第26話 舞踏
「……まったく、こういうドレスを着たのは何年ぶりだかわかりゃしないよ」
深みのある青い色の美しいドレス姿で、いつもの耳のイヤリングを直しながらイザベラがぼやく。
「剣がないと落ち着かないね」
「きちんと預かっていますよ」
「重いだろう?」
「大丈夫。たまにはこうしてきちんと剣を佩くのも、悪くありませんね」
「それにしても、どうせこちとらまごうことなき年増の女なんだから適当でいいって言ったのに、何故か舞踏会の行き先を聞かれて答えてやったら、仕立屋の娘さん達が妙に張り切っちゃってさ。なんでも、例のお貴族様ときたら、美しいものには金に糸目を付けないっていう話らしいんだよ。店ごと買い取ったとか金貨を山盛り置いてったって話もあるらしくてねえ」
愛らしいコサージュがあしらわれたドレスを着たポーリーが、
「ポーリー、オヒメサマ! デモ、メイドサンノ、フクジャ、ナクテ、ヨカッタノ?」
と聞く。
「ポーリーは僕達の大事な『友達』ですからね。こういうきちんとした場での紹介をするときは、これでいいんですよ。それで、トム・スタッフフォード卿ですか……」
こちらもイザベラに合わせた見事な仕立てで整えられたジョンが微笑む。馬車に腰掛けたレフが言う。
「商人上がりで爵位を買い、商人の身分では決して買えない美しいものを蒐集している一流の蒐集家でもあり、駆け出しの芸術家達のパトロンでもある。奥方も愉快なお方でなあ」
「奥方もですか」
「公爵家の娘なんじゃが、どうしても『踊り』を生業にしたくて婚約をいくつも破談にしたのを、その踊りに価値を見出したスタッフフォード卿が大金を積んで結婚を申し込んだのじゃよ」
「踊りなら社交界で死ぬほど堪能できるだろうに、生業?」
イザベラが首を傾げて聞き返す。
「そういった『普通の』踊りではない、もっと『自分にとって意義があるもの』だそうだよ。多分見た方が早かろうなあ」
そして、片目をつむって笑う。
「剣術家と詩人なら見応えがあるだろう。自由な身体表現の極致を極めるべく、日々精進しているからね。スタッフフォード卿のコレクションも良いものだよ。彼もまた、なかなか個性的な御仁じゃが、美を看破することにかけては誰にも勝っているからね」
四人を乗せた馬車が町の隣の森の奥で止まる。突如開けた場所に、瀟洒な館が建っていた。その館の噴水前に人影が見える。
噴水の水を凝視し、手に飛沫を受けて、その人影が呟いた。
「水のように、形があって、ないような、それでいて時に激しく……」
イザベラより少し年下らしい女性が、一人で何かを呟きながら噴水を凝視して沈思している。そこに、ずんぐりむっくりとした背の低い男が現れて言う。
「思案中悪いね。レフ氏達の到着だよ」
「あら、いけない、ご挨拶しなきゃ」
足取り軽く駆けてくる『元・公爵家の令嬢』と、正反対にゆっくり歩いてくる『爵位を金で買った元商人』が、陽気に四人を出迎えた。
「レフ氏のところに良い詩人が来たと聞いているよ。妻というのは個性的であればあるほど良いものだ、というのがこの僕、トム・スタッフフォードの信条でねぇ。君がジョン・アランドール氏だね?」
笑うと前歯が欠けているのが特徴的な小男が、センスの良い服できちんと身ごしらえをしている。さりげなく付けている装飾品などもまた、目玉が飛び出る値段のものなのが見てとれる。つまり、審美眼は相当なものなのだろう。ジョンが深々と頭を垂れて、
「ええ、この度はお招きいただきありがとうございます。妻の件に関しては全くもって同意ですね。奥方様の思索の最中を邪魔してしまい申し訳ない」
静かに微笑むと、その奥方が目を丸くしてから、ころころと笑う。
「あら、よくわかったわね。『水のように舞う』のって、どうしたらいいかしらって考えていたところなのよ。私の名前はアルマ。アルマ・スタッフフォード。今では『踊る男爵夫人』なんて呼ばれてるわ。宜しくね、若い詩人さんと、素敵な剣豪さん、それに可愛いお嬢ちゃん。お名前、お聞きして良いかしら?」
イザベラが笑う。
「剣術でも水のように舞うのはなかなか難しいもんだよ。でも、あんたなら舞えるんじゃないかな。そんな気がするよ。私の名前はイザベラ・トゥールボット。こちらはポーリー。うちの可愛い友達をきちんとお嬢さん扱いしてくれてありがとうよ」
「ポーリー、スゴク、ウレシイ。アルマ、ステキナヒト! ワタシノ、コキョウ、ミズハ、『アシオトヲタテル』ッテ、イウノ」
ポーリーもスカートをからげて礼儀正しくお辞儀をし、噴水の前でそっと水を指に浸ける。ポトリ、ポトリ、と噴水の大理石に垂れる音を、アルマに聞かせながら、言った。
「ポーリーノ、コキョウ、ミズハ、スッゴクダイジ。……デモ、ミズハ、アシオトヲタテテ、イツモドコカニ、イコウトスル。キチント、ツカマエナサイッテ、イッテタヨ!」
「水は『足音を立てる』のね……」
アルマが真面目な顔で、ポーリーの身長まで屈んで水音にじっと耳を傾けて呟く。
「そうね。足音だわ。これは。ありがとうポーリーちゃん。……私ちょっと、ダンス用の靴を調節してくるわね」
おもむろに立ち上がって館の方へ駆け戻っていったアルマを見送って、イザベラが言った。
「何かに夢中になっている女っていいねえ」
トムが笑う。
「わかって貰えて嬉しいよ!」
「公爵家にいた頃は難儀してたんじゃないかな」
イザベラがふと呟くように問う。
「変わり種で嫁ぎ遅れた娘がいるっていうから、正直な話、興味本位で彼女を見に行った結果、もう何というか、速攻で、命がけで口説き落として、公爵家の娘から、男爵令嬢にしてしまった。爵位を金で買って美しいものを蒐集していたら、この世で最も美しいものが手に入ったのだから、悪くないってもんさ」
「もしかしてその歯は」
ジョンが聞く。トムがわざと歯を見せて笑って答えた。
「よくわかったねぇ。あのアルマの父親の大公爵に大反対されてぶん殴られた跡だよ。『金で爵位を買った汚い男爵風情に娘はやれん!』って言われてねぇ、『本当の美を理解できない哀れな大貴族が、美しい鳥を籠に閉じ込め続け、都合に合わせて父親面だなんて呆れてものも言えないね! 金で爵位を買うより醜い行為だ!』って言ってやったら大公爵様に杖でぶん殴られたんだよ」
そこに、美しい弦楽器の旋律が流れる。
「見ていくと良い。彼女には舞うための翼がある。詩人にとっての羽根ペン、剣士にとっての剣さ。僕の家の舞踏会は概ね、彼女の舞踏を見て貰うために開くんだよ」
一段少し高い床の上に、かつり、かつりと音が響く。
「先程の、水音ですね」
真っ白く袖の長い独特の衣装を纏ったアルマが現れ、弦楽器の旋律に合わせて、くるり、くるりとひとり舞う。足音と弦楽器の音が交じりあう、町の旅芸人の見世物とも、貴族の舞踏とも異なる踊り。
「とても斬新なものだ。万人に理解はされないかもしれない。それでも彼女は心のままに、ああやって舞うんだ。……それを、僕は、この世で唯一無二の、美しいものだと思ったんだよねぇ……」
トムが少し照れ臭そうに笑う。ジョンがそれに、真顔で返す。
「解ります。確かに、水を模している。いいえ、今の彼女は、水そのものです」
イザベラが腕を組み、踊るアルマをじっと見つめて言った。
「私に踊りはそもそもわからないんだけれど、よく鍛えてある。これは修練と天性の賜物だね。尊敬に値するよ。……退屈極まりない舞踏会で見も知らぬ相手と適当に踊らさせられるより、百万倍はこっちのほうがいい。何だか、とても自由だ」
そんなイザベラの隣で、ポーリーもぎゅっと掌を握り、踊るアルマに釘付けになったまま、呟く。
「ポーリー、ナンダカ、ナツカシイ。ムラノ、オドリニ、スコシ、ニテル……」
トムが、アルマの舞踏に見入る三人に言う。
「……君達を招いて、本当によかったよ。君の詩集を出す手伝いが出来たことも」
そこに、レフが木箱に入った手押し車を押している屋敷の従者と共にやってくる。
「相変わらず奥方の踊りは美しいのう。ほら、ごらんジョン君。君の美はこちらに詰まっているよ」
木箱の布をそっと解くと、そこには緑色の表紙の本が、何冊も納められていた。
「もうすぐ書籍商達がくる。詳しい話はその時に」
トムが笑う。そんなトムの手から、緑色の表紙の詩集を静かに受け取って、ジョンは静かに目を閉じ、そして開きながらゆっくりと言った。
「……僕はこの詩集で、薔薇の精にいくつかの言葉を寄せました。次の詩集は、あなたの水の精にも、必ず」
そして、踊り終えて美しいポーズで立つアルマを見て微笑む。
「女性二人も気が合うことでしょう。そんな気がします。書籍商が来るまでの間はゆるりと歓談して頂いてよろしいかと」
トムがニィッと笑って、ジョンにそっと聞く。
「踊れたらなあ、って思ったことは? 僕ぁ全くそっちはダメでねえ」
「壮健な身体さえあったら、今頃青い薔薇に跪いていたかもしれませんね。もっとも、正式に舞踏会で踊ったことは一度もないのですが」
ジョンがふと目を細め、青いドレスのイザベラを眺めて言った。トムが言う。
「お互い、難儀なものだねぇ。でも、僕らの女神は自由で良いんだ。自由だからこそ良い」
ジョンも再び笑いをこぼす。
「全くです」
踊り終わったアルマをねぎらうように、イザベラが水差しを持っていく。トムが言った。
「僕には美しくて、触れられない。美しいものを蒐集し、美しいものを生み出す芸術家の庇護者を自認していても、一番の宝に触れていないのは、蒐集家の名折れかなぁ……」
「……わかりますよ。そうなれば薔薇を手折らない僕もまた詩人の名折れですからね。けれど、あなたでなければきっと、あの湧き出る泉を守り抜くことは出来なかったはず」
イザベラとアルマが楽しげに会話をするのを、階段の踊り場で二人眺めながらジョンとトムが笑う。そして、同時に杯を取った。
「では、少しだけいただきましょう。こんなに佳い夜は久しぶりです」
「本当だよ。ジョン君、いや、ジョン、と呼んでも? 僕のことは気安くトム、と呼んでくれていい」
「ありがとう、トム。では、僕らお互いの美しいものに」
「盃をかかげるとしよう!」
月明かりがシャンデリアを照らす。少し離れた場所にいたレフとポーリーが、盃を掲げる青年二人を見て、顔を見合わせて微笑んだ。




