混じったイザベラの変幻自在の剣、それを大剣の柄の部分でぎりぎりと受け止めて、
「戦いの相手でなかったら惚れ惚れしていたところだ」
ガドが息を吐く。
「後でゆっくり惚れ惚れさせてやるよ。決勝に進むのは私だ」
「いや、まだだ!」
剣を撥ねのけ、後ろに下がったガドが吼える。
「でかい得物とやり合うのは得意でね!!」
イザベラもまた、口の端を釣り上げて高らかに笑う。凄まじい剣と剣との応酬が始まり、コロセウム中が更に沸き立った。
コロセウムの砂埃が、半ば二人の姿を覆い隠すように舞い上がる。剣と剣との討ち合う音が鈍く、高く、激しく響く。
それを特別席から見ていたオルガーノの額に、汗が滴り落ちる。
(……とんでもない女だ)
ガド、という相手方の男も奮闘はしているが、既に圧倒されている。自分より力ある者をものともしない、柔剛併せ持ち、美しさすらある剣技。
「少し席を外す」
盾持ちの少年にそう言って、オルガーノは剣を手にしたまま、コロセウムの外へ向かう。そして、ポケットの中に、手を伸ばした。
(俺は、確実に勝たねば)
渡された毒は遅効性だという。その場で死なないのであれば、何とでもなるだろう。火薬と毒物はコロセウムの禁忌である。それでも、やらねばならない理由が自分にはあった。そこに、声が響きわたる。
「勝者、イザベラ・トゥールボット!!」
渦のように巻き上がる歓声。思わず肩越しに振り返ると、真っ先に、大剣が地面に突き刺さっているのが見える。そして今まさに地面に臥したガドを、イザベラが起こしているところだった。場内の空気が、ひときわ熱狂的なものになっていくのが伝わってくる。
思わず、オルガーノはそこから目を逸らして小さく息を吐く。そしてしばらく立ち尽くした後、昏い目を細めて、出口の方へ向かっていった。
「随分と遅刻してしまったな……」
明け方まで数学書に熱中していたせいで、起きたら既に決勝の時間近くになっていた。そして案の定、レイモンドがコロセウムに到着した時には、既に入口まで人だかりが出来ていたのである。
昨日と違って女性が多いのは、今日の対戦にあの『イザベラ親分さま』がいるからに違いない。
「これじゃあ入れやしない。何とか、こう……」
一応は関係者の端くれとして、なんとか中に入れないものか、と呑気に考えながら、裏にでも回ってみるか、と徹夜明けの頭をぶんぶんと振って踵を返す。そして裏手に回ると、扉が一つ開きっぱなしになっていた。
「いや、まあ、さすがに勝手に入ったらまずいだろうな……」
徹夜明けの頭に残っていた理性をかろうじて働かせて、レイモンドは足を止める。すると、剣を下げた男が一人、扉の陰に隠れるように立っているのに気付く。
(本当に関係者用の通路なのか、聞くべきだろうか)
眼鏡をかけ直して、思わず少し離れた場所からそのまま男を見ていると、男が何かをポケットから取り出した。そして、腰から下げていたもう一本の細くやや小ぶりな剣に、その中身の液体を垂らしはじめた。
(あれは……)
血の気の多い若い連中が時折決闘を行うことが比較的多い、自分の通う大学で何度か見たことがある、決闘用の細剣である。
しかもそれは、真ん中に溝があり、毒を仕込むことが出来るものだった。学生の決闘では時折使われるが、毒物はこのコロセウムでは厳禁のはずである。
(あの男は、昨日確か)
見た覚えがあった。
(10番、前回準王者……名前は、確か……)
何事も数字から覚える癖があったが、今は名前を思い出そうとしている場合ですらないのでは、と心の中で危険信号が鳴り響く。反射的に再び踵を返し、走り出す。
(……もしもあれが、本当に毒物だとしたら)
準王者が不正を働こうとしている。いや、もしかしたら、それ以上の何かがあるのかもしれない。
走りだした後ろから人の気配を感じた瞬間、甲高い音と共に、肩に激痛が走る。銃声だった。黒い服の人影が、視界の隅にちらりと映る。
思わずその場に倒れかけるが、そうなったら『一巻の終わり』である、と本能が訴えかけてくると同時に、脂汗が背中一面にぶわりと溢れ出る。それを、ぎりりと歯を食いしばって耐え、必死でコロセウム入口の方へと走り出す。走りながら、叫ぶ。
「誰か、誰か来てくれ!! お願いだ! 誰か!!」
肩から血を流した青年が、コロセウム入口で叫ぶ姿に、居合わせた人達からどよめきが上がる。
「大変だ。誰か、このコロセウムの、運営者を……」
するとそこに、黒い髪に髭を蓄えた男が現れる。
「……私で良ければ承ろう。今戦っていたガド・エーケンハイムは我が身内でね」
「そ、それは助かります……」
「怪我の手当てをしよう。ここはコロセウムだ、救護所はこちらにある。肩を貸そう」
「は、はい」
男が微かに嗤ったのにも気付かず、レイモンドは、『ガド・エーケンハイムの身内』と名乗ったそのいかにも『紳士的な』黒髪の男に肩を貸し、よろりと歩き出した。




