第30話 予選
「西の海の向こうから来た女剣士が、予選を勝ち上がってるだって?」
新聞社の二階の机の周りに、記者達が集まってくる。
「そういえば昨日、その女性の『夫』がここに来たったって小耳に挟んだけど」
「夫?」
「あのスタッフフォード卿の親友の『旅する詩人』なんだってさ。さすがあの卿の親友なだけあって、詩集は面白かったよ。女剣士に詩人、記事を割くだけの価値はあると思う」
「詩集ねえ……へえ、なるほど。格式高いのから庶民的なやつまでいけるのか。しかし、詩人付の女剣士が西の島からこの街までやってきて、男共をきったはったしてるのはなかなか興味深いネタだな」
「この本によると、アルヴァマー領内の槍試合では何ぞ面白いことをしでかしたみたいだぜ。城の旗を射落として、ご禁制の鹿を堂々と食って帰ったとか……」
「へえ。あのお堅い国でか。よくやったなあ」
緑の表紙の詩集といくつかの紙束を前に、記者達が顔を見合わせる。
「闘技場の賭け率は」
少し年かさの記者が言った。
「まだ動きはないですな。本戦の選手が出揃ってからでしょう。今年の春試合、面白いことになりそうですな」
「女剣士か。取材しに行くのもありだな。まだ予選は終わってなかったはずだ」
「コロセウム脇の練習場で、日が落ちるまでだったはず」
「ちょっと行ってくる」
記者のひとり、サレム・ラトウィッジが紙束の入った鞄を抱えて、足早に社屋を出て行った。
「女風情が、舐めやがって!!」
「その女風情とやらに地面に転がされてるようじゃ、お話にもならないんじゃないのかい? ここがどこだかわかって言ってるんだったら、その役に立たない口に剣を突っ込んでやるべきだったね!」
対戦相手を剣戟で派手に吹き飛ばしたイザベラが、トーナメント表に視線を投げる。
「で、こちとらあと七人は予選でぶっ倒さなきゃならないんだ。後がつかえてるんだよ。こういう時は何て言うんだっけね。そう、『どいてくださいます』?」
そこに、声がした。
「イザベラ・トゥールボット卿!」
思わず振り返って、イザベラは目を丸くする。
「遍歴騎士のガドじゃないか!」
かつてアルヴァマーの槍試合で最後に戦った巨漢が、部下達と一緒に立っていた。
「覚えていてくれて光栄だ。あの小さなレディと詩人の男は元気にしているか?」
「ポーリーもジョンも元気にしているよ。まさかあんたも出るのかい」
「予選は昨日勝ち抜いたところだ。本戦で会えると良いが……」
見ると、槍ではなく大剣を背負っている。アルヴァマー領では傷ひとつなかった鎧兜にも、随分と汚れや傷がついている。
「良い旅をしてきたようだね」
「色んな相手と戦ううちに、このコロセウムの話を聞いて、部下達と一緒に山を越えてここまで来たんだ」
「ポーリーもジョンもあんたがいるって聞いたら喜ぶんじゃないかな。宿は?」
「この練習場の裏手にある細道の奥だ。団体観光用の宿で支度を調えている。じゃあ、トゥールボット卿、また近いうちに!」
部下達を連れて歩き去っていく姿に、以前には見られなかった自信と貫禄がある。兄の影に隠れていた弟の姿は、そこにはもうなかった。
「本戦、楽しいことになりそうだねえ」
思わず呟くと、再び、今度は練習場の外から声をかけられる。
「イザベラさんでよろしかったですか」
声をかけてきた青年の、紙束が詰め込まれている鞄を見てイザベラは言う。
「詩人だったら間に合ってるよ」
「いや、自分は記者です。アセンブリッジ新聞社局員、サレム・ラトウィッジです。女性剣士は珍しいので、こうして取材に来たのですが」
「新聞社なら、昨日ジョンが行かなかったかい?」
「ええ、ですが自分は目と足で記事を書きたい性質でして」
「悪くない書き手だね。で、要件は?」
サレムが聞く。
「……あのジョン・アランドール氏とは、一体どういったご関係で? 失礼ながら、話を聞いたときはもっと若い方かと思っていたのですが」
「どういった、ね……旅仲間、ではあるけど、少しそれとも違うね。親同士が勝手に決めた婚約者、駆け落ち相手、ではあるけども……」
「駆け落ちしてこのコロセウムまで!?」
思わずサレムが目を剥いた。
「私は誰よりも強くなりたい。そう決めたら、そうなっただけのことさ。誰よりも強くなりたい夢を、ジョンは一切笑わなかったしね」
「成る程」
「それにしても、『もっと若い方かと』だなんて、あいつは一体私のことをどう説明したんだか!」
「いや、まあ、歳上だとは聞いていたのですが……」
少し決まりが悪そうな顔になったサレムに、イザベラが言う。
「よもやこんな老嬢が剣をぶん回してるとは、みたいな顔をしてるね? まあ、そうなんだけどさ。アルヴァマー領でやらかしたことなら、私よりきっとあっちにいるガドの方が詳しいよ」
「お知り合いで?」
「槍試合でね」
そして、サレムの鞄をもう一度見て、そこにジョンの詩集が入っているのに気付いたイザベラが片目を閉じて言った。
「あとは概ね、その詩集の通りさ。けれど私達は約束した。私が誰よりも強くなったら、勲を百年伝える詩を作って貰うことをね。だから私は、ジョンの二冊目の詩集の巻頭あたりに載る予定でいるよ」
サレムが目を丸くする。
「勲、ですか」
「あんたたち若造にはもう死語だろうね。新聞とか言う新しい何かに相応しい言葉でもない。でも、私はそれを求めてここに来た。……そういや優勝すれば賞金が出るんだっけね? 使い道はまだあまり考えてないけどさ」
サレムが手にしていた鉛筆を走らせるのも忘れてイザベラを見る。
「……いや、面白いな。自分はもう少しあなた方について取材してみたい。失礼ながら、宿はもうお取りに?」
「ああ、町の入り口近くだよ。ここは良い町だ。活気のある街は歩いていても楽しいもんだ。取材とやら、いつでも来な。そろそろポーリーを迎えに行く時間だ」
「本当ですか。では近日また改めてお伺いしますよ! 旦那様にも宜しくお伝えください」
足取り軽く立ち去っていくサレムを見送って、イザベラが踵を返す。
「旦那様、か」
その言葉は既に、最初にジョンと出会った時に感じたほど、悪いものではなかった。
書きかけの原稿や、市場で新しく買ったペン、買い足した紙やインクなどを整理して、宿の一室でジョンは一息ついた。
(こうして一人で何かをしているのは、本当に久しぶりですね……)
ポーリーの笑い声や、イザベラの靴の踵の音が聞こえないのが少し寂しくはあった。宿の老おかみも買い出しに出かけていて、久しぶりに一人で過ごす時間になっている。
(そろそろ、この街で病院を探しておかないと……)
まだ少し肌寒い気がして、部屋の薪ストーブへ寄った途端に、ごほり、ごほりと咳が出る。
なにか、いつもと違うような気がする、と思わず口元に手をやった途端に、またしてもごほりと咳が出る。それを思わず手で押さえて、そして開いたジョンが、目を見開いた。
「血が……」
手の中に、血が広がっている。反射的に、机の上に置かれていた紙でそれを残さず拭い取る。そして、火種の入った薪ストーブの前にそっと跪くと、血で濡れた紙を丁寧に中に入れて、静かに、燃やす。
「まだだ」
自分に残された時はどれくらいなのか、まるでわかりはしないが、今はまだ、斃れるわけにはいかない。そしてこれを、イザベラにもポーリーにも決して気付かれてはいけない。跪いたまま、思わず目を閉じる。
可愛い黒真珠に、美しい薔薇の髪の女。自分が心から愛する者達。
吐いた血の付いた紙が燃えていく。もう少しだ。この手で、あの薔薇の髪の女に、月桂冠の冠をかけて、後の世に百年残る勲を詩にすると約束した。
それは命を燃やしてでも果たすべき約束だ。ゆえに、その前に燃えつきる命であってはならないのだ。それなのに、なんと不甲斐ないことだろう。
燃えきって黒い灰になった紙をじっと見つめ、火搔き棒でそれを丁寧に散らして、ジョンは立ち上がる。そして鞄の中から、トムから貰った病院の紹介状を手に取った。




