第22話 医者
名医者のリストと住所の書かれた紙を手に、ジョンが呟く。
「コンスタンス・ウェストン医師はこのあたりにお住まいのはずですが……」
森を出て二つ目の大きな町の石畳を、ゆっくりと馬車を走らせる。
「タテモノ、オオキイネ」
馬車の小窓からポーリーが外を眺めて呟く。
「あの行列じゃないかい?」
イザベラが指さすと、医療施設を表す赤い屋根と白い壁の館に、人が列をなしている。
「町で風邪でも流行ってるのか、それとも名医なのか……時間がかかりそうだねえ」
「きっと名医なのでしょう。あのフェルディナンド卿の紹介ですし。ポーリー、並びましょう」
「じゃあ私は先に宿をとってくるよ」
ジョンとポーリーが馬車から降りる。二人の吐く息が少し白く染まり、思わず身震いするジョンに、
「ゴシュジン、ダイジョウブ?」
ポーリーが心配そうに聞いた。
「ええ、まあ。寒いのは、得意ではありませんからね……」
「ポーリー、ユキ、ミタコトナイノ」
「雪、ですか。エールランドでは時折降りましたよ。森も野原も一面真っ白な世界になります。花嫁のヴェール、と呼ぶ詩人もいますね」
並ぶ列に加わり、設置されたベンチに腰を降ろす。手の指先をそっとこすり合わせながら周りを見ると、お腹の大きな妊婦をはじめ、女性の待ち人が多いことに気付く。
(出産も請け負っているのでしょうか)
それではさぞや忙しいことになっているのだろう。貴族出身で主治医もいた自分にとって、こういった町の医院に来るのは、考えてみれば初めてである。
「興味深いですね……」
看護師らしい女性がやってくる。ジョンがフェルディナンド卿からの紹介状を懐から出して言った。
「フェルディナンド・ランドルケーヘン卿からの紹介で参りました。ジョン・アランドールです」
「お話はお手紙で伺っておりました。それではこちらに……」
その途端、待機列の方から悲鳴のようなものがあがる。ポーリーが振り返って、小さく声を上げた。
「アソコノ、オネエサン、アカンボウ、ウマレル……」
「何ですって」
ジョンと看護師の女性が同時に声を上げて振り返る。床に倒れ込んだ若い女性の足元に、水たまりができている。
「アカンボウ、ウマレルマエ、トキドキ、アアナル。ポーリー、ムラデ、ミタコトアル!」
「僕のことは後で良い。先にあちらの女性を助けてあげてください!」
「は、はい!!」
そこにイザベラが戻ってくる。
「いったい何の騒ぎだい」
「産気づいた方がいらっしゃいまして」
「よしきた、手伝うよ!」
イザベラが冷たい床に倒れていた女性を速やかに抱き上げて、問答無用で列を駆け抜けた。
「こ、こちらのドアです」
看護師の女性がそう言うやいなや、扉を長い脚で遠慮なく蹴り開け、
「コンスタンス・ウェストンとかいう医者はどこだい!」
と声を上げた。部屋の一番奥にいた、細面で白い衣の背が高い、イザベラよりも少し年嵩の女が立ち上がる。
「そこの診療台に」
「よくわからないけど、この娘さん、さっきから私の手を握って離さないんだよ。ついていてやったほうがいいかい?」
「出来るならそうしてください。……誰か清潔な布を。それとお湯をもっと沸かしなさい。出産が早まったのでしょう」
呻き声を上げる臨月の女性の額の汗を指先で拭って、イザベラは言ってやる。
「どこの誰だか知らないけど、しっかりしなよ。これから母さんになるんだろ? 見守っといてやる。私ならどんなに強く握られても平気だしね」
「アカンボウ、ブジダト、イイネ……」
ポーリーがジョンの顔を見上げる。
「ええ。本当に」
「タブン、スグニ、ウマレルヨ」
「ポーリーは出産に立ち会ったことが?」
「ムラニ、イタコロ、ナンドカアル。ゴシュジン、サムイ?」
「大丈夫。赤ん坊が元気に産まれるまで待ちましょう」
「オヤブン、デテコナイネ」
「急なことですし、手伝いをしているのかもしれません」
イザベラは出産に立ち会ったことなどあるのだろうか。再びジョンとポーリーが顔を見合わせたその時、前方から赤子の泣き声が響き渡った。
「イザベラさん!」
「オヤブン!」
思わず部屋に入ると、診療台の上の若い女性の手を握りしめ、その脇に跪いていたイザベラが顔を上げる。
「いい戦いっぷりだったよ」
「……あ、あなたは」
若い女性が、ようやく口を開く。
「そこでぶっ倒れてからほとんど覚えてなかっただろうけど、あんた、運び込んだ私の手をずっと握っててさ。まあそのままにしてやったんだよ。そういやあんた、名前は?」
「ローラ……子どもは……」
「元気な女の子だってさ」
「よかった……」
握りしめられていたイザベラの指が、大変だったのであろう出産の様子を示すかのように、少し青く鬱血している。
「よく頑張ったね、ローラ」
緊張が解けたのか、子どもを胸の上で抱きしめるローラの目からぽろぽろと涙が湧き出るように落ちてくる。
「私……私、父も母も、夫も今いなくて、どうしようって、でも……」
「旦那はどうしたんだい」
「山向こうのコロセウムの町から帰ってくる途中で……もうすぐ着くって手紙が三日前に来てて」
まさにその時、部屋のドアが壊れんばかりの勢いで、まるで熊のような巨漢の旅装束の男が飛び込んできた。
「すまなかったローラ! 無事か!!?」
「シーシウス……大丈夫よ、大丈夫。ここの親切な方達が助けてくれたの。私も、この子も無事よ」
巨大な斧と剣を背負ったまま、駆け寄ってきたシーシウスと呼ばれた巨漢が、イザベラとジョンの前に膝をつく。
「何と、何とお礼を言えば良いか……!」
相当な距離を強行軍で戻ってきたのだろう。服も荷物も埃まみれのシーシウスに、
「いいんですよ。奥様とこの子のため、急いで帰ってきたのでしょう」
ジョンが微笑む。
「出産に立ち会いたくって、走って帰ってきたのだが、あと一歩間に合わなかった。だがローラ! 新しい産着代も、ミルク代も、病院代も、俺ぁしっかり手に入れて来たぞ! 優勝だ!!」
「まあ、本当に!?」
「俺の可愛いおチビちゃんには、名前を授けてやらねぇとなぁ。そこの……どっちかといやぁ、病院よりコロセウムの方が似合いそうな姐さんよぉ、うちの可愛いカミさん達が随分と世話になっちまった。名前を、聞かせちゃあくれないかい」
「私かい。イザベラ・トゥールボット。とにもかくにも、旦那がきちんときてくれて安心だよ」
シーシウスが笑いながら言った。
「俺のおチビちゃんはかわいい女の子か。これも何かの縁だろうな。名前は……『ベラ』にしようか、ローラ?」
「まあ、可愛くて素敵ね!」
イザベラが目を丸くして、呵々と笑う。
「元気に育ちそうな名前じゃあないか」
ジョンが微笑む。
「ご両親もびっくりするくらいに、すくすくと育つことでしょうね」
やってきたコンスタンスが、ジョンに目をとめて問う。
「そちらの方は」
「ああ、紹介状をまだ渡していませんでしたか。フェルディナント・ランドルケーヘン卿からの紹介で来ました。ジョン・アランドールと申します」
コンスタンスが、ほんの僅か、表情を緩める。
「フェルディナント卿はお元気でしたか。彼は時折とんでもない無茶をする傾向がありますが」
「ランドルケーヘン家のご嫡男のカルロス殿と共に、暗殺者から助けていただきまして」
生真面目そうなこの女医師の硬い口元に、微かに笑みが浮かぶ。
「……相変わらずのようで安心しました。彼の紹介ということは、あなた方も多少は型破りなところがあるのでしょう。ローラの処置が終わったら、診察を開始します。それとローラの旦那様。ここは病院です。清潔でなければなりませんので」
慌ててシーシウスが自分の埃まみれの格好を再度見て、頷く。
「おお、すまんかったな先生。それとありがとうよ。うちの大事なカミさんを診てくれてよぉ。おチビも無事生まれた。こいつがお礼だ。遠慮は要らねえ。受け取ってくんな」
革袋の中から、大量の金貨を取り出して机の上に置く。
「……もしかしてそれは、コロセウムの優勝金ってやつかい?」
思わずイザベラが問うと、シーシウスが呵々と笑う。
「その通り! 病院ってえのは大変な場所だ。コロセウムの近くにもあったから知ってらあ。金はいくらあっても構わねえだろ。カミさんとおチビの命が助かったんだから安いもんだ。じゃあ俺ぁ外で着替えて待ってるからな、ローラ!」
そして、嵐のように去っていく。イザベラが、ジョンと顔を見合わせた。
「コロセウム、ね……」
「……いい目的地ですね」
ローラの処置を終えたコンスタンスが、金貨を手に言う。
「ローラ、あなたの賑やかな旦那様に最大限の感謝を伝えてください。これだけあれば、新しい器具や人員の導入も、屋根の修理も叶います。必ず、佳く使うとお約束しましょう」
そして、息を大きく吐いて振り返った。
「それでは、ジョン・アランドール様。遅くなりましたが、診察をはじめましょう」
「……全く、どうやってこの身体であのエールランドからここまで来たのですか」
上半身を脱いで診療台に横たわったジョンが笑う。
「死ぬ暇がない程度に、刺激的な日々を送っていまして」
赤子の泣き声と、ポーリーやイザベラ、そしてローラが赤子をあやす声が隣の部屋から聞こえてくる。コンスタンスが言った。
「少し薬を増やします。あまり心臓と肺に負担をかけないように。特に大聖堂の窓から飛び降りるなどといった事は今後一切禁止です。おわかりですね」
「冒険は、どのくらいまで許されますかね」
「あの世で既に主がお待ちですよ。それはもう首を長くして」
「……それは良かった。神様にも詩を早く読んでもらえるようで」
コンスタンスが溜息をつく。そして、案内状に添えられていた手紙に目を通しながら言った。
「……詩集を出版するなら早くすることです、ジョン・アランドール様。私に詩の良し悪しはわかりませんが、命は才能の開花を待ってはくれません」
ジョンが目を細めて静かに言葉を返す。
「良い言葉です。詩集を出すときには序文に入れたいくらいに」
「……紹介状を書きましょう。次の町の医者と、この町に住まう老詩人にです。腰痛の塗り薬を持っていってやってください。出不精な方で、なかなかこの医院に来ないものですから」
ふと、ジョンが聞いた。
「……不躾な質問かも知れませんが、フェルディナンド卿とはお知り合いなのですか」
コンスタンスが目を閉じる。
「ええ。私が若くして修道院に入るきっかけと、数年前にその修道院を飛び出して、この医院を建てるきっかけになった人です。あとは詩人の想像力とやらにお任せしても?」
「良いバラードが書けそうな予感がしますね」
コンスタンスが片目を開けて、微かに微笑みながら言った。
「……書いても結構ですが、題材の提供料として、料金を診察費に上乗せさせて頂きます」
ジョンが笑う。
「きちんとお支払いしますよ。よくお使いください。産院を兼ねるのは大変でしょう」
「今日はイザベラ様のおかげで助かりました。彼女とはどのようなご関係なのです?」
「家同士が決めた婚約者、ですね。色々ありまして、共に家から飛び出した身です。まあ、まだ婚約は破棄されていないようですが」
「彼女には胆力と、生命力があります。あなたがどういうわけか、ここまで生きてこられた程度には」
「わかりますよ」
二人が、意味深な視線を交わす。
「わかっているなら、言うことはありませんね。では、無理と無茶と無謀はあの世に近づきますゆえ、詩を書き続けたければ程々になさってください。薬は毎日きちんと飲んでいるようで安心ですが、決して欠かさぬように」
医師用の立ち机でさらさらと紹介状を書き上げると、コンスタンスは起き上がったジョンにそれを手渡し、言った。
「良い旅を。決して悔いの無いように。……医師である以上、止めるべきなのでしょうが、あなたのような目をした殿方は、誰が何と言おうが夢を捨てることも、歩みを止めることもない。かつてそう私に教えてくれたフェルディナンド卿に感謝するように」




