第33話 取引
朝から街がよく賑わっている。コロセウムの決勝が近くなれば成る程、その賑わいは増していく。ここはそういう街だった。
新進気鋭の『新聞』社の社員になって二年目。サレム・ラトウィッジはこの街の雰囲気を大いに気に入っていた。そんな彼が、街の中心から少し外れた宿の前で、足を止める。
「新聞社から来ました。サレム・ラトウィッジです」
「お待ちしていました」
先日やって来た『詩人』ジョン・アランドールが出迎えてくれる。細面の顔が、前にあったときより更に白く細く見えて、サレムは思わず言う。
「顔色がお悪いようですが、大丈夫ですか」
「ええ。大丈夫です。いつものことですから」
部屋に通される途中、黒い肌の少女と眼鏡をかけた学生が、差し向かいに座って真剣な眼差しで算盤をはじいたり、書物を紐解いたりしているのがドアの隙間からちらりと見える。
「あなたの奥方、で宜しいでしょうか、あのイザベラ・トゥールボット卿が無事に予選を通過した、という話は今朝方早くに聞きましたよ。おめでとうございます」
「ありがとうございます。あとは優勝するだけになりましたね。僕も、彼女の武勲を百年讃える詩をそろそろ準備しなければ」
「自信満々じゃあないですか。奥方様への愛ってやつですかね」
ジョンが笑う。
「愛、ですか……。いかなる詩人であっても、愛だけでは、武勲は謳えない気がするのですよ。それが何故かは、まだ僕にもわからないのですが。でも、ああ、これは新聞には載せない秘密でお願いしますね。……だから、多分僕は、僕が思っているより、イザベラさんのことを愛しているのかもしれませんね。家同士が決めた婚約者、ではあっても」
サレムが鉛筆を止めて真顔で言った。
「家同士が婚約を決める時代も、きっと終わりを迎えますよ。ランドルケーヘン領では所領同士が、政略結婚を伴わない同盟で結ばれる時代を宣言したそうですし」
「カルロス・ランドルケーヘン殿ですね。素晴らしい御仁です。ちょっぴり奥手なところもありましたが。実は会ったことがあるのです」
「何と」
「ソネットを、代筆したのですよ。美しい未来の奥方様へ贈るための」
招き入れた部屋の窓辺の、緑の詩集を手に取ってめくる。
「その詩集、旅の途中で綴り続けたとお聞きしましたが……」
「ええ」
「では、こっちにある『T.S』はもしや」
「トム・スタッフフォード卿ですよ。美しい奥方のことで、語り合ったのです」
サレムが思わず呟く。
「あなたにその旅を連載して貰えてたらなあ。購読数が上がっただろうに」
「新聞には連載もあるのですね。僕の故郷にはなかったので、詳しくはないのですが」
「街の話題だけでなく、奥様の今夜の夕食の献立から恋愛小説、冒険小説にちょっとした詩、色々ありますが、恋愛と冒険はやっぱり人気があるんです」
「冒険なら山のようにしてきましたよ。今だって、刺客に命を狙われている可能性がある程度には」
「命を?」
サレムが息を呑む。
「まあ、国一番の剣豪と旅をするのですから、そのくらいはあってしかるべきものです」
「エールランドは遠くてなかなか情報がない。長かった内戦が最近終わってきた、という話は……ああ、もしかして」
「ええ、それも、僕らの結婚話がきっかけでしたね」
ジョンが、今まで起きた出来事を、かいつまんで説明していく。
「……それはすごい。そういうことだったのか」
「それで……あと三日後に取りに来て欲しいものがあります」
「三日後、というと決勝の日ですね」
「それまでに必ず、勲を書き綴った詩を用意します。……優勝が決まれば、コロセウムの内外や町の至る所、そして港でも配る『号外』というものを出す、とお聞きしました。それに、どうか載せてはくれませんか。イザベラさんが優勝したら、です」
「号外に、詩を載せる……」
「女性剣士の初優勝にふさわしいものを、です」
そして、ジョンが折り畳んだ紙を一枚差し出した。
「イザベラさんと約束したんですよ。優勝した暁には、誰もがあなたを『剣豪老嬢』などと呼ばなくなるような二つ名を与える、と。その紙に、二つ名だけが記されています。それを見て、決めていただければ」
サレムが紙をそっと開く。そして、そこに書かれていた一文に目を落とし、目を細める。そして、言った。
「……十四行詩ひとつ分を、号外用に空けましょう」
「わかりました。ありがとうございます。新聞の号外に相応しい言葉を、選び抜いておきます」
サレムが腕を組みながら笑う。
「我々新聞社としても、この町で生まれた世界最高の女性剣士の誕生を、この上なく華々しく報じるのはやぶさかではないのですよ。自分が全責任を持って、あなたの詩を掲載します」
サレムは常日頃から、新聞に必要なものは『面白さだけではない何か』、今の自分では言葉に出来ない、未知なる大きな、光り輝く『可能性』のようなものである、と考えていた。
しかし、自分の求めるそれが一体何なのかわからないまま、一介の記者として過ごしてきたが、やっとのことで『光り輝く可能性を紙面に載せる』機会が、もしかしたら今この自分に巡ってきたのではないだろうか。そんな、どこか確信めいた、記者ならではの感覚に肌が泡立つ。
「だから、是非とも我が社の新聞のためにも、最高の逸品を綴り上げて欲しい!」
「お任せください。ああ、それと……」
「何かあるんです?」
ジョンが真顔で答える。
「三日後ですが、馬車で来てください。刺客がうろついている可能性があるんですよ。詩は、このテーブルの引き出しに入れておきますので。決勝は、何としてでも最前列で見に行かねばなりません。その日は朝早くから不在でしょうし」
それを聞いたサレムが不敵に笑う。
「まあ、コロセウム担当の新聞記者ってやつは、多少の不測の事態には慣れてますからして、お任せを!」
この新聞社に赴任して二年目。サレム・ラトウィッジは、ただの記者で一生を終えるつもりは更々なかった。そしてジョンから受け取った折り畳まれた紙を、丁寧に鞄の中に仕舞い込み、宿を後にすると、彼はまだ賑わう街の帰路を歩きだした。
部屋のドアをノックする音が聞こえる。
「誰だ?」
磨いていた細い剣を机に置いて、コロセウムの優勝候補とも噂される男、オルガーノ・ポルティーズが顔を上げる。
「武器商人の方がやってきたようですが、いかが致しますか」
盾持ちの少年が部屋のドアから顔を覗かせる。
「武器商人? 呼んだ覚えはないんだが、まあいい。入れろ」
「かしこまりました」
しばらくして入ってきたのは、存外に身なりの整った男だった。従者達に大小様々な剣を持たせ、入ってくる。
どことなく商人には見えない尊大な所作が見え隠れしているのは、元は貴族階級か何かだったのかも知れない。
「要件はなんだ。ただの武器商人には見えんが」
「……今日は、あなた様に頼みがあって参りました」
「その言葉の訛りは森の地方か。ヴァルトハイムのアルヴァマー領あたりだな。正直に要件を言え。どうせただの商人じゃないんだろう」
「ご明察でございます。この度のコロセウム春試合、どうしても、倒して貰いたい相手がおりまして」
「全員つつがなく倒してやるから安心しろ」
「それがですね。難敵がひとり、紛れ込んでいるのをご存じですか。しかも、女でして」
「この俺が女風情に負けるとでも」
「化け物みたいな女ですからして、油断は大敵です」
「それだけを言いに、ここにきたのか」
商人が、口元で笑う。
「化け物退治には、何かと入り用のものがあるといいますからね……」
従者達が次々に床に降ろした大小様々な剣の入った箱から、一つの木箱を取り出して、机の上に置く。
「これは」
木箱の蓋を開けると、ぎょっとするような量の金貨が詰め込まれている。
「……そう、我々は、あなた様を見込んで、『化け物退治』を依頼しにきたのです」
「まさか」
そして、商人が大小様々な剣の中から、自分が使っている剣より一回り小型の、1本の細い剣を取り出した。よく見ると、剣の中央部に、細い溝が先端まで彫り込まれている。
そして、液体の入った小さな瓶をポケットから取り出すと、『武器商人』と名乗る男が、意味ありげにテーブルに、ことりと置いた。
「毒殺用の、剣か。そんなものなくても、この俺は……」
「あなた様のお力をよく知った上での、ちょっとした『提案』をしたまでのこと」
「そもそも俺は、お前達の『化け物退治』とやらに興味は……」
すると、木箱の隣にもう一つ、そしてもう一回り大きい木箱が置かれる。
「私どもは、『出来る人間にしか』託しません。イザベラ・トゥールボット、魔女と詩人を連れ、我が所領の名誉を穢した悪魔。月桂樹の冠は相応しいものではない。勝利の栄光は、あなた様にこそ与えられるべきものです」
「毒を使ってでもか」
「相見えればきっとわかるでしょう。それはあなたに今、否、これから必要になってくるものです」
そして付け加える。
「前回あなたはシーシウスとかいう野蛮人に決勝で敗北したとのこと。いかなる戦士であろうとコロセウムに出られるのは二回だけ。あなたも、後がないのですよ」
「…………」
武器商人、と名乗った男が、人差し指で机の上の小瓶をそっと弾く。ころころ、と手元に転がってきた瓶を、思わずオルガーノは手に取った。目の前の男が、静かに言う。
「『遅効性』の毒です。身体の痺れ、吐き気、そして、あとはまあ想像におまかせです。それは、置いていきましょう。では……」




