第29話 Colosseum
美しく白い雪を被った山の姿が、馬車の車窓から雄大に聳えて見える。そんな山々の麓の、まだ雪の解けきらない街道を走り抜け、馬車は進む。
「寒さは大丈夫かい?」
御者台から馬車の小窓を少しだけ開けて、イザベラがジョンに聞く。
「そちらこそ、御者台のほうが寒いでしょう。休憩時間は多めに取っていきましょう」
「アタタカイ、ノミモノ、デキタヨ!」
馬車内の炭火の小さなストーブで、ポーリーが器用にスープを沸かす。
「町に着いたら茶葉を買いましょうか。コロセウムのある東の町は港町です。珍しいものもいっぱいあるでしょう。春の大会の出場者受付には十分間に合いますね」
「ポーリー、ケイサンノ、ドウグ、ホシイナ」
「算盤でしたっけ。蚤の市があるとシーシウスさんが仰っていたので、そこで探しましょうか」
ポーリーからスープを受け取って、馬車の小窓をコツコツと叩くと、馬車が道の脇に止まり、イザベラが中に入ってくる。
「アッタカイヨ!」
「本当に、いつもありがとうございます」
ジョンの手から温かいカップを受け取って、イザベラが言う。
「真冬だったら全身凍ってたかもしれないねえ。冬の山越えを控えて大正解だったよ。道に雪が積もってないだけ幾分かマシさ。気にしないでおくれよ」
そして、
「町に着いたら出場者の受付をして、剣が振るえる宿を探すよ。コロセウムの町だ。結構そういった宿も多いんだってさ」
「宿が決まったら、僕も行きたい場所がありまして」
「行きたい場所?」
「トムから紹介状を貰いまして。新聞社です。新進気鋭の。コロセウムの試合の様子や選手達を主に取り上げていて、人気もあるとか……」
ジョンとイザベラが顔を見合わせる。
「……戦いの始まりが近いね。お互い」
「全くです」
日曜学校の本を読んでいたポーリーが顔を上げる。
「ガンバルノ、タノシイ。ポーリー、モットモット、ガンバレル」
馬車の旅の間、ジョンの手ほどきで少しづつ文字が読めるようになり、そして、貰った本をあっという間に習得したポーリーが呟く。
「ポーリーにも何か身近な目標があれば良いのですが」
「……探してみるとしようか。うちらの可愛いメイドってことになってるけど、そもそもあんたは大事な友達だ。でも南の島から来た人間を対等に扱ってくれるところは、そんなに多くない。でもこの町の港は奴隷貿易厳禁で、その上、コロセウムで名を挙げるのに肌の色は関係ないって表明が出たばかりだ。ポーリーの故郷に近いところからきた奴だって、いるかもしれないね」
「まずは宿に馬車を預けてから、算盤を探して、本ももう少し買い足しましょう。もっと友達が増える場所を探しながら、ですね」
「へええ、そんな遠い西の国からよく来たねえ。コロセウム、嬢ちゃんが出るのかい。部屋ならちょうど二部屋空いてるよ。中庭はそこまで広くはないけど剣を好きなだけぶん回して練習していい場所だからね。で、馬車は裏手に停めてくれるかい?」
宿屋の老おかみが、もの珍しげにイザベラ達一行を見ながら言った。
「もう嬢ちゃんって歳でもないさ。それと蚤の市はどこでやってるんだい?」
「コロセウム前の大通りさね。武器の手入れにいるやつもあれこれ売っているよ」
「そいつはいいね! もうすぐ切らすところだった。しっかり買ってこないとさ」
老おかみがイザベラの剣に目をとめる。そして、ちょっと目をしばたかせ、真顔で言った。
「……ほう、いい剣だねえ嬢ちゃん。うちはここで宿屋をやって五十年だけど、そんなにも手入れが行き届いた業物を持ってるなんて、なかなかのものだ。あんた間違いなくいいところまで勝ち進めるね!」
イザベラがニィッと笑う。
「もちろん、最後の最後まで勝ち進んでいくからね。負けることはないさ。ってわけで、宿代は長く払うことになるよ?」
老おかみがほがらかに笑う。
「春試合がいつもより楽しみになったよ! 女剣士は珍しいけど、嬢ちゃんみたいなかっこいい剣士が、じゃがいもみたいな男共を切ったはったするところ、この目で見てみたいねえ!」
三人でまだ肌寒い蚤の市を歩む。前方に聳え立つ巨大なコロセウムを見て、イザベラが呟く。
「寒いはずなのに、久々にこう、血が滾ってきたよ」
「それはいいことです。僕は後ほど新聞社に行って、『ものすごく強い女剣士が来た』旨を、上手い具合に伝えてこなければ」
「まるで鳴り物入りだねえ」
「良い感じに『鳴らして』見せるのが詩人の仕事ですよ。これからは、どこの町でも誰もが新聞を読めるようになるだろうってトムが言っていました。新しい形の読み物ですね。ですがまずは……ああ、これでしょうか、算盤というものは」
白く塗られた丸い玉が、いくつも四角い木枠の中に固定されている。木枠に書かれている不思議な文字は、東の海の、更に向こうの大陸のものだろう。
「ポーリーノ、ムラニ、アッタノト、オンナジ、カタチ……!」
「世界中どこにでも、こういった文化はあるのですね……」
「変わった文字が書かれてるよ」
蚤の市の店の主人が、三人を珍しそうに見つめて、
「そいつは誰も使い方がよくわからなくて売れ残ってたやつだけど、そのちっちゃい嬢ちゃんは、やり方を知ってるのかい?」
と聞いてくる。
「ポーリー、ケイサン、トクイダヨ。コウヤッテ、ツカウノ!」
人差し指で器用に石を一列に揃えて、ぱちりぱちりと弾いて見せる。
「見たところ、南の島から来たようだけど……」
ポーリーが朗らかに笑う。
「ポーリー、オヤブント、ゴシュジンニ、タスケラレタ! ダカラ、ナンデモデキル、スッゴイ、メイドサンニ、ナルヨ!!」
イザベラが聞く。
「こういう子供達が集まってる場所、知らないかい?」
「コロセウムの入場年齢制限が引き下げられたから、試合が始まりゃ人は多く来るさね」
「いつかポーラとシーシウスも、ベラを連れて家族旅行に来れそうだねえ」
「シーシウス殿も喜ぶでしょうね」
算盤の代金を支払いながら、ジョンが笑う。ふとイザベラが呟く。
「私の方は、どうしたもんかねえ……」
一世一代の旅だと、いつしか心で決めていた。
「ま、勝ったら考えりゃいいだけの話なんだけどさ!」
ジョンが微笑む。
「東の大陸に、行ってみたいですか?」
「そうだねえ。行きたくない、といったら嘘になる。でも、何事もまずはここで優勝してからだ。その後のことは……その後に一緒に考えようじゃないか」
大陸を共に横断してきた『旅の仲間』達が頷いた。ふと、イザベラは目を細める。
私は私。生き方を決めるのは私。
そうやって飛び出してきたはずだったのが、今やこうして、かけがえのない友である二人と共に、己の歩みかたを決めるのを是としている。
自分は、変わったのだろうか。そう、変わったのだ。良い方向へと、確実に。
それを証明するためにも、自分はこれからコロセウムで優勝して、月桂樹の冠を友らにかけてもらうのだから。




