第34話 開幕
金管楽器が高らかに鳴り響き、様々な種類の花びらが乱れ飛ぶ。
「流石だね。お互い、勝ち進んだらあんたともやりあえる」
「楽しみだな。これでも、『おかげさまで』少しは世間に揉まれてきたつもりだ。俺は貴殿とあの二人に感謝している」
「嬉しいねえ! あんた、随分といい男になったよ。うちの旦那に詩にして貰いな。この私が許すんだから、あんたも百年の勲を残すんだね!」
甲冑を着込んだ重装備のガドと、乗馬服に剣と短剣の二本だけを佩いた軽装のイザベラが揃ってコロセウムの通路を歩く。そして、女性剣士は珍しい、という話の通り、
『6番、イザベラ・トゥールボット!!』
大声で名を呼ばれると、場内が一気にざわついた。それに動じることもなく、堂々と手を振ってやると、上階のボックス席の中に、見慣れた顔が揃っている。
「決勝は最前列に来るって言ってたけれど……」
「大丈夫だ。俺の部下が護衛している」
「本当にありがとうよ。大事な夫と養い子だ。この命と同義語でね」
そんなイザベラに、ガドは言う。
「あの勇気ある詩人の夫君を、貴殿は誰よりも愛しておられる」
「…………」
「小さなレディのハンカチは、まだこうして大事に巻いている。大事なものだ。俺はもう、道を間違えることもなければ、誰かの道の後ろを、恐る恐る歩くこともない」
「良い言葉だ。……私は私、生き方を決めるのは私。そうだったはずなのに、今の私の中には、私よりもずっと大切な者達がいる。……そんな新しい私を、新しい私が認めずして、新しい私が古い私より強くなれるはずはない」
二人が顔を見合わせる。
「お互いに健闘を祈ろう!」
「ああ、もちろんさ!」
右へ、左へと分かれて整列し、場内の戦士全員が、一斉に花びらが乱れ飛ぶ宙に向かって己の武器を高らかに掲げる。
大剣、斧、細剣、両手剣、様々な形の武器の数々が、コロセウムの天幕から差し込む朝の光に反射して、幾重にも煌めいた。
「たまには勉強にも息抜きが大事だからさ。しかし、すごいなあ……」
ハノーファー先生ことレイモンドが、上階から会場を見下ろして呟く。
「オヤブン、トッテモ、カッコヨカッタ!! オオキナヒトモ、イッショ!!」
「僕まで連れてきて貰えるとは」
護衛についているガドの部下が言う。
「我が主君の『小さなレディ』の教師とあれば、我らにとっても大事なお方です」
レイモンドが目を丸くする。
「ポーリーが? 小さなレディ?」
「ポーリー、オオキナヒト、ハンカチ、アゲタヨ!」
「まだ大事にしておられますよ、レディ。我々部下にとっても、主君が正しき道を歩まれるようになったのは、あなたのおかげですから」
ふとレイモンドが、ポーリーがきちんと持っている緑色の詩集に目をとめる。そして、思わず眼鏡に手を伸ばしながら言った。
「もしかして、あの『槍試合』の……?」
「ええ」
「『黒真珠姫』って、君のことだったのかポーリー。ああ、そうか、僕は本当に、詩には鈍感で……」
「ポーリー、ホントウニ、オヒメサマニ、ナッタノ。オオキナヒト、モ、トッテモ、リッパナヒトニ、ナッタ。ポーリー、ウレシイ……」
後ろを見ると、ジョンとサレムがまるで競い合うように、それぞれペンと鉛筆を走らせている。正確無比な記者サレムの鉛筆、踊るように跳ねる詩人ジョンのペン、詩心のない自分でも、まるでそれは競演しているように見えた。
「すごいな」
ふと、自分のことを考える。計帳を読み解いたり、書いたりするのが何よりも得意な自分。正しい数字を叩き出し、記載する。たったそれだけのことが、自分は何よりも好きだった。
そんな、どこかの銀行か、貴族の家、どこぞの庁舎などに雇われて、普通に、何の変哲もなく生きていく予定でしかない、しがない学生が今何故か、コロセウムで様々な『戦う』人々を目の当たりにしている。
「……生きるって、こういうことなのか」
思わず小さく口に出るほどに、肌に刺さるような、皆の戦い。己の人生に、何か色が付いていく感覚。ぞくり、と身が震える。
自分、という皮が一枚剥がれ落ちていく。新しい何かが、見えてきそうな気さえするこれは、一体何なのだろう。自分は今まで、本当の意味で、『生きて』いたのだろうか。思わず自分に問いかける。
帰る途中に、もう少し難しい数学書をいくつか買っていこう。なぜかふとそんな事を考えながら、
「息抜きどころじゃなくなってしまったな」
レイモンドはそう独りごちて、再び試合会場の方へと視線を投げ戻していった。
オルガーノ・ポルティーズが横目でちらりとイザベラを見る。
(ただの年増の女剣士か、いや、だが、あの剣は歴戦の証か……)
ポケットの中にはあの小瓶が、腰には毒剣が下がっていた。毒など使わずとも自分の、誰にも負けることのない速度で振るわれる細剣ならば、何事もなく勝てるはずである。だが、命まで取るとなれば話は別だった。
(アルヴァマー領の槍試合か)
遺恨の話は聞いているが、何故かその試合で戦ったというガド・エーケンハイムとイザベラという女は、何事もなかったかのように朗らかに語り合っている。
(あの『武器商人』に騙されているのか、あるいは……)
このままでは、神速とも呼ばれる剣に迷いが出てしまう。ゆえに迷いは禁物である。
ポケットの中に収めてあるもののことを一旦忘れ、自分は試合に集中する。イザベラという女を暗殺するかどうかは、あとで考えれば良いことだ。
『10番、前回準王者、オルガーノ・ポルティーズ!』
息を大きく吐いて、オルガーノは愛用の細剣を抜いた。何も知らない観客達が一気に沸き返る。
やはり自分は、負けるわけにはいかないのだ。
コロセウムの大きな柱の陰になっている席は人気もなく、人目にも付きにくい。
「……あの男は、やりますかね」
部下が小声で聞いてきた。
「やるだろう。今はまだ多少迷っているかもしれないが、前回王者に屈する程度の男が、あのイザベラに勝てるとは思わない。だが、剣に速さがあるのならば、打って付けだ。あの毒は、かするだけでも少しずつ効いていく。ゆえにじわじわと、舞台の上でいたぶり殺すことが出来る。舞台の似合う女だ。本望だろう」
髪を黒く染め上げて、髭を蓄えた『武器商人』、ユーリッヒ・エーケンハイムが、静かに言う。
「弟君も出場していらっしゃるようですが」
「……あれは、私とは違う道を行った。故にもはや他人だ。気にすることはない」
だがしかし、手の内を読まれていたのか、『あの女の連れ』には常に、弟の部下達のしっかりとした護衛が常に付いていた。忌々しい、と思わず舌を打つ。
「ボックス席はいかが致しますか」
「今はあの中に、よりによって新聞記者がいる。手を出さないように。後々面倒なことになりかねない」
「かしこまりました」
『あの女』と出会ってから、盤石だったはずの己の人生が、足元が崩れていくようだった。いつから、どこからこうなったのだったか。
アルヴァマー領の森の中で出会い、そして、思い出したくもない槍試合の顛末、移動劇団での一幕、ランドルケーヘン大聖堂での、薔薇の跳躍。
薔薇の花びらを纏いながら大聖堂のステンドグラスの前を華麗に横切り、自分達の手には決して落ちることのなかった女。
そして、舞台の上でこの自分を扇で打擲した詩人。壮健さの欠片もない男だというのに、自分を見つめる目には冷徹な侮蔑に満ちていた。あの視線を思い出すだけで吐き気がする。許しはしまい。絶対にだ。
あの男の前で、あの悪魔のような女を仕留めたら、一体どんな顔をするだろうか。
アルヴァマー領主にはしばらくの暇乞いをした。復讐のため、とわかっていただろうが、何故か大金をくれたのは、あの槍試合の時に、城の旗を射落とされた恨みもあったのだろう。
緑豊かで、古式ゆかしきアルヴァマー領。しかしながら領主である公爵も既に高齢である。この世に思い残すことなど、ない方が良いのだろう。
これはつまり、『正当なる復讐』なのだ。




